3.出発前/

「流山、久しぶり!」
夏も盛りを過ぎた今日この頃。勇也がC組に駆け込んで来た。
「おう、木下、元気そうだな。3週間ぶり位か?」
真剣な面持ちで小説に読み耽っていた流山が顔を上げた。
そう、今日はいわゆる登校日という奴だ。
一体何を考えてこんな日を作ったのかは定かではないが、遊び惚けていた生徒にショックを与えるものではないかと思っている。
周りを見ると、真っ黒に日焼けしている者もいれば、髪を染めている奴もいる。
それを見るだけで、各々が夏休みを満喫していた様子が窺える。
しかし、ここはさすが学校最強の男、壇ノ浦である。
校門の所でちゃっかり頭髪服装検査(しかも抜き打ち)をやっているのだ。
一部の噂では、奴はこんなことを生き甲斐にしているらしい。
もしかしたら、壇ノ浦の奴が登校日を作ったのかもしれない。
「そういえば、最近、あの子とはどうなんだ?」
流山の何気ない言葉が純情な勇也を襲う。
「る、流山、声が大きいって!!」
勇也は血相を変えて流山の口を噤むと、そのまま廊下へと連れ出した。
高鳴る心臓を無理やり落ち着かせる。
「ま、まったく……他の奴らに聞かれたらどうするんだよ」
「いいじゃないか、別に」
「よ、よくない!! 俺が神代さんとデートしてるとかなんて、奴らが知ったら、75日は噂されてしまうだろ!」
「それを言うなら49日だ。それに、俺には何の関係もないからな……で、どうなんだ、実際?」
「お前、興味ないとか言っている割にはちゃっかり聞いてくるな」
「お前を心配してやってるだけだ」
「ほんとかよ?」
「で?」
「うう……それは……」
勇也は再び顔を赤くする。
「お前なあ、それぐらいで照れるな!」
「ほっとけ!」

勇也は暫く押し黙っていたが、流山に勝てないと悟ったのか、渋々口を開いた。
夏休み中の神代唯との出来事を話す。

「そうか、向こうから誘われてばかりか……ほんとに気に入られてるな」
「そ、そうなのかな? 俺、不安だよ」
「何を不安になっているんだ? 今時、それ程積極的な女もいないと思うが」
「そ、そうだけど」
「それで、もう告白したんだろうな?」
「えっ!?」
「おい、もう少ししっかりしたらどうだ」

流山は頭を抱える。
女を信用していない流山だが、親友の恋路はしっかり見守ってやりたいらしい。

「お前の今の気持ちはどうなんだ?」
流山が真っ直ぐな瞳が勇也を見据える。
「できれば神代さんと付き合いたい……彼女は俺のことを理解してくれている。こんな俺でもいい人だって……そんなこと言ってくれたのは、彼女が初めてだと思う」
「良き理解者か……いや、そうなろうとしてくれてるのかも」
「なろうとしている?」
「そうだ。お前のことをもっと知りたい、いい部分を見つけたいと思ってるのかもな」
「神代さんが……」
キーンコーンカーンコ−ン。
「あ、HRが始まるぞ。戻ろう」
「ああ……」
神代さんが俺のことを理解しようとしてくれている?
もしかして、それって……
勇也は教室に戻るまで、ずっと考えていた。


