10.再会18/19/20

18

唯は勇也に会った次の日、ついに学校を休んでしまった。
その日は土曜日だったが少しでも時間を無駄にしたくなかったのだ。
唯は朝からずっと電話帳とにらめっこしていた。
もしかしたら裕子の電話番号が載ってるかもしれないと。
『セグチ』という名前を見つけては電話を掛けていた。
しかし膨大な量である。いくらやってもキリがなかった。
唯は夕方までずっと頑張っていたが、ついにイライラが頂点に達した。
「もーいい加減にしてよ。こんなことで見つかる訳ないじゃない!!」
唯は電話帳を投げつけた。
外を見ると空が赤く染まっている。
唯は気晴らしに散歩に出ることにした。


外には気持ちいい風が吹いていた。
残暑も終わり、そろそろ秋も深くなって来ている今日この頃である。
唯は背伸びして空気をいっぱい吸い込んだ。
「んー気持ちいい!」
唯は暫くぼーっと夕焼けを眺めた。そしてボソッと呟いた。
「このまま明日になったら純がおはよって言ってくれたらいいのに……」
唯はまるで女神のような笑顔を見せた。
純が唯の笑顔が天下一品と言うのも無理はない。
唯は気付いていないようだが、彼女に目を付けている奴は多かった。
ただ、純が側にいたので誰も手を出そうとはしなかっただけだ。

「そう言えば思い出すな……幼稚園の頃、よく純と遊んだっけ……あいつはいつも私を助けてくれた。給食に苦手なモノが出た時、怖い犬に追い掛けられた時。いつも純が居てくれたんだ」
なんかつい昨日のことのようだった。
「純の方が1つ年上だから純が先に卒園しちゃって泣いちゃったんだった。私を置いていかないでって……そしたら純の奴、花の茎で指輪を作ってくれて。わてらは結婚したんや。せやからお前は独りぼっちやないって」
そうこう言ってるうちに涙が溢れてきた。
「純、早く帰ってきてよ……もう耐えられないよ……」
涙は夕日に照らされて輝いていた。



唯はベットに横たわった。
そして小学生時代の唯と純の写真を見た。
これは純の部屋にあったものと同じものだ。
以前、唯が焼き増しして純にあげたのだ。
「純……一体どこに行っちゃったのよ……」
すると脳裏に純と裕子のキスシーンが浮かぶ。
そして裕子の言葉が。
『純ちゃんは私のモノよ!!あんた、どっか行ってよ!!!』
「あの時、私が逃げちゃったから悪いんだ。純を引っ張ってでも連れて帰ればよかった。そうすれば今こんなことには……」
唯は再び写真を見る。
その中には笑顔を浮かべている唯と純の姿があった。
プルルルルルル……プルルルルル……
その時だ。
電話の鳴る音がした。
しかし、取る気も起こらない。
プルルルルル……プルルルルル……
「はっ、勇也君からの良報かも!」
唯は慌てて部屋の子機を取る。
「もしもし、もしもし!勇也君、純は見つかった?」
「あのう、家庭教師のドライですが、家庭きょ……」
「消えろ!!」
ガチャ!!
唯は壊れるくらいに強く置いた。
するとまた掛かって来た。
プルルルルル……プルルルルル……
「いい加減にしなさいよ!あんたね!」
「こ、こうちゃん、私何かした……?」
唯ははっと我に返った。
「なんだ由美子か……じゃあね」
「……ってちょっと!」
「何?今は誰とも話したくないのよ」
「西山君を見たって言っても?」
途端に唯の顔色が変わる。
慌てて受話器を持ち直した。
「うそっ!そんな!本当に!いつ?どこで?何時……」
「ストップ、ストップ。少しは落ち着きなさいって」
唯は気が動転してしまったらしい。いつもの冷静さを失い、しきりに由美子に尋ねる。
「ねえ、ねえったら、教えてよ由美子!!」
「こうちゃん!!」
「は、はい!」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「落ち着いた?」
「……ごめん由美子。私どうかしちゃってるね」
「よし、ちゃんと訊いててね」
「うん」
「私ね、昨日学校の帰りに西山君を見たわ。彼は女の子と一緒に歩いていた」
唯はすぐに裕子だと解った。
「加佐未センター街でよ。2人はデート中だったみたい。だから私は2人を尾行したの。2人は映画に行ったりレストランに行ったりと。ま、その後色々あったんだけど、西山君、その子とラブホテルに入って行っちゃったの」
由美子は、この事実は唯にとってはかなりハードだと思った。
しかし、隠しておいては唯の為にはならない。

