2.夏の日/

今年も夏休みがやって来た。
高校の夏休みというと、だいたい40日位だろうか。長いといえば長いが、高校生の本職というものはどうも勉強ということになっているらしい。
塾や予備校などに押し込められて、みんな大変な毎日を送っている。
しかし、誰がそんなことに従うものかと遊びに行ったり、デートしたりしている……はずである。
西山純もそのはずであった。
純はある家の前でずっと待っていた。
暫くすると、可愛らしい女の子が帰って来た。
手には買い物袋を持っている。
「唯、買い物の帰りか?」
どうやらそれは、神代唯のようだ。
「あれ、純じゃない。どうしたの、わざわざ家の前で?」
「ちょっといいか?」
「え……う、うん」
二人は並んで歩き始めた。
「あのさ……唯……」
「ど、どうしたのよ、深刻な顔しちゃってさ。なんかひじょーに怖いんですけど……」
「ああ、じ、実はな……き、きの……今日も部活か?」
純は何かを言うのをためらった。
「なんだ、何言い出すかと思えば……さっき買い物の帰りかって自分で言ってたじゃない」
「あ、そういえばそうやったな」
「今日は休みだけど、ちゃんとクラブには行ってるわよ」
「そ、そうか……それでどうや、水泳部からテニス部に代わって?」
「うーん、高2に入ってからだからもう4ヶ月か。随分慣れて来たよ。純はクラ……そうか、ケンカしてやめちゃったんだったね。本当なら今頃、引退前のラストの試合の頃だったのに」
「すまんな。中学の頃はあんなに張り切っとったのにな。目指せ、オリンピック! とか言うて」
「……純、今日は本当に何かあったの? いつもの純らしくないよ」
唯は心配そうに純を見つめる。唯の目には、純の言動が空回りしているようにしか見えなかった。
純は諦めたように口を開いた。
「実はな、木下のことを訊きたかったんや」
「なーんだ。私も今、彼のことを話そうかと思ってたんだ」
「えっ!」
純はそれを聞いて驚いた。
唯は笑みを浮かべながら答える。
「私ね、なんか変なんだ……文化祭の日に初めて会ってから、彼の顔が頭から離れないんだ」
純は黙って聞いていた。
「もしかして、これが一目惚れってやつなのかな……?」
「唯……」
その途端に何とも言えない気持ちが純の心にこみ上げて来た。
唯の顔を見ると真っ赤なトマトのようになっている。
いつもはきはきしている唯なだけに、まるで別人のように見える。
「木下君がどう思ってくれているのかはわからない。でも、とっても話しやすいし、彼の声を訊くとなんか不思議と落ち着くの」
「そうなんか……」
「うんっ」
唯が照れ笑いを見せる。
純はそれ以上何も言えなくなってしまった。



暫く散歩した後、唯の家の前に戻って来た。
純は散歩していた記憶すらない。
「ねえ、純」
「…………」
「純ったら!」
「えっ……ああ、なんや?」
唯は純の顔の前で話し始める。
「私ね、今度の日曜日に彼を誘いたいの。でも、いきなり二人ってのも恥ずかしくて……だから、私と木下君、由美子と純の4人で遊びに行くってことにしてほしいの」
「それは……」
「ダメかな?」
唯は麗しげな目で純を見つめる。純の心の中では、色々なことが交錯していた。しかし、何よりも唯のがっかりする顔だけは見たくなかった。
「んーわかった!わても男や。いっちょう協力したろう!!」
唯の顔に笑みがこぼれる。
「ありがと! 純って昔から頼りのなるものね」
「まあ、これも腐れ縁て奴やな」
「ふふ、そうかも。それじゃ、今夜木下君に電話してみるね。ありがと!」
そういうと唯は家の中に入って行ってしまった。
それを見送る純の顔は笑っていたが、唯が家の中に入ると、その仮面は引き剥がされた。
純は堪らず、その場から逃げ出していた。
ただひたすらに走り続ける。
途中で自分が何をしていたのかわからなくなり、ハッとして立ち止まった。
したたり落ちる汗を拭う。
水泳部を辞めてからまともに運動をすることがなくなったせいか、体の節々が悲鳴を上げていた。
「ハアハア……わてはアホや!! 自分で自分の首を締めとる。なんでもっと正直になれへんのやろ……」
純は唯に告白して、今の関係が壊れてしまうのが怖かった。嫌われたくなかった。
昔からそうだった。
唯の笑顔が見たくて、いつも彼女が幸せのなるようにと見守っていた。協力して来た。
水泳も、唯が小学校の頃にスイミングに入ったのをきっかけにして始めたのだ。
唯と一緒にいたい。ただ側にいて唯の笑顔さえ見られればいい。そう思いながら、今まで過ごして来た。