勇也がボーッと考えながら窓の外を見つめていると、壇ノ浦が教室に現れた。
「…………」
勇也はやはり外を眺めている。
「おい、木下! きのしたっ!!」
「えっ、なんだよ?」
「号令だよ、号令。お前、委員長だろ?」
ハッとして教壇の方を見ると、壇ノ浦が物凄い形相でこちらを睨んでいた。
「き、起立っ!!!」
一斉に爆笑がわき起こった。勇也は恥ずかしくて泣きそうになった。
「何か休みボケしてる奴もいる様だが、話はちゃんと聞けよ」
また笑いが起こる。
「何がおかしいんだよ……ったく……」
「木下、俺が話している時は黙って聞け!!」
「す、すいません」
「まあいい。みんなよく聞け! これから重要な話をする!」
生徒達はざわめき始める。
「なぜ今日という日があるかわかるか?」
「先生が生徒をイジメるため!」
どっかからそんな声が聞こえ、また大爆笑が起こった。
しかし、壇ノ浦が鋭い一瞥をくれてやると一瞬にして静まり返った。
そのまま続ける。
「みんな喜べ! 来週の27日から31日の間、勉強合宿をすることになった」
「「ええーーーーっ!?」」
一斉に反論の声が起こる。
「黙れ! 本来は高3だけがするはずだったんだがな。夏休みボケで腑抜けてるお前らを見て、俺が学年団と話し合って全学年にしてやったんだ。ありがたく思え!!」
この瞬間、みんなの顔が青ざめた。
「場所は、谷川の北の剣ノ山にある、うちの理事長が経営しているホテルだ! 朝から晩までたっぷりしごいてやるから覚悟しておけよ!!!」
壇ノ浦は豪快に笑いながら、合宿のしおりを配り始めた。
何だか、とんでもないことになりそうである。


「木下、なんか大変なことになって来たな」
流山は大きくひとつため息をついた。
それに続いて、勇也もため息をつく。
「ああ。全員強制参加とは、なんとも壇ノ浦らしい」
「まったくだ。31日まで合宿して、1日から新学期という訳だな。となると、休みは実質26日までか……来週、ツーリングに行きたかったんだが」
「そう言えば、最近ごめんな。一緒にチャリ旅行に行けなくて……」

勇也と流山はよく、日帰りか一泊二日で、どこか目的地を決めてツーリングに出かけていた。
ふたりとも、マウンテンバイクに跨ってあちこちを駆け回るのが好きなのだ。
共通の趣味がほとんどないふたりにとって、これが唯一の接点とも言えた。

「気にするな。お前も色々と忙しくなって来たしな」
「面目ない。そうだ、それなら、今日これからはどうだ?」
「ん、そうだな。それもいいか……」
しかし、その時、誰かに呼ばれた。
「おーい、木下!」
「あれ、吉本……はっ、もしかしてお前が来たってことは……?」
「ご名答。会長が集まれってさ。どうも来週の合宿での仕事についてらしいぞ」
「えっ……悪いが俺は帰るぞ。奴の顔なんか見たくもない」
「ま、待ってくれよ。お前が来なかったら、俺があの会長に取り付かれちまう!!」
「ぐっ……仕方ない。ごめん、流山。今日はツーリングには行けそうにない」
「そのようだな。じゃ、俺は帰るよ」
「じゃあな」
流山は帰って行ってしまった。
「それじゃ行くか、木下」
「できれば俺も帰りたかった……」
勇也はまた大きくひとつため息をこぼした。


生徒会室に行くと、岸山が待ち望んでいたかのように近づいて来た。
「木下クーン!!」
「な、なんなんだ、お前は!!」
「連れないこと言わないでさ。それより、これ。勉強合宿での仕事のシフト表だよ」
「わ、わかったから近づくな!」
勇也は岸山からシフト表を奪い取る。
「そう言えば、どうして文化祭の後、打ち上げにこなかったんだい?」
「え、ああ、そう言えばそんなものがあったような……」

あの時は、唯と由美子と純にカラオケに連れて行かれたのだ。
どうも唯と由美子は、かなりのカラオケ好きらしい。
初めて一緒に行ったあの日も、なかなか勇也と純を帰してくれなかったことを覚えている。

「君が来なかったから、ボクは全然楽しめなかったんだよ」
「な、なんで俺がいなかったら、つまらないんだよ」
勇也は背筋が寒くなるのを感じた。
やはりこの男はどこか普通じゃない。
それにしても、なぜか岸山に対しては妙にスラスラと文句が言える。これも岸山の人徳(?)であろうか。

