9.存在16/17

16

気がつくと朝になっていた。
その夜は美雪のことで頭がいっぱいで全然眠れなかったが、さすがに少しは眠ったようだ。
「今日もあの本屋へ……って今日から学校じゃないか!!」
時計を見ると8時15分である。
シャレにならない。
勇也は飯も食わずに家を飛び出した。
再び妹のチャリを無断拝借する。
バレたら妹に殺されそうだが、そうならないように天に祈るばかりである。
勇也は6年間皆勤を狙っていた。
中学時代の勇也は勉強人間であったので否応なしに学校に行っていたのだが、高校に入ってからは壇ノ浦の影響であった。
奴は遅刻・欠席を何があっても許さないと言うのだ。
もししたら命はないと言うのである。
おかげで勇也のクラスの出席率は高1から100パーセントである。
卒業する時にはクラス全員が3年間皆勤になってしまいそうである。
特に中学で皆勤だったのは勇也だけであったので、余計プレッシャーがかかっていた。
勇也は教室に飛び込んだ。
「よっしゃ、ギリギリセーフ!!」
「何がセーフなのかね?」
「はっ!」
勇也は恐る恐る後ろを振り返る。
「だ、壇ノ浦先生!」
壇ノ浦は不気味な笑みを浮かべている。
「木下、今日は俺の前に教室に入ったから見逃してやろう。だが、二度はないと思え!!」
「す、すいません!!」
勇也は壇ノ浦の気迫に圧倒されていた。
寝ていた頭も醒めてしまった。
「解ればよろしい!よし、もう礼はなしだ。お前ら席に着け!!」
みんな慌てて席に着く。
「さて、高2だけ2学期が始まるのが半月ほど遅れてしまった。と言うことはどういうことか解るか?」
みんな顔を見合わせる。
バアアアアアアアアン!!
壇ノ浦は紙の束を教卓に叩き付けた。
「今から9月2日にやるはずだった模試だ!」
その言葉にクラス全員が気を失いそうになったのは言うまでもない。



放課後、勇也はゲッソリしていた。
まったく滅茶苦茶である。
模試の後、なんと授業があったのだ。
昼から始まった授業は3時間に渡り、終わった頃には4時半になっていた。
合宿から帰ってきた時の話では、今日は始業式だけだと訊いていた。これも学園最強の男壇ノ浦の力であろうか。
終礼が終わったのにも関わらず、机に倒れ込んでいる奴がいた。
もちろん勇也である。
睡眠不足と壇ノ浦の無言の圧力(遅刻しそうになったせい)でボロボロになっていた。
そんな姿を流山が発見した。
「木下、しっかりしろ!」
「……なんだ、流山か」
「なんだじゃない、しっかりしろ」
流山がマジで心配しているようだ。そんなに死にそうな顔をしてるのだろうか。
勇也はなんとか平常を装ってみる。
「なんともないぜ、流山!」
「木下クン!」
「だああ!!」
勇也の気合いはその一言でもろくも崩れた。
ゆっくりと顔を上げる。
木下クンなどと呼ぶ奴は一人しかいない。
岸山の奴だ。
「どうしたんだい?」
「お前が来たから気分が悪くなったんだよ」
「またまた」
岸山は軽く笑う。
「それより、今日は生徒会の会議があるんだ。テーマは……あれ?」
勇也の姿は既になかった。
2人は校門の前まで逃げて来ていた。
「最近女の子ネタばかりで気分よかったのに、なぜいきなり地獄に叩き落とす!」
「誰に言ってんだ、木下」
「気にするな」
「それより、お前ほんと岸山に好かれてるよな」
「放っとけ!」
勇也はイライラしながら答える。
「俺はな、奴程嫌いな奴はいないんだよ。まったくほんと迷惑な話だ!!」
「木下クン」
「うわあああああああああああああああああ!!」
勇也は気を失いそうになる。
「き、岸山……」
なんと岸山が後ろに立っていたのだ。なんともばつが悪い。
「な、なあ、今言ったことは言葉の弾みと言う奴で……」
「何の話だい?」
「へっ?」
「ほら、木下クンの彼女だよ。君を探していたから連れてきてあげたんだ」
「彼女?」
まさか美雪……な訳ない。
「神代さん!!」
勇也は驚いた。
岸山の陰に唯が立っていたのだ。
「木下君、久しぶりだね」
「神代さん、どうしてここに……」
「どうしても話したいことがあるの」
「…………」
唯の目は寂しさに溢れていた。何か抱きしめたくなってくる。
「はっ、と、とにかくどこか話せる場所に行かないか?」
辺りを見回すと人がジロジロと見ていた。
「う、うん……」
「それじゃ岸山」
「解ってるよ、僕が生徒会にはうまく言っておいてあげるよ」
「ほ、本当か!」
勇也は何か信じられなかった。この岸山がこんな気配りをするとは思ってもみなかったからだ。
「それじゃ、流山、岸山、またな」
そして勇也と唯は学校を後にした。
さっきの気配りには流山も関心していた。
「岸山、お前って案外いい――――なっ!」
その瞬間、流山は心臓が止まりそうになった。
岸山からもの凄い殺気を感じたのだ。
流山は剣道をやっている。こういう殺気とかには多少敏感なのかもしれないが、ここまでのものは見たことがなかった。
冷や汗が流れる。
しかし、その殺気はすぐに消えてしまった。
岸山はニコッと笑った。
「岸山、お前……」
「何だい?……あ、もう会議が始まっちゃうな。それじゃ流山クン」
そう言うと岸山は校舎へと走って行ってしまった。
流山は暫く金縛りにでも遭ったかのように動けなかった。