だが、今回のことは裏目に出てしまった。
一人で『RAIZA』にはまっていて、寂しそうにしている唯を元気づけたかった。
だから、偶然ファンだとわかった、後輩の木下勇也を紹介したのだ。
しかし、それは元気づけること以上の結果をもたらしてしまった。唯が勇也に惚れてしまったのだ。
もし、唯が勇也とつき合うことになれば、もう今までのようには行かなくなる。
唯の笑顔は勇也の為だけのものになってしまうのだ。

「唯を誰かに取られたなんかない! でも、わてには唯に告白する勇気がない……くそっ、くそっ!!」
純は暫くの間、叫び続けた。



唯は、勇也に連絡を入れた後、由美子にTELしていた。
「こうちゃん、本気でやるつもりなんだね」
「うん。だって自分の気持ちには正直に生きなきゃね」
「それはそうだけど……でも、よく西山君が承知したね」
「どうして? 純の奴なら快くOKしてくれたよ? 純は昔から、いつも私のことを助けてくれるもん。いわゆるお助けマンって感じかな?」
「こうちゃん。それじゃ、あまりにも西山君が可哀想じゃない……」
「気にしなくたっていいんだよ、由美子。純と私は幼なじみなんだから……これ位は当然なの」
「っもう……」
由美子は呆れた様子だ。
「それじゃ由美子、来週の日曜日よろしくね!」
「はいはい……」
カチャ。
由美子は受話器を置いた。
「これじゃ、西山君も大変だな」
一方の唯は鼻歌を歌いながら手帳に花マルをつけている。
「今度の日曜は木下君とデート!!」
唯はいつになく幸せそうだ。



その夜、勇也は流山の家に泊まりに行っていた。
今まで人の家に泊まりがけで遊びに行ったりしなかったのだが、今日は妙に相談に乗ってくれる相手がほしかったのだ。
「でも悪いな……突然押し掛けたりして……」
「遠慮するな。今日は親父も出張中でいないし、ちょうど良かったよ」
「ありがと」
流山がドアを開けると、お世辞にも綺麗とは言えない玄関が現れた。
蛇口の栓が緩んでいるのだろうか。食器でいっぱいになった流し台から、ぴちゃりぴちゃりと音が聞こえる。
「さあ、入ってくれ」
「ああ」
勇也は靴を脱ぐと、流山に案内されるままに台所を通ってカーペットの敷かれた部屋に入った。
最初に、ダイヤル式の赤テレビが目に止まった。他にも、今では珍しくなったものがいくつも置いてあった。
何だか別の時代にタイムスリップしたような感覚に陥る。
勇也が物珍しそうに部屋を見回していると、「どうした?」と流山が一瞥を送って来た。
「いや……お前の家って、ずっと昔から時間が止まっているような感じだな」
「……確かにそうだな。あの女が居なくなってから、ここはずっと止まったままだ」
その言葉とともに、流山の顔がすっと曇ったような気がした。
もしかしたら、余計なことを言ってしまったのかもしれない。