唯は頭が真っ白になった。
地獄に叩き落とされたような感じだ。
声も出ない。
息することすら忘れかけていた。
そして自然と涙が溢れ出して来た。

「こうちゃん、大丈夫だよ。元気出して……」
「…………」
「こうちゃん……」
「気休めはよしてよ!どうして由美子何かにそんなことが解るのよ!」
由美子はその勢いに圧倒される。
それでも唯は更に強烈な言葉を浴びせかける。
「ホテルまで行ってるなんて、もう私にはどうすることも出来ないよ!そんな純を振り向かせることなんて出来ないよ!!」
それを訊いて、由美子はとうとう純の気持ちを話すことにした。
「こうちゃん、西山君にはずっと前から好きな子がいたんだよ」
「それがあの子だって言いたい訳?」
「何言ってるの。西山君はこうちゃんが好きだったんだよ」
「……う、うそ……」
唯は止まってしまった。
「嘘何かじゃないよ。私、初めて西山君に会った時、すぐ解ったもの。この子が好きなんだ、神代唯って子が好きなんだって。木下君も薄々気付いていたみたいだけど」
「そんな……そんなはずが……」

その時、唯は失踪する前の純のことを思い出した。
『……そんなことあらへん。お前は今でも可愛いで』
『そうか、5日間か……奴がいなくなるのは』
『唯、明日デートしよう。冗談言うとるんやない。わては本気や』
そんな言葉が頭の中に浮かんできた。
「純の奴、私が勇也君が好きだって言ったからあんなに様子がおかしかったのか……それなのに私、全然気付かなかったのね」
唯はその時すべてを理解した。
「じゃあ、純がいつも私の側にいてくれたのは……」
「こうちゃんが気になってしょうがなかったんだよ」
「……私なんて馬鹿だったんだろ……純が側にいてくれるのは当たり前のことだと思っていた。だから解らなかったのかな……幼稚園の時も、小学校の時も、中学も、そして今も……」
「確信はないけど、人の気持ちなんてそう簡単に変わるもんじゃない思うんだ。ましてやずっと思い続けていた西山君なら……」
「…………」
「きっと何か訳があるんだよ。あの子の側に居てやらなきゃならない訳が……」
「ほんと?」
「そうだよ、まだ諦めちゃだめだよ。もう一度西山君を見つけよう!そしてこうちゃんがガツンと言ってやるんだ。そうすればきっと……」
「……ありがと、由美子」
「うん、それじゃ」
唯は電話を切った。
そして立ち上がった。
あの写真を見る。
そうだよ、ちょっとやそっとのことで諦めちゃ駄目なんだ!
私はやるんだ!
私は必ず純を連れ戻してみせる。
そして自分の気持ちを伝えるんだ。
私の、私の気持ちを……




19

「ねえ、ゆーちゃんて誕生日いつなの?」
「えっ、そう言えばいつだったけ……」
勇也は真面目に考えてしまった――――というのは冗談だが。
10月に入り、すっかり秋らしくなって来ていた。
今年は8月末に集中豪雨は来たものの、珍しいことに一度も台風が上陸していなかった。
そのため、ムシムシする日もたまにあった。
勇也は、この時期毎年警報が出て臨休になるのを楽しみにしていただけにガッカリしていた。
中間テストの前にこの臨休が来たら勉強時間が増えて楽になるし、テスト後に来たら流山達と遊びに行けるのだ。
しかし、今年は美雪と一緒だ。
休みになったら一緒に出掛けたかったのだ。
土砂降りだって構わなかった。