K高校は今中駅と伊東駅の間の穿野駅のすぐ近くにあった。
勇也は、唯を穿野駅の近くの公園に連れて来ていた。
ここもあの勇也と家の近所の公園と同じで、人気があまりなかった。
やはり、今時公園などは流行らないのだろうか。
勇也はここの来るまでの間、ずっと唯のことを見ていた。
彼女には、以前のあの元気でハキハキしたあの面影はない。
由美子から話は訊いていたが、まさかここまでのものとは思ってもみなかった。
今にも消えてしまいそう、それが今の彼女の印象であった。
そしていつもより随分大人っぽかった。
女の魅力とでも言うのだろうか、そんなモノが伝わって来た。

これもみんな純が失踪したせいなのだろう。
ほんの1ヶ月前まで勇也が好きだと言っていた子とはとても思えない。
勇也自身も美雪に心を奪われてしまった。
両方が心変わりしてしまったというのはなんとも悲しいことである。
もしあの勉強合宿がなければ、確実に勇也と唯は恋人同志になっていただろうに。
それを思うと勇也も気まずい。

「ど、どうしたの?わざわざうちの学校まで来てくれたりして……」
勇也はわざと何も知らないふりをした。
「優しいね、勇也君」
「えっ!」
その瞬間、ドキッとしてしまった。
唯が『木下君』ではなく、『勇也君』などと言ったからだ。その口調もとても優しい。
「な、何のこと?」
「ほんとは知ってるんでしょ、純の奴が失踪したこと」
「ま、まあ……確かにずっと学校にも来てないみたいだし。先生達も大騒ぎしてるよ。こんなことは学校始まって以来だって」
勇也は何か話し難かった。唯が純のことを心配しているのがヒシヒシと伝わって来るのだ。何と言ったらいいか解らない。
「あのね、純があの瀬口とかと言う子と失踪するまでは勇也君のことが好きだったよ。ううん、今も好き」
「…………」
「でもそれ以上に私には純が必要なの。それが純が失踪して初めて解ったわ。
あいつは幼い頃からずっと私のことを見ていてくれた。色々としてくれた。
だからそれが当然だと思っていた。いつも一緒に居てくれたからあんなに安心していられたんだ……
だけど、だけど、今はもう純はいないんだよ。帰って来ないんだよ……
私どうしたらいいんだろ、解らなくなっちゃった」

