【8月19日】 No.286 (北海道 [小樽]⇒日本海海上)
 とにかく、ここでまさか野宿はないだろうと考えていたので、ショックは大きかった。
 50キロ近い荷物を背負って旅して来た連日の疲れで腰や足の付け根に激痛が走り、
 晩飯を食う気にもならず、コンビニでお約束のカロリーメイトとコーヒーを買うと、
 そのまま北上して港を目指した。観光船の待合場があったのでそこに落ち着くことにした。

 そこには何もなかった。波がゆっくりと防波堤に打ち付けていて、
 暗くなって急に気温も下がって来ていた。
 昨日の旭川の夜の気温が16度だったから、ここもそれくらいだろうか。
 いつものようにバスタオルを羽織ると、静かに海を見つめていた。
 これで4日連続風呂にも入れないことになった。いい加減うんざりだ。
 敬くんは同じく小樽にいれど、オフ会で会った人の家に泊まっているらしく、
 それを考えると自分の惨めさに泣きそうになってしまった。

 寝ようと思っても寒くて眠れないし、CDを聴こうにもプレイヤーは手元にない。
 パソコンで気を紛らわそうにもコンセントがない。明かりがないので本も読めない。
 更に時々暴走族らしきバイクの音が聞こえてくるは、港を眺めにやって来る人はいるは、
 近くに公衆便所があったせいか、そこに時々やってくる人の声がたまらなかった。
 まさに地獄だった。 何も出来ないこの時間が苦痛で仕方なかった。
 孤独がこんなにも辛いと感じたことはなかった。帰りたかった。
 うめきたかった。叫びたかった。でも何も出来なかった。
 いくら待ってもなかなか進まない時間。一秒が一時間のように感じられた。

 そこで絶望を感じてから6時間ほどして、ふと煙草に火をつけた。
 そして、缶コーヒーを買って飲んだ。なぜだかすごく落ち着いた。
 その瞬間、死にたいと思っていた自分がふと消えていくのを感じた。
 まさに今年の2月に絶望を感じてから復活した時のようだった。
 これだけ人間以下の生活をしていても、まだ自分はここにいる。
 今の自分なら、普段出来ないようなことが何でも出来るような気がしていた。
 手帳にずっと考えていたことを書き殴っていた。
 暗くてちゃんと書けてるかわからなかったけど、今までの心の葛藤をすべて書き出していた。

 それから夜明けまでの1時間、埠頭に座ってただ煙草を吸っていた。
 夜明け直前の小樽港
 この旅行でこんなにも煙草を吸ったのは12日と今日だけだろう。
 別に煙草中毒でもないし、吸わなくても全然気にならない。
 でもこういう時に吸うと本当に落ち着いた。
 飲むたびに弱くなっていく酒とは逆に煙草には強くなっているのかもしれない。

 それから3時間ほどして、新潟行きのフェリー乗り場を目指した。
 心も体ももうボロボロだったけど、今なら大丈夫なような気がした。
 30分ほどしてフェリー乗り場に到着した。
 敬くんに連絡を取って、彼が来るまでベンチで爆睡していた。

 4日ぶりに再会した彼は元気そうだった。彼が稚内で買ったピロシキを貰った。
 敬くんの土産―稚内のピロシキ
 それから2等席のキャンセル待ちが空くことを祈りながら、仮眠を続けた。
 それがムリだったら、再び列車で下っていくしかないからだ。
 フェリー出発の10分前、一般入場者のキャンセル待ちのアナウンスが入り、
 神の救いとばかりにフェリーに乗り込んだ。

 しかし、キャンセル待ちの人間達に与えられた寝床は2人で一畳しかなかった。
 まるで昔世界史で習った奴隷貿易船の奴隷のようだった。
 奴隷船のような2等キャンセル待ち用室(左)とフェリーから見た夕焼け空(右)
 状況的には最悪だったが、今までの人間以下の生活を考えるとここも天国だった。
 夕方まで死んだように眠ると、それから敬くんと飯を食いつつ4日間のことを語った。
 彼は彼で楽しく北海道を満喫していたらしい。宗谷岬……私も見たかった。

 その後、念願の風呂に入ると狭い場所で久々にCDを聴いていた。
 本当に生き返ったような気分だった。
 こんな当たり前のことがこれほど幸せに感じられたこともなかった。

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