「そういえば、木下クンには彼女とかいるのかい?」
「お、お前、どっからそーゆー話になるんだ?」
「気にしない、気にしない。それで?」
「……いないよ」
勇也は自然と顔を背けていた。
悔しいが、そういう話に関しては弱いとしか言いようが無い。
「そうか、残念だね」
「? ……何が言いたい」
「い、いや別に……キミみたいな人を放っておくとは今の女は見る目がないと思ってね」
「な、なんだよ……お世辞はよせ」
勇也はなぜか動揺した。岸山からは絶対に聞けそうにない言葉だったからだ。
「そんなことは――――――」

パリン!!!!

それは突然だった。
窓ガラスが割れ、岸山に降りかかったのだ。
「岸山っ!!」
勇也と吉本は慌てて駆け寄った。
よく見ると、飛び散った破片の中に石が落ちていた。
「まさかっ!!」
勇也は外を見る。すると、彼女を連れたK高校の男子生徒がこっちを見ている。
「キショいんだよ、会長!! いいザマだな、ハハ……さあ、もう行こうぜ、リサ」
「そうね」
そう言うと、二人は帰って行く。
「おい、お前ら! 待てよ!!!」
勇也がどなったが、二人は無視して帰って行ってしまった。
「なんて奴らだ……会長、大丈夫――はっ!」
その時、勇也は今までに見たことのないような岸山の顔を見た。いつもの不抜けた顔ではない。人を殺しかねない顔である。
この男の中に、こんな部分が隠されているなんて、今まで考えたこともなかった。
「か、会長……」
勇也が動揺しているのに気付いたのか、岸山はいつものように笑顔を浮かべた。
「あ、木下クン、大丈夫だよ、これ位。まったく変な奴らもいるもんだね。はは……」
「ははって、お前な……」
勇也は、改めて岸山を見た。
岸山は体のあちこちをガラスの破片で切っていた。
しかし、当の本人は、何事もなかったかのようにガラスを拾い始めていた。
勇也は手伝うことも忘れて、暫く、そんな岸山の姿に見入っていた。

保健室から戻ってきた岸山は、もはや何事もなかったかのように勇也に話し掛けて来た。
「木下クン、ほんとは恋人がいるんじゃないのかい?」
「ま、またその話かよ……どうしてそんなに知りたがるんだよ」
「いやあ、別に。単なるボクの興味本位だよ」
「あのなあ……」
「木下君!」
「えっ!」
勇也が振り返ると、なんと神代 唯が立っていた。
「この窓、割れてるね。何かあったの?」
「それはいいとして、どうしてここに!?」
「クラブの帰りなの。今日はK高校の登校日だって言ってたから、ついでに……ね」
「おい、誰だよ、その子?」
吉本が顔を出してきた。
「あ、木下クン、この人がキミの彼女なんだね?」
岸山は嬉しそうに言った。
「ち、違うって……お、俺、もう帰るから。さ、神代さん、行こう!」
「えっ、えっ……」
勇也は唯を連れて、慌てて帰って行った。
「そうか、あの子が……ふうん」
岸山は唯の後ろ姿をじっと見つめていた。



「どうしたの、そんなに慌てちゃって?」
勇也は恥ずかしそうに唯を見る。
「だって、君が突然、うちの学校に来たりなんかするから……」
「迷惑だった……?」
唯は悲しそうな瞳をして勇也を見つめる。
「そ、そういう訳じゃないんだ。ただうちの生徒に見られるのが嫌で……」
「私といるのを見られると恥ずかしいの?」
「…………」
「お願い、正直に答えて」
「ああ、そうだよ。でも、恥ずかしいというよりもむしろ怖いんだ」
「怖い?」
「……他人に冷やかされるのが怖いんだ。木下が女連れてるぞとか。それでまた、中学の時みたいに孤立するのが怖い」

