1.出会い
(prologe/1/2/3)
prologe
- 木下勇也は昔から、人と接するのが苦手だった。
特に女の子にたいしてはそうだった。
小学生の頃はどういう風に接していたのだろう、当たり前のことだったに違いない。
しかし、何年も女の子と接していないと、それなりに変わるものだ。
顔に自信があるわけでもないし、流行にも乗り切れないでいる。
女の子との対話というものを全く心得ていなかった。
というよりも、それ以前に男友達すらできなかった。
どうもとことん人と接するのが苦手らしい。
中学時代は友達と呼べる友達もできず、孤独な生活を送っていた。
スポーツも苦手な勇也が逃げ込んだ所はというと、勉強であった。
こんなものに力を注ぎ込んで何になるのだろうと思うかもしれないが、
勉強に集中することで、他のあらゆることを忘れようとしていた。
つくづく時代に逆行していたと思う。
- こんな勇也を変えてくれたのは友人だろうな。
流山兼人(るさんかねと)。こいつのおかげだ。
流山とは高1の時に知り合った。
勇也と流山にはまったくといっていいほど共通点はなかった。
しかし、人間とは面白いものだ。逆に大親友になってしまった。
ただひとつ、共通していたのは、自転車であちこちを走り回ることだった。
放課後に寄り道をしてまだ知らない場所を見つける。
それが勇也の高1時代の楽しみだった。
- そして、高2の時に、単調な生活をガラリと変える事件が起こったのだった。
1
- 「流山、現国の教科書貸してくれ!」
勇也は2年C組に駆け込んだ。
「木下、お前が授業の用意を忘れるなんて珍しいな」
勇也と流山は別々のクラスだった。
「ほらよ」
流山は教科書を投げつける。
「サンキュ、流山。いやな、なんか今日はついてないんだよ。朝はチャリのチェーンが切れるしよ。その拍子にオバサンのチャリには激突するし……さっきの時間も壇ノ浦の奴に集中的に当てられるしよ」
「ハハ、壇ノ浦の奴、本当にお前のことを気に入っているみたいだな」
壇ノ浦撤進。2年B組の担任だ。
はっきり言わせてもらえば、壇ノ浦の奴は化け物と言っても過言ではない。
自他供に認める学校最強の男で、指導部長であり、生徒会の担当でもある。
つまり、生徒がもっとも嫌がるタイプの野郎なのだ。
まあ、本人は全く気にしてないようだが。
しかし、奴は勇也のことは随分気に入っているらしく(いい迷惑なのだが)、奴は勇也を2年連続でクラスの委員長に指名していた。
「他人事だと思って……」
「悪い悪い。でもさ、奴はお前のことを見込んでくれてるんじゃないのか?」
「あんな奴に見込まれたくないって」
「でも、お前は学年でもいつも3番以内に入っているしな。奴が期待をかけるのも無理ないと思うぜ」
「そうか?」
勇也はなんか照れくさかった。
- その時だった。背中に今まで感じたことのないような悪寒が走った。
勇也が恐る恐る振り返ると、そこには190はあろう大男が立っていた。
「あれ、お前どこかで……」
「ボクはこの前生徒会会長に就任した岸山玄行ですよ」
「ああ、お前か!!無理矢理前会長に迫って1ヶ月も早く会長になったって奴は!!」
「ひどいな木下クン。ボクは前会長に丁重に頼んで会長を譲って貰ったんだよ」
「同じじゃないか!!」
- この岸山という奴は、先月生徒会会長になった男だ。
今時、生徒会などに立候補するようなアホな奴などいない。
結局、こいつ一人だけだったので否応なく会長に成り下がってしまった訳だ。
「木下クン」
岸山は巨体を曲げて勇也に近づけた。
「うわあああ!! なんだよ!!」
なんとも不気味だ。顔はニヤけているのだからそれは更に増強されていた。
「も、もしかしてお前、俺を……」
勇也に嫌な予感が走る。
「ピンポーン。木下クン、君はこのボクとともに生徒会を盛り上げるメンバーに選ばれたのだよ」
勇也は気を失いかけた。
「さあ、これから会議だからね。いこう」
岸山は、顔面蒼白の勇也を引きずっていった。
その後ろ姿を流山は見つめていた。
「ご愁傷様……」
「流山、待てい!!そんなのありかよおおお!!」
勇也の声が廊下中に響きわたった。
- 会議室には他に5,6人来ていた。みんな無理矢理選ばれたのだろうか。
すると、岸山の奴がすぐとなりに座った。
虫唾が走る。
「おい岸山、こんなに席が余ってるのになんで俺の隣に座るんだよ!!」
「いやあ、なんか君のことが気に入ってしまったみたいなんだよ。ボクと同じくいつも学年3番内に入っているって聞いてたから、どんな人かと思っていたけどね」
「(サ、サイアク……)」
「ん、なんかボクの顔についてるかい?」