その日も勇也と美雪はあのゲーセンにいた。
『控え室』でのデートが当たり前のようになっていたのだ。
美雪とつき合うようになってから、勇也は出来るだけ毎日ここへ来ていた。
学校が終わると、家に帰る時間も惜しんで妹から無断拝借しているチャリでやって来るのだ。
ここまで1時間近くかかるのだが、美雪に会えると思えばそんなことなんでもなかった。
更に美雪も本屋のバイトがあるので、2人が会える時間は毎日ほんの1時間位である。
しかし満足だった。
美雪の顔さえ見れれば、声さえ訊ければ……


美雪とつき合うようになってから勇也は変わった。
何事に対しても随分積極的になった。
人見知りもあまりしなくなった。
そして優しくなった。
あの日以来、人が変わったようだった。何かが吹っ切れたのだ。
美雪を好きという気持ちが勇也をここまで変えたのだろうか。



「冗談だって。俺の誕生日は来月だよ」
「そうなの?じゃあ今は2人とも同い年だね」
「えっ!美雪って」
「私は6月24日生まれだもん」
「そうなのか……何か面白いな、学年が違うのに同い年なんて」
「うん!」
勇也は、そんな美雪を可愛いと思った。
「俺達最高のカップルだな」
勇也は自然とそう言っていた。
「そうだね」
「でも美雪の誕生日は過ぎちゃったのか……残念、プレゼントをあげられなかったな」
「しょうがないよ、まだ知り合ってなかったんだもん。そうだ、ゆーちゃんの誕生日にここでパーティーやろうよ!ケーキ作って、ご馳走食べて、そしてプレゼント交換しよう!!」
「お、いいな。美雪がご馳走作ってくれるのか?」
「んーどうしようかな?」
「俺、美雪に作ってほしいな」
「じゃあ考えとくね」
「やった。今から楽しみだな」
勇也は胸を踊らせた。

「あ、もうこんな時間だ」
勇也は腕時計に目をやる。もう9時を回っていた。
「えっ、あ、ほんとだ」
「送って行くよ」
「うん!」
勇也は美雪のこの笑顔がたまらなく好きだった。
この笑顔の為なら何でもしたいと思ってしまう。
勇也は心底美雪に惚れているようだ。


美雪の家は本屋から500メートル位の所にある。いつもあっという間に着いてしまう。
「それじゃ美雪、また明日な」
「うん!パーティー絶対やろうね!約束だよ」
「わかった」
「破ったら絶交しちゃうからね!」
「ああ、それじゃ」
「バイバイ、ゆーちゃん!」
そう言うと美雪は家に入って行った。



勇也は10時過ぎに家に帰った。母親が迎えてくれる。
「ただいま」
「お帰り、勇也。あなたちょっと最近遅すぎるんじゃない?」
「わかってるよ」
勇也は自分の部屋に鞄を放り投げた。
「それより、これから父さんから大切な話があるの」
「…………」
何か嫌な予感がした。そして、前にもこんなことがあった気がした。
居間へ行くと、妹も既に来ていた。
3人がテーブルにじっと座っている。
そんな中に勇也も腰を下ろした。
「何だよ、話って……」
「実はだな、転勤になったんだよ」
途端に勇也の顔が青ざめた。
「嘘だろ、おい!そんな話訊いてないぞ!!」
「本当だ」
勇也は父親に怒りをぶつける。
「そんな!こんな時期にどうしてだよ!!」
「仕方ないだろ、正式に決まってしまったんだから……俺だってな私立の高校と中学に通っている子供がいるから、引っ越さなくてもいいようなこの辺の転勤を希望してたんだ。
しかし無理だったんだよ。既に一回やっているからな。
覚えているだろ。勇也が中3になった時だ。あの時は奈美が中学に入学したばかりだったからな、なんとか頼み込んで今の所にして貰ったんだ。でも今回は……」
「嫌だ、俺はここに残る!!」
「無茶言うなよ、勇也。この辺にお前を預けられるような親戚はいないんだ。それにK高校には学生寮もないし……」
「一人暮らしすればいいじゃないか!」
「そんな余計な金はない!」
「…………」
「……わかってくれよ、勇也。本当は俺だって嫌なんだよ。奈美にはもう了解して貰った」
勇也は奈美を見る。
「それでいいのか?」
「だって仕方ないじゃない……」
奈美は悲しそうな顔をしていた。
やはり本心からは納得してないようだ。
勇也は怒りに満ち溢れていた。
「それでいつなんだよ、いつまでここに居られるんだ……」
「そうだな、俺は来週から行かなければならないが、お前達には色々と手続きや準備が必要だろうからな。今月いっぱいと言った所か……」
「あと2週間……」
勇也は絶望した。
そのまま部屋に駆け込む。
「……勇也」
「あなた、暫くそっとしておいてあげて」
「……ああ」