”あの女”とは、恐らく流山の母親のことだろう。
流山は今、父親と二人で暮らしている。母親は、流山が小学生の頃に家を出ていったそうだ。
年中、出張出張で家に寄り付かない夫に愛想を尽かしたのか。はたまた、どこかで別の男を見つけたのか。
今では何が原因だったのかはわからない。
ただ、この小さな家庭から笑顔が消えたことは確かだった。
そして、あれ以来、流山は女性を信用しようとはしない。

「流山、お前はまだおふくろさんのことを恨んでいるのか?」
つい、余計なことまで口に出してしまう。
流山は、黙ったまま、先程買って来た缶ジュースのプルトップを捻った。
無言がふたりを包む。
その空気に耐えられなくなった勇也は、なぜか謝っていた。
「ごめん……」
「なぜ謝る?」
「それは……」
「……それより、話してくれないか? 今日はお前の話だったろ?」
「あ、ああ」
気付くと、何事もなかったかのように、すっかり自分の話に擦りかえられていた。
勇也はこのようにいつも冷静な流山を少なからず尊敬していた。
勇也は貸してもらった布団の上に大の字になった。
「なあ、流山。俺は神代さんのことが好きなのかなあ?」
「そんなこと俺に訊かれてもわからないぞ」
「それはそうだな。……俺な、小学校の頃、好きな子がいたんだ。その子とは幼馴染で、一番仲のいい友達だった。彼女になら自分の思ったことも全部ぶっちゃけて話せるし、いつもふたりで一緒に遊んでいた気がする。でも俺はその関係を壊してしまった。俺の家は転勤族だからさ、結構長くいたあの地からも、とうとう転校することになったんだよ。だから俺は転校する前に、彼女に自分の気持ちを手紙に書いて送ったんだ。そしたら……」
「…………」
「俺はあれ以来、女の子というものがわからなくなったんだよ。あんなに仲がよかったのに……一度告白したら、妙にぎくしゃくしちゃって……口も訊いてくれなくなっちゃったんだ」
「木下、お前……」
「その後、この地に来てすぐK中学に入っただろ? 女の子と接触する機会もなくなった上に、クラスの連中にずっと無視され、孤立して……それが今でも尾を引いているんだろうな」
勇也は天井を見つめた。それに併せて流山も見つめる。

暫くして、流山が缶ジュースを勇也に投げつけた。
「おっと」
勇也は慌てて受け止める。
「木下、お前も飲めよ」
「ありがと……」
勇也は、プルトップを豪快に開けると、喉を派手に鳴らしながら一気にジュースを飲み干した。
「ぷはあ!!」
「どうだ、少しは気分も楽になったか?」
「ああ、おかげでね」
勇也は空き缶を握りつぶした。
暫くして、二人はそれぞれの布団に入った。
流山が電気を消すと、勇也はまた話し始めた。
「神代さんとはさ、なんかすらすらと話せるんだ。まだ会って2、3週間しか経っていないけど、昔からの親友のような、小学校の頃のあの子と似ているような気がするんだ……」
勇也の脳裏に小学校時代のあの少女の姿がよぎる。
自分にだけ心を開いてくれていたあの子の姿が。
「そうか……なあ、木下」
「ん?」
「今度のデートには絶対行った方がいいな、お前」
「えっ!」
勇也は飛び起きる。
「今回はきっとうまくいくさ。人間そんなに不幸が続くはずがないだろ? もしかしたら、その神代とかいう子は、お前の運命の人かもしれない」
「流山……」
勇也は流山の励ましてくれたことが嬉しかった。
「これを機に、人見知りを解消してみろよ。俺も応援してやるからさ」
「ああ。……流山。今日はここに来てほんとによかったよ」
「なに、親友として、当然のことをしただけさ」
そう言うと、流山は布団をかぶってしまった。それを見て勇也も横になった。
確かに、流山が言う通り、これはチャンスなのかもしれない。