「い、いや……」
勇也は死神に取り付かれた気分であった。
- それを助長したのは、生徒会担当の先生だった。
「お、木下、やはりお前も来てくれたか。俺は信じていたぞ」
「だ、壇ノ浦! ……じゃなかった、壇ノ浦先生、どうしてここに!!」
「何言ってんだ。俺は生徒会担当なんだよ」
勇也はこの時ピンと来た。
「(全部こいつの仕業かー!!!)」
しかし、どうすることもできず、黙っているしかなかった。
- 他の奴らは、うちの学年では結構名の知れた奴ばかりだった。
「おう木下、久しぶり!」
「あれ、吉本じゃないか。お前も壇ノ浦に捕まったのか」
「ああ、まったく迷惑な話だよな。それに会長はキレてるしな」
二人は岸山を見た。奴は壇ノ浦にコビを売っていた。いかにもご機嫌取りという感じだ。
「あのアホはいいとして、どうして俺達は集められたんだ?」
「あれ、知らなかったのか。7月の文化祭の準備だよ」
「文化祭?そういえば毎年期末の後にやっていたな。その準備って何やるんだよ」
「さあな。とにかく、壇ノ浦には逆らう気はない」
「同感だ」
- K高校の文化祭は毎年、近所のI女学院と一緒に行なっていた。
最近の若年層の減少で両校とも生徒数が少なく、文化祭の資金が足りないらしい。
準備も両校合同で行なうはずなのだが、なぜかK高校側がすべてやっている。知らぬ間にI女学院側は当日参加のみと化していた。どうもK高校の連中は、女の子に弱いらしい。
準備の概要は岸山の奴が教えてくれた。イチイチ演説するように話すので苛立たしさは募るが、ここはじっと我慢である。
まあ、簡単に言ってしまえば、クラスやクラブの出し物のチェック、電気の増設、会場設営、パンフ作成などであろうか。
「俺、パンフ作成やりたいな。これでも美術部だし、表紙のイラストも描くからさ」
「木下クーン、君は美術部だったのかね」
「だああっ!顔を近づけんなって。悪いか、美術部じゃ!」
「そんなことは全然ないよ。ふうん、美術部ねえ。ますます気に入ったよ」
勇也の体中に悪寒が走る。
「お、お前な……頭だいじょぶか?」
「今、なんか言ったかい?」
「い、いやなんでもないよ……」
なんともやりずらい相手だ。
勇也は人見知りが激しいので、気の知れない相手には話もしようとはしなかったのだが……岸山のようにこう一方的に攻められては話をせざるを得ないと言った所か。
- 勇也は机を叩く。
「くそっ、なんで俺が会長に好かれなきゃならないんだよ! ああ、女の子だったらよかったのにい。こういう時は共学を羨ましく思うぞ!!」
「木下、なに一人で力説してんだよ」
「だってよお……」
「まあ、それは男子校の悲しいサガって所さ。でもよ、文化祭の日にはI女学院の子を始めとして、女の子がいっぱい来るんじゃないのか?」
「そうだな……でも俺、女の子の前に立つとあがっちゃって、なにも話せなくなっちゃうんだよ」
「そんなこと言っているようじゃ、一生彼女なんかできそうにないな」
「うう……」
「こらあ木下、資料をコピーしてこいって言っただろお!!」
「す、すみませーん」
勇也はもう泣きそうだった。
- 放課後、勇也は美術部部室にいた。
「ったく……この絵も仕上げなきゃならんのに……まさか、生徒会までやる羽目になるなんて……」
美術部は毎年、文化祭で絵を出すことになっている。しかしまったく進んでいない。
「そういえば、文化祭が終わったら、俺が部長になるんだよな……」
「おい、なに独り言言ってんだ」
「えっ……」
勇也が振り返ると流山がいた。
「あれ流山、今日はもう帰ったんじゃなかったのか?」
「いや、今日は部活の方に顔を出してたんだ」
「剣道か……大変だな」
「そのセリフそっくりお前に返してやるよ。文化祭までもう2週間だろ? どう見ても絵が完成しているようには見えないんだが……」
「うっ……痛い所つくな……」
「明日から期末1週間前だから来たって所だろ」
図星である。
この流山という男は勇也のことはなんでもお見通しなのだろうか。ときどき彼の鋭さに泣きそうになる。
〜〜〜
- 期末直前だというのに、生徒会の忙しさはピークに達していた。毎日毎日8,9時まで学校に残っているのだ。
「ああ、成績が下がったらどうしてくれる!!」
「木下クン、ボクに言われてもね……」
勇也は岸山に八つ当たりしていた。
「しかし、木下クンはほんとにすごいよね」
「なにがだよ!!!」
勇也のイライラはかなりのものである。作業中、その辺の椅子や机を蹴り倒していた。
「だって、成績だけじゃなく、6年間皆勤も狙っているんだろ?」
「なんでお前が知ってるんだよ……」
