【8月22日】 No.289 (兵庫⇒岡山⇒広島⇒山口)
 今朝は珍しく寝坊してしまった。起きたら電車に乗るはずの10時を過ぎていた。
 今回も6日同様、廊下に寝ていた敬くんは既に起きていた。
 深夜4時までたまっていた日記を一気に書いていたのもあるけど、
 妙に動揺させられるような夢を見ていた気がする。
 無駄に急いだところで何も変わらないので、胃にパンを詰め込むと、
 ゆっくりと出発の準備を始めた。
 無駄な荷物を減らした所、かなり荷物が軽くなっていた。
 前は一体何がそんなに重かったのだろう……(^^;

 11時に西宮を出た私達は、姫路を経由して岡山に向かった。
 その間は久々に帰って来たCDプレーヤーでひたすら音楽を聴いていた。
 時々、持って来ていた「Bバージン」を読み続けながら、色々と考えていた。
 考えていたことは、人間のこと……人との付き合いのこと。
 かなり脱線しそうなので、最後に回します(^^;

 岡山を過ぎてから倉敷で一度降りると、きびだんごを買った。
 何気にこれが今日の昼食になってしまったのが痛い。金銭面が深刻になり始めてます(^^;
 この辺は敬くんのテリトリーということもあって、色々と話を聞かせてもらった。
 岡山のきびだんご
 ちょうどこの間の電車に乗っていた時、偶然にも敬くんは、
 ネットでの知り合いと同じ車両に居合わせたのだった。
 その彼も何かの用で高松まで向かっている途中だったらしい。
 私は名前だけしか知らないような人だったけど、それでも、
 何の連絡もなしに、遠く離れた場所に住む知り合いとこんな場所で出会うなんて、
 奇跡以外のなんだというのだろう?(^^;

 その後、一気に広島を通過して宮島口まで進んだ。この頃には17時前になっていた。
 本日のメインである宮島を見る為に降り立ったのだった。
 今日は私が寝坊したせいで、予定がかなり押してしまった感じだ。
 青春18切符で宮島行きの観覧船にも乗れるらしく、タダで宮島へと向かった。
 宮島行き乗り場(左)とぷよまん本舗(右)
 面白かったのは、その駅にあったぷよまん本舗。こんな場所にあるんか……
 確かにここの名物はもみじ饅頭だから、まさに本場の味と言えるのかな?

 宮島に到着してからは、ゆっくりと辺りを散歩して回った。
 思ったよりも島は大きく、今日の残された時間では上の方まで行くのは無理そうだった。
 置物のような鹿があちこちにいて、五重塔もあったのでなんだか奈良に来た気分。
 鹿に妙に好かれる敬くんは、今回も鹿に妙に迫られていた(^^;

 その後、今回のメインである、厳島神社周辺に到着。
 私が下手に語るよりも、今回は写真を見てくれといった気分です。
 なんとも良い感じでした。写真も無駄にたくさん撮ってしまいました(^^;
 宮島周辺
 厳島神社
 時間的にちょうど干潮の頃合いだったらしく、鳥居を間近で見ることが出来ました。
 波打ち際には海草が生えていて、遠くから見るとなんか不思議な光景でした。
 御社殿の方は300円払って参観。時間的に観光客もいなくなっていたので、
 ほとんど私達ふたりだけでその中を歩き回ってました。
 ゆっくりと回った後は、お土産屋さんで、もみじ饅頭と穴子竹輪を食べた。
 お腹が空いていたので、その程度だとなんだか逆効果だったかも。

 暗くなり始めた頃に宮島を出ると、今夜の宿を求めて山口県の岩国まで向かった。
 直前まで、今夜はどこまで進んでおいたらいいのかと悩んでいたのだけど、
 明日少しでもゆっくりと出発出来るように、行ける場所まで進んだ。
 北海道での苦痛がまだ消えてなかったので、体力的には回復していたけど、
 精神的な面で、とにかく今日は野宿はしたくなかった。

 駅に着いてから無事にビジネスホテルを発見した私たちは、
 ツインが埋まっていたので、各5700円でシングルを取り、晩飯を食いに出た。
 その直前、鍵を部屋に入れたまま出てしまったことに気付き、
 恥ずかしながらホテルの人を呼びに行って開けて貰いました(泣)
 敬くんには大爆笑されるし、まったく今日はなんかぼーっとしてるよ。
 散策した所、21時前後だというのにほとんどの店が閉まっていて、
 仕方なくココイチのカレーを食べることになってしまった。
 こんな場所に来て、なんでカレー食べてるんだろ、ウチら(汗)


<人と付き合うこと―かなり象徴的です^^;>

 旭川で「Bバージン」を発見し、昨日、残りを全部買ったこと。
 なぜこの数日に、このテーマの漫画を手に取ることになったのだろう?
 すべては偶然じゃないような気がした。
 こんなにも私の心に響く作品はなかったかもしれない。
 今や貴重な存在とも言える、好きな人の為にならどんな苦難も乗り越えて行く男の話。
 たとえセックスが出来る状況があったとしても、好きな人以外とは絶対にしないというBバージン。
 主人公の住田秋ほど自分を飾ることなんて出来ないけど、
 それでも仮面を剥いだ本当の彼は、まさに私自身だった。

 ユング的に言うと、人は自分だけの内面世界を持っていて、
 そのテリトリーの一部を他人と共有することで、初めて他人と付き合うことが出来る。
 自分と似たテリトリーを持つものに仲間意識を感じて、他人の一部を自分の中に受け入れて。
 だけどそうすることで、人は互いを傷つけ合いながら生きるしかない。
 それぞれの内面世界は決して同じものでは有り得ないから。
 それはある部分でしがらみや葛藤を生み出す。

 一度傷を負ってしまった無邪気な天使は飛ぶことを恐れるようになってしまう。
 自分の羽を使って大空を羽ばたくことを恐れてしまう。
 本当は飛びたいはずなのに、また傷つくことを恐れて地を歩き始める。
 再び羽を広げることは怖くて、そのことで自分が傷つき、
 また他人を傷つけてしまうことが何よりも怖くて。
 それならば一生飛べなくてもいい、そう言って自分の羽を隠してしまう。
 だけど、そのままじゃ一生羽を使わないままでいたら、
 その天使の本当の輝きを見せないまま死んでいくことになるのではないか。

 人付き合いだって、恋愛だってそう。傷つくことも多いかもしれないけど、
 本来は人を好きになることって、楽しくて嬉しいもののはずなのに。
 傷つくことを恐れるココロは、すべてを魂の牢獄に追いやってしまう。

 恐山にあった石碑に刻まれた言葉……
 「人はみな それぞれ 悲しき 過去を持ち 賽の河原に 小石積みたり」
 誰だって自分として生きて来た過去を持っていて、他人と接し傷つけ合って来た。
 誰だって知っている。幸せの次に来るものは、悲しみしかない。
 だけど、いくらそれが辛いからってその苦しみから逃げ続けて、
 楽な方、楽な方へと逃げて、ただ小石を積み続けて行く人生でいいのだろうか?

 生きていく中で、人は決して独りでは生きていけない。
 他人と関わっていかなければならない以上、
 他人を傷つけずに生きていくことなんて決して出来ないと思う。
 俺はもう何事からも逃げたくはない。悲しみを乗り越えて再び幸せを掴みたい。
 何度失敗しても、もう一度ちゃんと飛べるまで挑み続けたい。
 その過程がどんなに辛くたって、今までのダメなままの自分でいるよりはマシだ。
 何もせずに逃げ続けている臆病な自分よりマシだ。

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