自分が変われる……




勇也は息を切らして走って来た。
「ごめん、神代さん、水島さん。待たせっちゃったみたいだね」
「ううん、そんなことないよ。約束の時間にピッタリよ!!」
唯はとても嬉しそうだ。
勇也は辺りを見回す。
「あれ、西山先輩は?」
「それがね、まだ来てないのよ、あのアホ……」
「神代さんて、西山先輩にはほんと容赦ないよな……」
「だってあいつとは幼なじみだもん。もう当たり前になっちゃってるかな」
「そうなんだ……いいな、そういうの」
勇也は空を見上げる。
「えっ、どうして?」
「だってさ、幼なじみって腹を割って話せる仲だろ。俺の家は転勤族だからさ、そういう奴はできなかったんだ」
「そうなんだ……」
そうこう話していると、流山がチャリに乗って突然現れた。
「あれ流山、どうしてここに?」
「それがな、西山先輩から都合が悪くなったから、行けなくなったって電話があったんだ。だから俺に代わりに行ってくれってさ」
「そうなのか……残念だな。あ、こちらが神代唯さんと水島由美子さんだ」
「はじめまして、流山兼人です」
「こちらこそはじめまして、流山君」
「それじゃ、行こうか」
「うん!」
唯は勇也の横について歩き始めた。
流山と由美子は少し後ろを歩く。
「確か水島さんだったよな?」と言ったのは流山。
由美子は驚いたように、流山の顔を見た。
「お互い今日は付き添いになっちまったな。……残念だったな。西山先輩が来れなくなってさ」
すると、由美子は軽く笑った。
「ふふ、違うのよ。実はね……」
由美子は流山を連れて勇也達から離れると、事の顛末を話し始めた。
「なんだ、そうだったのかよ。なるほどな」
「多分西山君も、こうちゃんに気を遣って、わざと来なかったと思うの」
「そうか……じゃあ、俺も協力してやるか」
流山は由美子の手を取る。
「えっ!」
由美子は突然のことに動揺してしまった。
「あの、流山く……」
「おーい、木下!!」
すると随分前の方にいた勇也と唯が振り返った。
「どうした、流山?」
「俺、水島さんと別の所に行くからさ。な、水島さん」
「…………」
流山は由美子に目で合図を送った。
「あ、う、うん」
「そういうことだ、木下」
「えっ、おい!流山!!」
そういうと流山は由美子の手を引っ張って行ってしまった。
「あいつ……」



流山は由美子を家まで送ってやった。
「水島さんを無理矢理引っ張って行ったのは、ちょっとやりすぎだったかな」
「そ、そんなことないよ。それにわざわざ家まで送ってくれて……」
「気にすることはないよ。俺は男として、当然のことをしただけさ」
そう言うと、流山はチャリにまたがった。
「それじゃ」
「えっ、あの……」
由美子は流山を引き留める。
「せっかくだから家に上がって行ってよ。お茶ぐらい出すから」
「水島さん。君には悪いが、俺は、はいそうですか、とは女の家に上がれない」
「えっ!」
そう言うと、流山は走り去ってしまった。
「流山くん……」
由美子は、暫く流山の後ろ姿を見ていた。