それは勇也の素直な気持ちだった。
何がきっかけでからかわれたり、仲間外れにされたりするのかなんてわかりはしない。
まるでゲームのように誰かをターゲットにしていく。
だからこそ、孤立しない為に、必死になってグループの中に入って、話を合わせて……。
そんなことはもうごめんだった。
何も考えず、今を精一杯楽しみたい。
最近、ようやくそれが出来るようになってきたと思っていたけど、いざとなると腰が引けてしまう。
やはり、傷ついた心は簡単には癒えたりしないのだ。

勇也は、こらえるようにして言葉を続けた。
「ごめんな。いつもこんな話ばかりして。君も嫌だよな。こんな奴なんて……」
「そんなことない。もっと自分に自信持って! 木下君は木下君よ。他人になんと言われようと、くじけちゃだめ。あなたは立派に生きてるじゃない!」
「ありがと……神代さん」
勇也は唯の優しさに感動した。

二人はゆっくり歩いていた。勇也は唯の歩調に合わせる為に、チャリを転がしていた。
「そういえば、来週のデート行けなくなっちゃったんだ」
「えっ!」
「なんか突然勉強合宿が入っちゃったんだ。27日から4泊5日でさ、全員強制参加らしくて、どうしても休めないんだ」
「そうなの……」
唯はとても残念そうだ。
「たった5日だけど、とても長く感じられるだろうな。その間、君に会えないんだから」
「…………」
勇也はチャリを押すのをやめて、唯を見た。
「神代さん、君ほど俺のことを理解してくれた人はいない。だから……もし、君がよければ、お、俺とつき合ってほしいと思う」
「木下君……」
「へ、返事は……勉強合宿の後に訊かせてほしい! そ、それじゃ!!!」
「えっ、あっ……!」
勇也は顔を真っ赤にしてチャリで走って行ってしまった。
唯は、暫くその場に立ち尽くしていた。



ピンポーン!
「はい、どなたや?」
ガチャ。
純がドアを開けると、顔を赤く染めた女の子がちょこんと立っていた。
そう、唯である。
「ゆ、唯、一体どうしたんや?」
すると、唯はなにか照れながら答える。
「あ、あのね、ちょっとお邪魔していいかな……話したいことがあるの」
「えっ、わてにか?」
純は、唯が家に上がるのは本当に久しぶりだったので嬉しかったが、何か嫌な予感がしてならなかった。
唯の奴まさかわてに告白をしに……な訳ないか。それじゃ、まさか!!
そう思うと、純は急に恐怖心に駆られた。
唯が純の部屋に入ると、突然ため息をついた。
それもそうである。散らかり放題なのだ。
「純ったら……少しは掃除したら? こんなんじゃ女の子に嫌われるよ」
「ほっとけって……今、ジュースかなんか持って来るから、大人しく待っときや」
「はいはい」
純は慌てて階段を駆け下りて行った。

ひとりになった唯は、部屋をぐるりと見回した。
「ほんと、汚いんだから……あれ?」
唯は何かを見つけたようだ。

暫くして、純が階段を駆け上がって来た。
「おーい、お待たせ。ゆい?」
純は、唯が何かに見入っていることに気づいた。
ジュースを置いて、唯のもとへ歩み寄ると、それは写真立てであった。
「あっ、そ、それは……」
それは小学生時代の純と唯が写った写真だった。
「純、私があげたこの写真、まだ持ってたんだ……」
唯は微笑む。
「確か、可愛い私が写っているからずっと持っときなさいよ、とか言ってあげたんだよね。ちゃんと約束守っていてくれたんだ。冗談だったのに……」
「ち、違うわい。ただ昔のわてが写っとるから飾ってあるだけや。唯が言ったからとかそんなんや……」
その瞬間、純はまた嘘をついてしまったことに気づいた。
どうして素直になれへんのやろ。
「まあ、いいけどね」
唯は写真立てを机の上に戻した。
「ほら、ジュース」
「ありがと」
唯はゆっくりと飲み始めた。
「昔の私ってこんなに可愛かったんだね。今のようにひねくれてないし……」
「……そんなことあらへん。お前は今でも可愛いで」
「えっ……」
唯は驚いてコップを置く。
「ど、どうしたのよ。突然……」
「いや、わては本当のことを言っただけやで。お前はこの数年でさらにべっぴんになった」
「ちょっと……そんなにおだてても何も出ないわよ?」
唯は妙に動揺していた。
純がこんなことを言ったことはなかったからだ。
「それより唯、お前、今日は何か話したいことがあって来たんやろ?」
「えっ、ああ、そういえば」
「――――木下のことか?」
「うん……」