唯の目から涙が溢れた。
その顔はとても美しかった。儚かった。
抱きしめたくなる。
しかし勇也にはそんな資格などない。
自分は美雪が好きなのだ。そう自覚したからには唯にそんなことは出来ない。
確かに今の唯なら簡単に落とせるかもしれない。しかし、それは人間として最低の行為だと思う。
そう感じられた。
だからここはうまく慰めてあげることが大切だと思った。このまま唯が泣いているのを放って置くことは出来ない。
「神代さん」
「えっ……」
「俺も探すのを手伝うよ。先輩をきっと見つけだしてやる!!」
「ほんと?」
「ああ、なんとしてでも」
それを訊くと、唯は勇也に抱きついて来た。
メチャメチャ恥ずかしかった。
こんなことをされたら、ますます歯止めが効かなくなりそうである。
「神代さん……」
勇也の手が唯の体に回りそうになる。

『ゆーちゃん!』
その途端、脳裏に美雪の笑顔が浮かんだ。
「はっ!」
勇也は咄嗟に唯を離した。
「勇也君?」
勇也は一瞬でも唯に手を出そうとした自分を悔やんだ。
「あ、あのさ……俺、今から探して来るよ……」
「えっ!」
「それじゃ見つけたら真っ先に連絡するから!」
「ちょ、ちょっと!」
勇也は唯をその場に残してチャリを漕いで行ってしまった。
もう限界だった。
唯とは一緒に居られなかった。
自分が抑えられなくなりそうだった。



ちょどその頃、由美子は加佐未を歩いていた。
もちろん1人である(唯は穿野にいた)。
以前は唯と一緒に帰るのが当然であったが、2学期に入ってからはほとんど一緒に帰っていなかった。
と言うか帰れなかった。
唯は授業が終わるとすぐに学校を飛び出して行ってしまうのだ。
純を探すためだろう。
しかし、どうしても見つからなかった。
「こうちゃんの奴、ますますやつれて行っている気がする。早く西山君を見つけてこうちゃんを安心させてあげなきゃ――――――――って西山君!」
由美子はその時はっきりと見た。
純と裕子の姿を。
2人は手を繋いで仲良く歩いている。
いかにも恋人同志と言った感じだ。
本当に幸せそうである。
「な、何あんな幸せそうな顔して歩いてるのよ……こうちゃんの気も知らないで……」
由美子は怒りを覚えた。
「私がこうちゃんの元へ引っ張り出してやる!」
そう意気込んだが、すぐ躊躇した。
「いや、今捕まえるよりも西山君の居場所を突き止めて、こうちゃんに直接ギャフンと言わせた方が効果的かも……」
由美子は純と裕子を尾行する事にした。
端から見ると、由美子の行動はかなりやばいような気もする。
純と裕子はデートしていたのだろう。
最初は映画へ、次はレストランへと如何にもデートコースを辿っていた。
「西山君たらこうちゃんというものがありながら一体何やってるのよ!」
尾行していくうちにますます腹立たしさが募って行った。
とか言っているうちに今度はボーリング場に入って行った。
「ちょ、ちょっとまだ行く気?」
由美子も慌てて後を追っていく。
随分財布の中身が軽くなってきた気がする。まったくいい迷惑である。
由美子は純達とはかなり離れたレーンで独り寂しく投げていた。
ボーリングは何人かで楽しく投げた方がいいに決まっている。独りだと虚しくなるばかりである。
由美子が2人の様子を見ていると、誰かに名前を呼ばれた。
「キャッ!!」
由美子が驚いたのは言うまでもない。
恐る恐る振り返ると、それは流山だった。
「水島さんじゃないか、何やってんだ?」
「る、流山君!」
由美子は赤くなる。
こんな現場をまさか流山君に見つかっちゃうなんて……
「な、何って……も、もちろんボーリングしてるのよ」
メチャメチャ動揺している。
「そうか?なんか向こうの方をじっと見ていたような気がしたんだが……」
流山はその方向を見た。
「あっ!西山せ―――――――うぐっ!!」
由美子は慌てて流山の口を押さえて物陰に隠れた。
純が気付いたのか、辺りを見回している。
「う、うう……」
「あ、ごめん!」
由美子は手を離した。
「ぶはあ!死ぬかと思ったぜ……しかし」
流山は純に気付かれないように様子を窺った。
「失踪中の西山先輩があそこに居て、水島さんがここに居るということは……」
流山はじっと由美子を見た。
「なんで尾行なんかしてんだよ。早く誰かに知らせた方がいいんじゃないか?」
すると、由美子は手を合わせた。
「お願い!こうちゃん自身にガツンと言わせたいのよ。だから……ね?」
「俺に黙っていろと?」
「お願い!」
「……そこまで言われたら仕方ないか」
「ありがとう、流山君!」
「れ、礼を言われるようなことはしてない」
流山は照れくさそうに横を向いてしまった。
由美子はそんな流山が可愛いと思った。
「おい、西山先輩が帰るみたいだぞ」
「えっ!」
由美子が我に返ると、確かに純達は帰ろうとしていた。
さっき流山に名前を呼ばれて警戒したのだろうか。
「流山君、行こう!」
「行こうって、これから俺は剣道部の奴らとボーリングを……っておい!」
由美子は流山を無理矢理連れて純達の後を追った。