その頃、勇也と唯は神崎山遊園地に来ていた。
神崎山遊園地とは、勇也達の住む谷川に、つい最近できた遊園地である。
西谷川の発展に対して、寂れた東谷川の活性化の為に、神崎山に誘致されたのであった。
おかげで、最近は東谷川も随分と賑やかになったものである。
「お待たせ」
「ありがと、木下君」
勇也はジュースを唯に渡すと、唯の横に腰を下ろした。
「ふう、ジェットコースターに3回も続けて乗ると、さすがにフラッとするな……神代さんはよく平気だね」
「私ね、絶叫マシンが大好きなの」
「はは……そういえば俺、遊園地なんて小学校以来だよ」
「そうなの?」
「うん、中学の頃は友達と呼べる奴もいなかったし、まして女友達なんて……」
「そうか、木下君は男子校だったものね」
「いや、共学だったとしても、俺のような男を相手にしてくれる女の子なんかいなかったと思うよ」
「そんなことない!」
唯は息がかかる位に勇也に近づいた。
「木下君は自分を過小評価しすぎだよ。だって、もしそうなら、私はここにいないはずよ」
「神代さん……」
勇也は嬉しかった。自分のことをここまで褒めてくれた人は他にいなかったからだ。
「神代さん、どうして君はそんなに俺のことを評価してくれるんだい? こんな何の取り柄もない俺を……」
「そんなこと関係ないよ。人間大切なのは中身だと思うんだ。人のことを思いやれる、相手のことを真剣になって考えられる……」
「俺、中身なんかに自信ないよ」
「そんなことない。もっと自信を持っていいと思うの。木下君は素敵よ」
その言葉を訊いた途端、勇也の心の中に何かがこみ上げて来た。
「神代さん、ちょっと一緒に来てくれないか?」
そう言うと、勇也は唯の手を引いて遊園地を出た。
「木下君?」
いつもの勇也なら、女の子の手なんて決して握れなかったはずだ。しかし、この時はその恥ずかしささえ、忘れてしまっていた。



「木下君、一体どこまで行くの?」
勇也はずっと黙って手を引いていた。
暫くすると、小さな公園に着いた。
そこには誰も居ず、とても寂しい雰囲気が漂っている。
「木下君?」
「ごめん、なんか無理矢理……あっ!」
勇也はこの時、初めて唯の手を握りっぱなしだったことに気づいた。
慌てて手を離す。
「ご、ごめん」
「気にしてないよ。でも、どうしてここへ?」
唯は辺りを見回した。やっぱり寂しい公園でしかない。
すると、勇也はブランコに腰掛けて話し始めた。
「この公園は、俺がいつもチャリで来ている所なんだ」
「えっ!」
「俺さ、なんかこの公園が好きなんだ。俺、転校を繰り返して来ただろ、都会ばっかを移動してた。日本てさ、公園が少ないと思わないかい?」
「そういえば」
「だから俺、ここに引っ越してきて、この公園を見つけた時、こんな都会にも公園が、心を和ませてくれる場所があるんだなと思ったんだ。それ以来、寂しい時、つらい時はいつもここへ来ている。一人孤立していた中学時代は特にそうだった」
「木下君……」
勇也は唯の顔を見る。
「でも、それも今日で終わりにするよ」
「えっ」
唯はドキッとした。
「俺はもう孤独じゃないんだ。今は流山達だけじゃなく、君という子に知り合えた。もう大丈夫だ。神代さん、君のおかげだよ」
唯は顔を赤らめる。
「そんな、私は何もしてないよ」
「いいや、君がいたから、君が俺という人間を認めてくれたからさ。だから君にこの公園に来てほしかった。けじめをつけたかったんだ」

唯はそのとき、この人はなんて寂しい人なのだろうと思った。
今の世の中、周りに流されている人がほとんどで、他人と同じことをしていないと不安でたまらないという奴らばかりだ。しかし、この木下勇也という人は違う。 それが出来ない人なのだ。何か支えになってくれる人をほしがっている。でも、彼にはそんなことは決して口には出さない。そんなことを言って、自分が傷つくことを恐れている。

唯はそっと勇也に抱きついた。
「こ、神代さん……」
「木下君、もっと私に自分をさらけ出してみて!確かに私も自分をさらけ出すことは怖いよ」
「神代さんが?」
「ふふっ。意外だって顔してる……でもほんとだよ。私だって怖くなることがあるんだよ。結局、みんな怖いんだよ」
「…………」
「だから私だけにでもいい、あなたの心を開いて。私、もっと木下君のことを知りたい……」
「俺のこと……」
勇也は唯の顔を見た。彼女は勇也の頭ひとつ分位小さい。実際に間近に見ると、とても小さく見える。
なんとも言えない気分になってくる。小学生時代のあの子を思い出す。そう思うと勇也の手は自然と唯の体に回った。