勇也は壁を叩く。
ダン!ダン!ダン!!
拳から少し血が滲んで来た。
しかし、勇也はやめようとしない。
ダン!ダン!ダン!ダン!ダン!!
「なんでだよ、なんでなんだよ!!」
ダン!ダン!ダン!!
「なんでこんな時に来るんだよ!……前もそうだった。小6の時、あの時だって……」
親友だったあの子のことを思い出す。
「また同じことを繰り返すのかよ……美雪、俺はどうしたらいいんだ。お前と離れ離れになりたくないよ……」
勇也は項垂れた。

美雪の言葉が脳裏をかすめる。
『パーティー絶対やろうね!約束だよ』
「……パーティー出来なくなっちまうよ」
『約束だよ』
「嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だあああああああ!!」
勇也の声が家中に響いた。

その時、日本列島に勇也の待ち望んでいた台風が近づいて来ていた……




20

今年初めて上陸する台風は、台風19号であった。よくこれまで上陸しなかったものである。
そのつけが回って来たと言う訳ではないのだろうが、この19号は大型であった。
現在945ヘクトパスカル。鬼のようなレベルだ。
こんなものが今夜にも谷川に来ると言うのだ。
シャレにならない。



唯と由美子は黒い雲を見つめていた。
しかし、黒く見えるのは台風が近づいて来ているからだけではなかった。
2人の気持ちも沈んでいたのだ。
あれ以来、純を見つけることが出来なかった。
既に純が失踪してから1ヶ月以上経つ。
由美子はあの時一度純の姿を見ているが、唯は一度も会っていないのだ。
唯は諦めずに今日までずっと探して来た。
信じられないことに、放課後になると毎日毎日純を探しに出ていた。
由美子も驚く程である。
しかしそろそろ限界だ。
黒い雲はそれを助長しているようだった。
ぼーっと雲を眺めていると、誰かに呼ばれた気がした。
「先輩、先輩!」
「純……」
「神代先輩!!」
「えっ!」
唯が振り返るとテニスウェアを着た子がいた。
「あれ?山峰さんじゃない……」
「あれ?じゃないですよ、やっと気付いてくれましたね」
「それで?」
「それで?じゃないですよ。先輩、今月から部長になったんですよ」
「うそっ!」
唯は驚いた。
「3年生は先月いっぱいで引退したじゃないですか」
「そ、そう言えば……」
「先輩、今学期に入ってから全然顔出してないからですよ。だから3年生の推薦で先輩が部長に決まっちゃいました。先輩は、2年生の中で実力ナンバーワンですからね」
「そ、そんなことないよ……」
「謙遜はいいですから、一緒に来て下さい」
「どこに?」
「どこにって……部活に決まってるじゃないですか」

その時、初めてテニス部のことを思い出した。
純のことで頭がいっぱいだったのですっかり忘れていた。
「……今度じゃダメ?」
「駄目です。今すぐです!!」
「うう……」
唯は反論できない。
ここで顔を出しておかないと完全に立場がなかった。
「由美子あのさ……」
「わかってるよ、先に加佐未に行って探しておくよ」
「ありがと……」
「じゃあ、後で家に連絡するから」
そう言うと、由美子は帰って行った。
「さあ先輩、行きましょう。まずはみんなに挨拶して下さいね」
「……うん」
唯はとぼとぼと山峰の後をついていった。