由美子と流山は純達の行動を観察していた。今はあの『下町』に来ている。
「おい、なんで俺まで……」
「だってもうこんなに暗くなっちゃったし……」
それもそうである。もう9時を回っていた。さすが『下町』なだけあって、辺りには怪しそうな奴もいっぱいいた。
「……仕方ない、また変質者に襲われたら困るからな」
「ありがと」
「ば、馬鹿野郎……俺は男として当然のことをしているだけでな……」
「はいはいわかりました」
流山は完全に由美子のペースにはまっていた。
「でもさあ」
「静かに!」
今度は流山が由美子の口を押さえた。
純と裕子が歩みを止めたのだ。
流山はそのままの状態で電柱の陰に隠れた。
すると、純と裕子はラブホテルへと入って行った。
「う、うう……」
「あ、すまん!」
「ふう!!」
由美子はおもいっきり息を吐いた。
「しかし、これはどういうことだ?これじゃ先輩、あの女と同棲してると見た方が妥当だな」
「ど、同棲……」
由美子の顔が真っ赤になる。
「何お前が照れてるんだよ」
「えっ、だ、だって……」
「しかし、先輩がこんな女たらしだったなんて思わなかったな。どうせあの女にたぶらかされたんだろう。だから女は信用ならないんだ」
「…………」
由美子の顔色が変わった。
「どうしたんだ、水島さん?」
「流山君……」
「なんだ?」
「……い、いや、もう帰ろう」
「えっ、急にどうしたんだ?さっきまであんなに意気込んでたのに……」
「うん、何かどうでもよくなっちゃった……」
「訳わかんない奴だな、お前」
「いいの……あ、今日のことは」
「わかってる、内緒にしといてやるよ」
由美子はラブホテルの方を見た。
しかしこうちゃん、これは予想以上に手強いかもしれないよ……
どうする?こうちゃん……



「もうこんな時間になっちまった……西山先輩はどに行っちまったんだよ!」
勇也はベットに鞄を投げつけた。
時計は既に9時半を指していた。
勇也はあれからずっと純のことを探して街中を駆け巡っていたのだ。
一度約束をしてしまったからには、見つけないとイライラして仕方なかった。
勇也はベットに寝転んだ。
「ふう、何か大変な一日だったな」
冷蔵庫からふんだくってきた缶ジュースのプルトップを開ける。
「今日はもう寝るか……」
『ゆーちゃん』
「はっ!」
勇也は缶ジュースを落とした。中のジュースが床にこぼれる。
『ゆーちゃん』
「な、何だろ、この気持ち……」
突然胸騒ぎがしたのだ。
気付くと、勇也はチャリで走り出していた。
自分でも訳が分からなかった。
こんな時間にあの本屋へ行って何になると言うのだろう。
しかし、どうしても行かねばならない気がした。
この前と同じ気持ちだ。
どうしてこう思えるのだろう。
わからない。
わからない。
ただ、美雪が待っているような気がするのだ。
10時過ぎ、氷上町の本屋に着いた。
言うまでもなく閉まっていた。
「やっぱりね……こんな時間に彼女がいる訳ないか……」
勇也は帰ろうとした。
「―――――――――――えっ!!」
よく見ると、ゲーセンの方が少し明るい。
「まさか……こんな時間に彼女がいるはずがない」

