【8月5日】 No.272 (兵庫)
 今日はとにかく静養日。31日に出発した時から微妙に調子が悪かったのに加え、
 旅行の疲れがどっと押し寄せて、夕方頃まで爆睡してました。
 しかし、体重が2キロ減って50割りそうになっていたのには焦りました(汗)

 起きてからは、敬くんが鈴花さんから貰った「アニメ店長」のCDを聴き直す。
 四万十川で調子悪かった私が寝ている時に、みんなで聴いていたらしい。
 私は香川で讃岐うどんを食べている時に初めて聴かせてもらったんだけど、
 すごい面白いです、これ(^^; 最近、アニメイトで流れてるらしいんですが、
 子安を始めとするWeiβの4人組を中心として狙ったような声優陣とお約束の展開。
 明らかに女性向けに作られたように感じたのは私だけでしょうか?(笑)

 23時半に月乃敬くんと合流。先週の「ZOE」などを見る。
 ああ、ドロレス暴走し過ぎです(笑) 続きは1ヶ月後にしか見れないと思うと残念。
 とにかく今日は移動せずほとんど寝ていたので、旅日記書けません(^^;
 ということで、序盤5日間に考えていたことなどを中心に記しておきます。


<「好き」と「嫌い」、「Like」と「Love」>

 いつも「好き」と「嫌い」とは、どういうことなのだろうと考えている。
 「好き」に関してはアメリカ的な「Like」「Love」という概念が一番しっくり来る。
 基本的に嫌いな人なんかいない。誰にだって長所もあれば短所もある。
 短所の部分だけを見てしまって嫌いだと思い込んでしまうことは怖い。
 昔の私がそうだったから。勝手に決め付けてしまうことは無駄な誤解を生む。

 誰かと話をしていると、必ず他人の話が出てくる。
 「あいつなんか嫌い」だとか「見ててイライラする」とか。
 それって一体どの程度の嫌いなんだろうって思ってしまう。
 私が人を嫌いになるのは、相手が私のことを嫌っているなと感じる時。
 他人に否定されることは何にも増して怖い。これは昔から変わっていない。

 中学時代に植え付けられたトラウマというものだろうか、
 それによって「基本的に私はあらゆる人間に嫌われている」と思い込んでいた。
 道端や電車の中などで誰かと会うと、あらゆる人間は私がいるだけで不快に
 なってしまっているんじゃないかと思っていた。迷惑なんだろうと思っていた。
 私は変わり者であることは自覚しているし、そのことで周りから隔離されることを恐れていた。

 最近はもうだいぶその幻想から逃れられるようになって来たけれど、
 それでも誰かに思い切り拒絶されたりすると一気に昔に戻ってしまう。
 その人と一緒にいるだけで、自分の存在が否定されてしまうような感じになる。
 自分のことを嫌っている人と顔を合わせるだけでも、その人のことを考えるだけでも、
 なんともたまらない気持ちになる。泣きそうになる。

 私がまだまだ吹っ切れていないなと思うのは、実際に拒絶された訳でもないのに、
 そう思い込んでしまうことで、勝手に上のような状況を作り出してしまうこと。
 今回の合宿なんかは、まさにその典型だったと思う。


 嫌いという概念がないとしたら、逆に言えば、どれだけ「好きか」ということになる。
 私の「好き」の基準は、どれだけ自分なりの考え方や生き方を持っているかに拠っている。
 簡単に言ってしまえば「どれだけ独自のキャラが立っているか」ということ。
 「Aさんといえば、何々だ!」とか一瞬でイメージが出るようなのがいい。
 例え、私とそりが合わなかった人だとしても、それはそれで面白い。
 嫌いじゃなくて、たまたま意見が合わないだけだろうし。

 「あの人、変わってるな〜」とか、よく話題に出てくるような人は大抵気に入っている。
 無駄に観察力だけはあるので、実際に話したことがなくとも、見ていればわかる。
 ペルソナを付けている人(本当の自分を偽っている人)なんかもすぐわかるし、
 わざと明るく振る舞っているような人を見ると何だか居た堪れなくなってしまう。
 私なんかも実際の話そういう人間なので、その辺は見破るのが上手いのかも。


 では「Like」が「Love」に変わる一線ってどこなのだろう?
 例えば、私に係わり合いのある人に対する好感度グラフを作るとする。
 当然、同性もいれないと話が進まなくなるので入れる。
 (興味がない人には勝手な判断など出来ないのでその中に入れない)

 そしたら、その中で一番グラフの高い人が「Love」ということになるのだろうか?
 いや、そんなことはない。「Like」は所詮「Like」以上にはならないはずだ。
 いくら親友だからと言って、抱きしめたいとは思わないし、
 キスとかそれ以上のことをしようだなんて思いもしない。
 そしたら私は、隈さんやらたっくまんなんかも襲わないといけなくなる(笑)
 同性愛者ってその歯止めが利かなくなった人なのかなって思う。

 異性の友人だとしても、それは同じだと思う。
 あくまでも「Like」として付き合ったり一緒にいるのが楽しいからであって、
 「Love」として付き合いたいというのとは違うのではないだろうか?
 また、性的な魅力を感じるから「好き」なのか、それとも、
 本当に好きだから「好き」なのか、その辺もよくわからない。

 私の考えとしては「Like」から「Love」へ変わる瞬間は、
 やはり理屈では推し量れないと思う。一瞬で恋に落ちる。
 懐かしの「ラブストーリーは突然に」という曲なんかはまさにその典型。
 「あいのり」なんかを見てても、やはりみんな突然だ。

 ●なぜだかはわからないけど、気になって仕方がない。
  (どうしてそうなるのか考えたとしても、やはり答えなんか出やしない)
 ●今まで興味もなかったことなのに、あの人が好きだから自然と私もそれが好きになった。
  (確立していたはず意志が、こんなにも簡単に揺らいでしまう)
 ●何をしていても、自然と頭の中にその人が浮かんできてしまう。
  (他のことが考えられなくなってしまう)

 自分がある人のことで、普段の自分ではないことを自覚した時、
 それが「Love」へと変わる瞬間だと思う。
 そうなってしまうと、それまではそんなこと考えもしなかったのに、
 急にその人のすべてを知りたくなる。束縛したくなる。

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