久々にテニス部に来た唯だったが、当然やる気はなかった。
こんなことしている場合ではないのだ。1秒でも早く純を探しに行きたかった。
以前は欠かさず出席していたものなのに。
唯がテニスウェアに着替えてコートに行くと、空がさっきより暗くなっていた。
山峰は部長として挨拶して下さいと言っていたが、
鬱陶しいので後で適当に言おうと思った。
練習中、色々な話し声が聞こえて来た。
特に最近よく出現する変質者の話が主だった。
「知ってる?また変質者が現れたんだって」
「あ、知ってる知ってる。もー信じらんないよね。
これで3人目だったっけ?」
「そうそう。最初は誰だったっけ?」
「確か3組の野崎リサでしょ。あれ以来ショックで学校にも来てないしね。未遂だったのにさ」
「でも知らない奴にヤられそうになったら私だってやだよ」
「そりゃそうでしょ。でさ、今回の子は最後までヤられちゃったらしいよ」
「うわあ、サイアクー!!」
訊いていた唯は、なんちゅー会話をしてるんだと思った。
「そう言えば野崎さんを助けたのが由美子と流山君だったけ……」
そんな話を訊いていると怖くなってしまう。
3人ともI女学院の生徒だった。なぜこうターゲットが絞られているのだろうか。
色々と考えていると、山峰に呼ばれた。
「先輩!」
「何?」
唯は挨拶しなかったことを言われるのかと思った。
しかし、違うようだ。
「先輩、新しく入った子を紹介します」
「えっ、こんな時期に誰か入って来たの?」
「そうなんです。おーい広田ー!」
「はい!」
すると、広田と呼ばれる子が出て来た。
「広田は先月末に入ったんですよ。私、同じクラスなんですけど、何かいきなり入りたいとか言って。広田、自己紹介して」
「はい!」
唯は何気なく広田を見ていたが、突然はっとした。
「えーと。私、広田美雪と言います!」
なんとそれは美雪だった。
「バイトがあって毎日は来れないんですけど、どうしても入りたくなって……あの、私、彼氏が出来たんです。彼、とっても素晴らしい人なんです。だから私、少しでも釣り合えるようになりたいんです」
なんて可愛いことを言う奴なんだ。
勇也が訊いていたら感動の余り気を失ってしまうかもしれない。
「へえ、そうだったんだ……」
山峰も関心する。
「そう……って先輩どうしたんですか?」
いつの間にか唯が美雪の目の前に来ていた。
そして美雪をじっと見ている。
「神代先輩?」
その途端、いきなり唯が叫んだ。
「あなたセグチじゃないの!!」
「えっ、違います。広田美雪です」
「誤魔化さないで!!」
唯は美雪の肩を掴む。
あまりの勢いに美雪は泣きそうになった。
「違います、違います……」
それを見て、山峰が止めに入った。
「ど、どうしたんですか先輩。しっかりして下さい!!」
それを訊いて唯は我に返った。
「そうだ、そうよね。第一あの女は私より背が高かった気がする。こんなに小さくなかった」
「こんなにって、先輩より5センチ位じゃないですか!」
美雪は怒りを露わにするが、唯は訊いちゃいない。
「なんだ、一瞬見た時は絶対そうだと思ったのに……やっぱり人違いか……ねえ、お姉さんとかいないよね?」
「私は一人っ子です!」
「そう……」
それを訊くと、急にイライラして来た。
早く純を見つけたい。
一度そう考えてしまうと、もう駄目だった。
突然唯はその場を走り去った。
美雪と山峰は呆然と立ち尽くしていた。



その頃、勇也はいつものゲーセンのソファに座っていた。
そしてずっと思い悩んでいた。
美雪に引っ越すことをはっきり言おうと思って来たのだ。しかし、美雪はまだ来ていなかった。
今日はバイトが休みの日なので絶対来てると思ったのだが。
一度拍子抜けしてしまうと何とも決心が鈍ってしまうものだ。今美雪が来ても話せそうにない。
「ああ、どうしよう……美雪の奴どう思うだろう……」
勇也は本当に美雪と離れたくなかった。
しかしどうすることも出来ない。
あと2週間でこの谷川の地を去らねばならない。
引っ越してしまうとちょっとやそっとでは会えなくなってしまうのである。
絶対に嫌だった。
「美雪……」
勇也はそのまま眠ってしまった。