唯は、もじもじしながら話し始めた。
「あのね、今日私……彼に告白されたの」
「!!」
純は今までになくショックを受けた。
「あ、あいつ……」
「彼ね、とっても緊張してたみたい。声が震えてたもの。ほんとにああいうことを言うのが苦手なんだなって思った。でも、とっても嬉しかった」
「そ、それでお前、OKしたんか!」
「それが、返事は勉強合宿から帰ってから聞きたいって」
「な、なんや、よかった」
「何がよかったの?」
「い、いや何でもあらへん。それで、その合宿っていつなんや?」
「あれ、純知らないの?」
「違う学年のことなんか知っとる訳ないやろ? 第一、わてら高3は8月上旬にもう終わっとるしな」
「そうなんだ。あのね、27日から4泊5日だって。だから1日には……きゃはっ!!」
「そうか、5日間か……奴がいなくなるのは」
「純、なんかやけにこだわるね」
「いや、別に。それでお前はどう返事する気なんや?」
「もちろんOKするつもりよ。私、彼が好きだもの」
唯は自分の言葉に頬を赤くした。
「そうか……」
純は下を向いた。自分の顔がジュースに映る。
とても悲しい顔だ。
「どうしたの、純?」
「……別に、なんでもあらへん」
「そう? それじゃ私、そろそろ帰ろうかな」
「そうやな」
「純、ちゃんと掃除しなよ」
「わかっとるって」
「それじゃ……今日は話を訊いてくれてありがと」
唯は階段を降りて行った。



唯は自分のベットに横になった。
「私、告白されちゃったんだよね。ふふっ」
顔をあげると、窓から純の家が見えた。
「――そういえば、今日の純、なんか変だったな。私を可愛いだなんて言ったりして……あいつがこんなこと言うなんて……あれ、そういえば、何で純に言っちゃったのかな? 由美子にもまだ言ってないのに。純に訊いてもらいたかったのかな?」
唯は、ベットの上に置いてあったウサギのぬいぐるみを持ち上げた。
「ねえ、ララちゃん、私どうしちゃったんだろ……」
と言っても、ぬいぐるみが答えてくれる訳ない。
唯は何も言わぬぬいぐるみをぎゅっと抱きしめた。
「色々と考えても仕方がないか。とにかく1日になるのを待とう……木下君が戻ってくる日まで……」
そう言うと、唯はそのまま眠ってしまった。




勉強合宿の前日、勇也は久しぶりにチャリで走り回っていた。
唯がどう返事をしてくれるのかと考えると、いても立ってもいられなかったようだ。
「俺、ほんとに告白しちゃったんだよな」
勇也の頭の中に、登校日の日の出来事が甦る。
そしてなんとも恥ずかしくなって来る。
「ああ!もうイライラして仕方ない。なんですぐ返事を訊かなかったんだろ……」
勇也は力強くペダルをこぐ。
「こうなったら久しぶりに遠出してやろっと」