暫くして、二人はゆっくりと離れた。
「神代さん、俺……」
「木下君、ありがと。今日は一生忘れられない日になりそう」
勇也はそれを訊いてなんか嬉しかった。
俺の存在が誰かの心の中にずっと残る……それは俺という存在が認められたから……自分が誰かに必要とされている。
「それじゃ私、帰るね」
「待って、神代さん。家まで送るよ」
「うん!」
そうして勇也は唯を送ることにした。本人も信じられない程の積極性である。
「俺、神代さんに会えてよかったと思う」
「私も……」
その後、帰る間、二人は何も話さなかった。
どうしてだろうか。
話すことはたくさんあったはずなのに……
もしかしたら、何も話さなくても心は満ちていたのかもしれない。今までに感じたことのない気持ちで。
帰路はあっという間だった。
「あ、私の家ここなの」
「そうか、西山先輩の家の近くだったんだよな。すっかり忘れてた。確か先輩の家は、あの青い屋根に家だよね。俺、前に何度か来たことがあるから」
「そう、あの馬鹿と家が近所なのよ……」
「なんか、神代さんてほんとに先輩には容赦ないな」
「いいのいいの、あいつのことは。でも、その時に出会えたらよかったね」
「えっ、今何か言った?」
「ううん、なんでもない。それじゃ、今日はほんとにありがと。また電話するね」
「うん、いつでもかけてよ、大抵は家にいるからさ」
「うん……それじゃ……」
そう言うと、唯は名残惜しそうに家に入っていった。
「神代さん……」
勇也は暫くその場を離れられなかった。



唯はその夜、なぜか純に電話を掛けていた。
「純、今日はありがと」
「ん、わてなんか感謝されることしたか?」
「気を遣って来てくれなかったんでしょ」
「え、ああ、そのことか……んーまあ、そうやな。それより、どうやったんや?木下の奴とじゃつまらなかったんじゃないか」
「そんなことないもん、本当に楽しかったよ。ジェットコ−スターに乗ったり、ジェットコースターに乗ったり、ジェットコースターに乗ったり……」
「お前、まさか今日もジェットコースターばかり乗ってたんか!」
「それだけじゃないもん。他の絶叫マシンにも乗ったもん」
「お前、ほんまに昔から変わらんな」
純は呆れていた。

「そういえば、純とは昔、家族ぐるみで行ったことがあったね」
「確か小4の時やったか……お前あのときもジェットコースターばっか乗ってよ。無理矢理つき合わされるこっちの身になってみい!!」
「はは、でも、木下君は嫌がんないで乗ってくれたもん!純とは大違いね。純って全然女の子の気持ちがわかってないんだから……」
「あれ、お前女やったっけ?」
「じゅーんー!!」
「じょ、冗談やって……で、それからどうしたんや?」
「そ、それは内緒」
突然、唯はどもった。
「なんでや」
純の体に嫌な予感が走る。
「これは私と木下君だけの想い出にしたいの。純なんかにかき乱されたくないもん!だって私……」
「……って何だよ!」
「な・い・しょ・だ・よ」
「…………」
「それじゃ純、またね。ばいばい♪」
「あ、ああ……」
カチャ。
「…………くそっ!!!」
純は壁を殴りつけた。
「き、気を遣ったんやない……わては、唯が他人とデートするのを見たくなかっただけや! あいつの、あいつの笑顔が他人のものになってしまうなんて耐えられへんかっただけや!!!」
純は拳をゆっくりと下ろす。
「わては……わてはどうして、唯の前では素直になれんのやろ。このままやったら、唯は木下の奴と……ああっ!!!」
純は机の上に飾ってある写真立てを見た。それには小学生時代の純と唯が写っていた。その中の唯は人形の様に可愛らしい。
「唯がどんどんわてから離れて行ってしまう……唯……」

純は窓の外から唯の家を見た。唯の部屋だけまだ明かりが付いていた。

続く