その時、また夢を見た。
あの少女がまた出て来た。
彼女は優しく勇也に話しかける。
『どうしたの?そんなに落ち込んだりして……』
『大切な人と離れ離れになってしまうんだ』
『そう』
すると、彼女がそっと抱きしめてくれた。
何かとても暖かかった。
安らいだ気持ちになった。
君は……
君は……
君はいつも俺のそばに居てくれる。
君は……君は……
君は誰なんだ……
君は……
その途端、彼女はスッと消えてしまった。
『ま、待ってくれ!君は誰なんだ!!』
すると、彼女の声だけが聞こえて来た。
『私はいつもあなただけを見てるよ』



「はっ!」
勇也は目を覚ました。
目の前には美雪が立っていた。
「あ、ごめん、寝ちゃってたみたいだね。起こしてくれてもよかったのに」
「いいの」
「どうして?」
「だって寝顔がとっても可愛かったんだもん」
「えっ……」
美雪は勇也の横に座った。
そして優しく微笑みかける。
勇也はドキッとしてしまった。
「ねえ、ここに来て」
「えっ……」
「私が膝枕してあげる」
勇也は何とも言えなかった。
しかし、体が自然と美雪のもとへ行っていた。
とても柔らかかった。
心が和んでいくのが解った。
勇也は恥ずかしがるのも忘れていた。
美雪には勇也をどうにかしてしまう魔法の力でもあるのかもしれない。
そう感じた。
美雪の優しい顔。
今、自分だけが独占してるんだ。
ほのかに甘い香りがした。
 
「ゆーちゃんあのね、ずっと内緒にしてたんだけど、私テニス部に入ったんだ」
「……へえ」
「私ゆーちゃんにふさわしい人になれるように頑張るんだ。そして、ずっとずっとゆーちゃんと一緒にいたい。ずっと……」
美雪は勇也の顔を見る。
「……あれ、また眠っちゃってる。可愛い……」
美雪は勇也の頬にそっとキスをした。
このまま時間が止まってほしかった。
美雪の恋愛感情は急激に高まって来ていた。



その夜、雨が激しく降り始めた。
もの凄い稲光がその勢いを象徴している。
そんな中を傘もささずに歩いている子が居た。
唯である。
「純……純……」
唯が学校を飛び出した後、ずっと探していた。
雨のことなど気にならなかった。
ただ純の姿を見つけようとしていた。
他のことはどうでも良かった。



10時頃、由美子の家に電話が掛かってきた。
「あ、こうちゃんに電話するの忘れてた」
由美子は慌てて受話器を取る。
「はい水島です。こうちゃん、ごめんね。つい」
「由美子ちゃん?」
「えっ……」
「あの、唯はお邪魔してません?」
どうやら電話の主は唯の母親のようだ。
由美子の顔色が変わる。
「えっ、まだ帰ってないんですか!!」
「ええ……あの子一体何処へ行っちゃったんだろ」
「あの馬鹿……わかりました。唯さんが来たらすぐに連絡します」
「お願いします」
ガチャ。
そう言うと電話は切れてしまった。
由美子は立ち上がった。
「こんな雨の中何やってるのよ……」
由美子は傘を持って玄関のドアを開けた。
すると、誰かがインターホンを押そうとしていた。
「る、流山君?」
それは流山だった。
「ちょうどよかった」
「一体どうしたの?」
「木下の奴がまだ帰ってないんだってさ。木下の親から連絡があったんだ。最近いつもこうだからどこに行っているのか知らないかって。もしかしたら神代さんの家にでも行ってるのかと思ってな。電話番号が解らないから水島さんに訊きに来たんだ」
流山は勇也と唯の関係をまだ夏のままだと思っているらしい。
「こうちゃんの家にはいないよ」
「どうして解るんだ?」
「こうちゃんもいないのよ。だから今から捜しに行こうと思って……」
すると流山の顔色が変わった。
「こんな時間に探しに行こうと言うのか!!あの変質者がまた現れたらどうするんだ!!!」
「だってこうちゃんが……」
「こうちゃんがじゃない!!君にまだ何かあったらどうするんだ!!」
「…………」
由美子は俯いてしまった。
「……すまん、ちょっと言い過ぎたな」
「気にしないで、流山君は私のことを思って言ってくれたんだから……ありがと」
「そ、そんなんじゃ……俺はただ……」
「ただ?」
「もういい、俺が代わりに探して来てやる。この際木下の奴のことはどうでもいい。神代さんの方が心配だ。君はここで待ってろ!!」
すると由美子は流山の元に駆け寄った。
「お願い、私も連れてって!!」
「無茶言うな、危険だ!」
「お願い……」
「…………」
「…………」
「……解ったよ。その代わり俺から離れるなよ」
「うん!」
2人は走り出した。
唯を探す為に。
雨はますます激しくなって来た。