この谷川という所は、ちょっと南へ行けば海があるわ、逆に北へ行けば山があるわで、この手の人には結構人気のある場所である。
勇也は流山とよく出かけていたので、谷川の地形はだいたい知っていた。しかし、たまに知らない所を見つけるのが楽しいのだ。
この日は、どこへ行くという訳でもなく、ただ走り回っているだけだった。
帰る頃には、すでに日が傾いていた。
勇也が大通りを曲がって小さな通りに入ると、なんだか人だかりが出来ていた。
「何だろ?」
勇也はチャリを止めて、人だかりの中へ入ってみた。
すると、女の子が泣きながら警官の事情聴取を受け手いた。
よく見ると、どこかで見たような子である。
「あれ、なんか見たことがある子だな……どこでだったか……」
勇也は暫く考えた後、はっとした。
「そうか、この前、会長に石を投げた奴の彼女だ」
よく見ると、その子の服は破れていて、髪もかなり乱れていた。
「一体何があったんだよ……あれ、あそこにいるのは!」
なんと、その子の近くに流山と由美子がいたのだ。
勇也は駆け寄る。

「おーい、流山、一体何があったんだよ」
「木下じゃないか、どうしてここに?」
「それはこっちのセリフだよ。まあ、それはいいとして、どういうことだよ」
「それが、この子が変質者に襲われたんだ」
「えっ!」
「あちこちいたずらされたらしい。そこを水島さんが通りかかったんだ」
「本当かよ、水島さん」
「え、ええ……買い物の帰りにここを通ったら、この子が黒いコートにサングラス、マスクをした奴に襲われていて……背はかなり高かったと思う」
「君はなんともなかったのか?」
「ええ。でも、私も危ない所だったわ。そこを流山くんが自転車で通りかかって……」
「すまん、逃がしてしまった」
「それでここにいたのか……」

勇也は改めて襲われた子を見た。
この間、会長の無様な姿をあざけ笑っていた女の子と、同一人物とはとても思えない。
彼女は完全にショック状態だった。
そう考えると、人間など所詮こんなものだと思う。

「しかし、ほんとタイミングがよかったよな。流山が通りかかって」
「ああ、俺が来なかったら水島さんも……」
「ありがとう、流山君」
「れ、礼を言われる程のことはしてない。通りかかったら誰でも助けているさ」
「…………」
「しかし、あの子は可哀想だな。ひどいショック状態だ。立ち直るのに、相当時間がかかるだろうな」
流山はその子を見る。
泣きじゃくっていた。警官も、事情聴取ができなくて困り果ててる。
「そうだ、木下。お前、水島さんを家まで送ってやってくれないか?」
「えっ、それはいいけど……お前はどうするんだ?」
「俺はもう少し、警官に状況を話してから帰る。だから頼むよ。また奴が現れる可能性もないとは言えないからな」
「わかったよ。それじゃ行こう、水島さん」
「え、ええ……」
由美子は暫く流山を見ていた。