勇也はゆっくりとゲーセンの中に入った。
腐った床がギシギシと言う。
奥の方を見ると、確かに明かりが付いていた。
そして『控え室』のドアを開けた。
すると、彼女が、広田美雪がいた。
昨日と同じようにソファに座っていた。
勇也は信じられなかった。

「やっほ!ゆーちゃん!」




17

勇也は驚きを隠せない。
美雪が本当にいるなんて……
もう10時を回っていると言うのに……
「広田さん、どうしてこんな時間まで……」
「こんな時間までって、ゆーちゃんが来るのが遅かったからでしょ!」
何か滅茶苦茶言っている。それじゃあ、俺が来なければずっとここに居たと言うのか。
「普通ここまで待ってるか?」
「だって必ず来るって信じてたもん。実際にちゃんと来てくれたじゃない」
「来たじゃないよ!こんな遅くに……最近この谷川を変質者が彷徨いているんだよ。君だって……」
しかし美雪は勇也の言うことなど訊きもしない。
「あれ、ゆーちゃんてK高校に通ってるんだね」
「えっ!」
「だって制服姿じゃない……って私もそうだった」
「それより」
「そうだ、ねえ、私がどこの学校に行っているかわかる?わかったらすごいよ!」
美雪は勇也に話をさせようとしない。
何か変である。
「そんなことは―――」
「いいから!」
「…………」
美雪がどこの学校かは解っていた。
神代唯や水島由美子と同じI女学院である。
昨日美雪の制服姿を見てすぐ解った。
「I女学院だろ」
「ピンポーン!そう言えばゆーちゃんて何年?」
「え、高2だけど」
「そうか、高2なのか……てっきり私と同じ高1かと思っていたのに……」
勇也も美雪が初めて年下であることを知った。
「ま、いいか。ゆーちゃんはゆーちゃんだもんね。それより大正解だったよね。何かプレゼントをあげなきゃ。えーと何にしようかな……」
勇也は明らかに美雪が変だと思った。
「広田さん、広田さん!」
「そうだ、私のキスなんかどう?」
「広田さん、俺の話を訊いてくれ!」
「なんなら私をそのままゆーちゃんに……」
「美雪!いい加減にしろ!!」
とうとう勇也は怒鳴ってしまった。
美雪は後ろを向いてしまう。
勇也はゆっくりと美雪の元へ歩み寄った。
「ごめん、怒鳴ったりして……それよりほんとどうしたんだよ。今日の君は絶対変―――――えっ!!」

美雪は泣いていた。
勇也はその泣き顔にドキッとしてしまった。
とても愛おしかった。
そのまま抱きしめてしまいそうだった。
美雪は涙を拭う。
「私なんてどうなってもいいのよ!」
「一体どうしたんだ?」
「ゆーちゃんのことからかってごめんね。でも私、どうしたらいいかわからないの。わからないの……」
「だから何が?俺に話してくれないか?」
「ゆーちゃんには関係ないよ」
「関係なくない!!」
「えっ!」
美雪は上目遣いで勇也を見た。
勇也は真剣な顔をしていた。
「関係あるよ!気になるんだよ、君のことが……君が辛そうな顔をしてるのを見たくないんだ!」
「ゆーちゃん……」
それを訊いて美雪は抱きついた。
あまり強烈だったので倒れそうな位だ。
「うっ、うっ……ゆーちゃ―――ん!」
美雪は勇也の胸元で大声を上げて泣いた。
勇也は暫くそのままでいた。