唯は『下町』を歩いていた。
由美子が純を見たと言う辺りだ。
唯はずぶぬれになっていた。
雨に濡れた髪が、制服にピタリと張り付いていた。
しかし、そんなことは気にもせず純の姿を探していた。今が何時であるかも気にならなかった。
どうしても今日会いたかったのだ。
それは美雪に裕子の姿を見たからだった。
あの時の光景が甦ったのだ。
その時だった。
突然何者かに背後から口を押さえられたのだ。
唯は藻掻いたが、そのまま暗がりに連れて行かれてしまった。
暗がりに来ると、そいつは唯を突き飛ばした。
「きゃっ!」
唯はそいつを見た。
そこには全身黒ずくめの男が立っていた。背はかなり高い。サングラスをしていて顔は解らない。
「もしかしてこいつがあの変質者……」
唯は後ずさりした。しかしすぐ壁にぶち当たってしまった。それを見て、男はニヤリと笑った。
唯に危機感が走る。
「いや!やめて!!」
男が唯に襲いかかる。
「いや!いや!!誰か助けて!!」
「こんな所に誰も来やしないよ」
男は唯の制服を引きちぎった。
「いや!助けてじゅ―――――――ん!!」
「黙れ!」
ドスッ!
唯は腹を殴られて気を失ってしまった。
「ゴチャゴチャ言いやがって……まあいい。さあ楽しませてもらうかな」
そう言って男は唯の下着に手をかけた。


その瞬間男は空を舞った。
「ぐふっ!!」
だが、男はすぐに立ち上がった。
「だ、誰だ!!」
よく見ると、175センチ位の男が立っていた。
「…………」
「くそっ、こんな所に人が来るとは……ぐおっ!!」
その男はいきなり変質者の腹に拳をめり込ませた。
変質者は体をよろつかせる。
かなり強烈な攻撃である。
「こ、この野郎……やる気だな――――げほっ!!」
今度は脇腹にケリが入った。
変質者はすっ飛んで壁に突っ込んだ。
ズジャッ!!
「う、うう……」
変質者はゆっくりと体を起こした。
「ま、まさかじゅ、純てお前のこと……」
「何のことや、訳わからんこと抜かすな!」
「あ、あああ……」
変質者は震え出した。
「貴様、よくも唯に手を出してくれたな!!絶対生かしておかへんで!!」
「ゆ、許してくれ……」
「黙らんかい!」
「ひっ!!」
変質者は腕でガードする。
バキイイイイイイ!!
「ぐぎゃあああああ!!」
男は変質者の右腕をへし折り、そのまま殴り倒した。
「た、助けて……くれ……」
すると、男は変質者の前に立った。
「唯はな、わてのもんや!!貴様ごとき下等なクズに触れる資格なんかあらへん!!さっさとこの場から消え去れ!!!!!」
「ひ、ひいいいいいいいいい!!」
変質者は体を引きずって逃げていった。


男は唯を見つめた。
唯はとても悲しそうな顔をしていた。
「久しぶりやな、唯」
男は唯の顔にかかった髪を優しく掻き分けてやった。
ついに2人は再会したのである。

続く