由美子はぼーっとしながら歩いていた。
「水島さん、どうしたんだい?―――そうか、やっぱりさっきのことで……」
「えっ、あ、違うよ。ただ流山君て私のことが嫌いなのかなって」
「どうして?」
「だって、彼、私を避けてるような気がするから……」
すると、勇也は吹き出してしまった。
「何がおかしいの?」
「あ、ごめんごめん。でも、そんなに気にすることないと思うよ」
「どうして?」
「あいつ昔からああいう奴なんだよ」
「そうなの?」
「あいつの両親さ、小5の時に離婚したらしいんだ。その時、おふくろさんが流山をおいて出ていったんだ。当時の奴は、それをおふくろさんが裏切ったとショックを受けて……」
「…………」
「それ以来、奴は女性に対してコンプレックスを感じているらしい。少なくとも、俺が奴と知り合った高1の頃にはすでにそうだった。だからだよ、君に冷たいのも……奴は女性全般に対してああいう感じなんだ。信用するのを恐れているんだよ」
「信じられない、あの流山君が……」
由美子は、かなり驚いた様子だ。
「あ、俺が言ったって、流山には内緒にしといてくれる?後が怖いからさ……」
「わかったわ」
「俺、人見知りが激しいだろ。でも、奴とはなんか気が合うんだ。もしかしたらお互い、似ている所があるのかも……」
「…………」
勇也は由美子の顔を見た。何か複雑そうな顔をしている。
「水島さん、やけに流山のことにこだわるね」
しかし、由美子は何も答えなかった。
なんか気まずくなってしまったので、勇也は話を変えることにした。
「そういえば、君と神代さんて、ほんと仲がいいよね」
「えっ、ええ。まあね。こうちゃんと西山くんとは、ふとしたきっかけで知り合ったの」
ようやく由美子が口を開いてくれた。
「でも、幼なじみって訳じゃないんだろ?」
「ええ。私が知り合ったのは、中2の時だもの」
「そうか、3人とも、中学は公立だったんだものね。やっぱり同じ中学だったんだ」
「そうね。あの時はそうでもなかったけど、今じゃこうちゃんがいない生活なんて考えられないな」
「そういうもんだよな」
勇也は同感だった。勇也自身、流山がいない毎日というのは考えられない。今の勇也を作ってくれた奴だから……
「でも、最近さ。こうちゃんが冷たくなっちゃったんだよね」
由美子は寂しそうな顔をする。
「えっ……」
勇也はそれを訊いてドキリとした。おそらくその原因は勇也にあるからだ。
「神代さんは相変わらず元気だよ……」
勇也は小さな声で答える。
「―――そうか、あなたがこうちゃんと会ってるんだったね。まったく信じられないよ、こうちゃんが西山君以外の男と……」
勇也はそれを訊いてはっとした。
「それはどういうことだよ?」
声が自然と重々しくなっていた。
由美子は、そんな勇也を見て、慌てて弁解する。
「ご、ごめん。別にあなたがこうちゃんにふさわしくないって言ってる訳じゃないのよ。ただ、こうちゃんって言ったら、西山君ていうイメージがあるってだけで……」
「西山先輩と神代さんはそういう関係だったのか?」
「ち、違うって……」
その時、勇也は自分が純に対して嫉妬していることに気づいた。なんか馬鹿らしくなってくる。
「ご、ごめん……なんか熱くなっちゃって……」
「私こそ、誤解させるようなことを言ったりして悪かったわ」
お互いに謝りはしたが、やっぱり気まずかった。
暫く、何とも嫌な沈黙が流れた。
「あ、この角を曲がったら家だから、もうここでいいよ」
「そ、そう、それじゃ……」
「うん」
二人はそこで別れた。
勇也は由美子の後ろ姿を見ながら、この子は神代さんとは違うと思った。

俺を理解してくれるのは、神代さんだけだ。



その頃、純はずっと部屋に閉じこもっていた。
この前、唯が来てからずっとである。
ずっとあることを考えていたのだ。そう、唯のことである。
「今日はもう26日……1日には唯が返事をしてしまうんや。いや、もしかしたら31日に帰って来た時に……ああ!! とにかくこの5日間でなんとかせなあかん。――――そうや、うじうじ考えとっても何も始まらん。行動せな!!」
純は立ち上がった。机の上の写真立てを見る。
その中の唯は純に微笑みかけているように見える。
「この5日で、この5日で唯をわてに振り向かせるんや!! そして唯が、木下の返事を断ればいい。暫く奴はいないんや。いない奴より、側にいる奴の方に傾くに決まっとる。……木下、お前に後で何と言われようとも構わへん。例え二度と口を利いてくれんようになったとしても、後悔しない。わては唯を振り向かせる。これがわてが考え抜いた結論や」
純は窓から唯の部屋を見る。
「唯……」
純の決意は固かった。

相変わらず、唯の部屋だけ明かりがついていた。



先輩として、友人としての勇也との関係を破っても唯を奪おうとする純……
9月1日にすべてを託す勇也……
どちらにしても、この4泊5日の勉強合宿は、大きく二人の関係を、そして運命を変えることになるのかもしれない。
その5日間が、刻一刻と迫って来ていた。

続く