勇也は美雪が泣きやんだ後、彼女とソファに座らせた。
そして自分も彼女に対峙するようにして座った。
「広田さん、話してくれるね?」
美雪は静かに頷いた。
「うちの父さんね、半年前にリストラに遭ってから、新しい仕事を探そうともせず、1日中酒ばかり飲むようになったの。だから私と母さんで働かなきゃならなくなったのよ」
「だから本屋でバイトを?」
「そう、ほんとなら高校生じゃ出来ないんだけど、事情を訊いて店長が許してくれたの」
勇也は、あの時、美雪のことを店長に言いつけようとした時、ひどく動揺したのはこの為だと理解した。
今、このバイトをやめさせられたら、生活が危うくなってしまうのだ。
「それで、私と母さんで少しずつお金を稼いで生活をして来たの。それなのに今日……」
美雪はそこで口を閉ざしてしまった。
「広田さん、辛いならもういいよ」
「ううん、ゆーちゃんに訊いてほしい。訊いてほしいの」
「広田さん……」
「今日、父さんが家にあったお金を持って家を出て行っちゃったの……」
「そんな……」
勇也の顔色が変わった。
「ここ数日、父さんはずっと母さんとケンカしてたの。かなり酷かったわ。母さんは何度も殴られた。私はどうすることも出来なかった。毎日怖くて泣きそうだった。父さんに殺されるかもしれない。そう思うと夜もろくに眠れなかった」
「…………」
「そして今日、母さんを殴った後、父さんは出て行った。……多分二度と帰って来ないと思う。もうどうしたらいいか解らなくなっちゃった。父さんが再就職するのを待っていたのに……」
「広田さん……」
「そしたら急にあなたに会いたくなったの。どうしてだろうね?ゆーちゃんならまた来てくれる、そう考えていた」
「…………」
「そしてほんとに来てくれた……とっても嬉しかったよ」
美雪はまた泣きそうになっていた。瞳が潤んでいる。
慰めなきゃ、俺が慰めなきゃ!

「……大丈夫だよ、きっと何とかなる!」
「どうしてそんなことが言えるの?」
「すべては努力次第だよ。俺は中学の時、ずっと孤独だった。誰も話し相手がいなかった。些細なことがきっかけでみんなは俺のことを無視し続けたんだ。3年間ずっと……」
「うそ……」
「俺はずっと耐えた。いつかなんとかなると。時間が解決してくれると。そう信じていた。
何度も学校をやめたいと思った。でもすぐに考え直した。とことん対抗してやろうと。
だから3年間無遅刻無欠席通してやった。俺は最後まで耐え抜いたんだ。
そして高1になった時、ひょんとしたことから委員長になった。
それからは友達も出来るようになった。高2になった今では、そいつらとも普通に話している」
「…………」
「俺でも出来たんだ。スケールが違うかもしれないけど、君だって絶対にこの苦境を乗り越えられるはずだ!!自分に負けない限り……」
「自分に負けない?」
「そうさ、やる気さえあれば何でも出来る。俺はそう信じている」
すると、美雪が今日初めて微笑んだ。
「……ありがとう、ゆーちゃん。何か勇気が沸いて来たよ。やっぱりゆーちゃんて頼りになるね」
「…………」

勇也はその言葉を訊いて止まってしまった。
頼りになる?
この俺が?
この俺が頼りになるというのか?
こんな人見知りの激しい俺が?
女の子の前に立つとあがってしまって何も話せなくなる俺が?
勉強人間のこの俺が?
他人のことより自分のことを優先する俺がか?

勇也は美雪を見た。
「そうか、だからゆーちゃんに会いたくなったんだ。
ゆーちゃんは私の支えになってくれるもの」
この子が俺を必要としてくれているのか?
この子は俺を支えとしてくれるのか?
…………



なんだ、俺が存在する理由はここにあったのか。

その時、何かが弾けた。



突然勇気が沸いて来た。
恥ずかしいという気持ちが無くなっていく気がした。
拒絶されるという恐怖心もどこかへ吹き飛んでいた。
自分の心が素直になっている。
今なら言える、そんな気がした。


勇也は立ち上がった。
そして美雪の前に立った。
「広田さん」
「えっ!」
「俺達、まだ会ってからほんのちょっとしか経っていないのにこんなことを言うなんて馬鹿げているかもしれない。それもこんな時に……でも今言いたい」
「…………」
「君が好きだ、好きなんだ!初めて会った時からずっと君のことが頭から離れなかった。そして、今解った。俺は君に出会うためにこれまで生きてきたんだよ」
「ゆーちゃん……」
「だからつき合ってほしい。もっと俺を必要としてほしいんだ」
それを訊いて美雪はゆっくりと立ち上がった。
彼女は俯いていたが、すぐに勇也を見た。
その瞳は涙でいっぱいだった。
「……はい」
2人は暫く見つめ合った。時間は止まっていた。
「美雪……」
「ゆーちゃん……」
2人は強く抱きしめ合った。

続く