「なぜって、さっきから嫌と言うほど、ボクに言っていたじゃないか?」
「そ、そうだったか?」
勇也は体裁が悪くなり、教室を出た。
- 勇也は自販でジュースを買った。
腕時計にちらりと目をやる。
「ふう、もう8時か……壇ノ浦の奴、俺達のことをなんだと思っているんだよ……」
その時、勇也は肩と叩かれた。
「木下、久しぶりやな。元気にしとったか?」
「えっ、あれ、西山先輩じゃないですか……どうしてこんな時間に……」
西山純は、中学時代の水泳部の先輩だった。
純は勇也によく話しかけてくれて、勇也も心を許せる先輩であった。
「ハハ、上松の奴に居残りさせられとったんや。お前こそなにやっとったんや?」
「生徒会で文化祭の準備ですよ。もう毎日8,9時まで……」
「それは災難やな……そういや今は何のクラブに入っとるんや。まだ水泳部におるんか?」
「いえ、高校に入ってからは美術部ですけど……あれ、おるんかって……まさか先輩、水泳部をやめちゃったんですか?」
「ああそれがな、一昨年先輩と大ゲンカしてもうてな。体裁が悪うなってやめてもうたんや」
「先輩はタイムもよかったのに……残念ですね」
「まあ、もう過ぎたことや。それじゃ、そろそろわては帰るわ。頑張れよ、木下」
「はい、失礼します」
そういうと西山は帰って行った。
- 「西山先輩相変わらずだな……」
勇也が生徒会室に戻ろうとすると、岸山が誰かと話しているのが見えた。
「あいつ、誰と話してんだ。暗くてよく見えないな……おいっ、岸山!!」
勇也が呼ぶと、もう一人の奴はさっさといなくなってしまった。
岸山が勇也を見る。
「木下クン、こんな所にいたのか……」
「お前、誰と話していたんだよ?」
「えっ、ああ。先生だよ……」
「そうか?」
「……そんなことより、今日はもう終わりだよ。はい、木下クンのカバン。ボクは木下クンを待っていたんだからね」
勇也はカバンを奪い取る。
「わ、悪かったな」
すると、岸山は勇也の肩をつかんだ。
「さあ、木下クン、ボク達も帰ろうか!」
勇也は危機感を感じた。
「だ、誰がお前と帰るなんて言った……じゃあ、俺は帰るからな……ついて来るなよ!!!」
「き、木下クーーン!!!」
勇也は猛ダッシュで走って逃げた。
- 「まったくあいつの脳は一体どうなってんだよ」
勇也はチャリを走らせ始めた。勇也の家へは20分と案外近い。
しかし、普段は遠回りして本屋などに行っていた。
さすがに勉強マシーンとまではいかない。勇也だって暇つぶしはするのだ。
- 今日はもう9時前だったので、素直に帰ることにした。すっかり暗くなっているので、街灯の明かりに頼らなければならない。
ゆっくりと走っていると、公園などで、若いカップルがイチャイチャしているのが見える。
勇也は、それを見るのが本当に嫌だった。
自分もああいう風にできたらなぁ、とは思っている。
しかし、どう考えても俺には彼女なんかできる訳がないと思った。
女の子を見ただけでなんとも恥ずかしくなってしまい、顔も向けられず、つい背けてしまう。
いつも自分のことを見て、馬鹿にしているのではないかとまで考えてしまうほどだ。
女の子に対する恐怖心というものは、勇也の中にずっとつきまとっている。
- 「ふう、アホらし……」
2
- この前、西山純に会ってから、よく彼からTELされるようになった。
期末テスト中だからこそ、逆に暇なのだろうか。
勇也はテストに関しては尋常ならざる気合いを入れていたので、純からのTELはいい気分転換となった。
- 「なんや、そのゲームは?」
「うう……やっぱり知りませんよね。『RAIZA』って死にそうにマイナーなゲームですからね」
「知らんな……そもそも、わてはそないゲームなんかやらんしな……ん、待てよ。確かどこかで訊いたことがあるような」
「えっ、本当ですか!?」
「んーどこやったかな……」
勇也の目が輝く。
「俺の他にもあれのファンがいるなんて!!ぜひ、教えてください!!」
純は暫く考えた後、突然大声を出した。
「そうか、唯の奴や!!」
「ゆい?」
「ああそうや。ひとつ下やけど、わての幼なじみに神代 唯(こうじろゆい)って奴がおるんや」
「こうじろ……?珍しい名前ですね」
「まあな。そういえば、あいつもそのなんとかって奴の大ファンやったわ。確かそう言っとった」
「本当ですか! まさか女の子でファンがいるなんて驚きですよ。なんか話が合いそうです」
勇也はとっても嬉しかった。まさか自分以外にも知っている人がいるとは思っていなかったからだ。
ましてや女性のファンは相当少ないらしいのに、こんな身近にいるというのだ。
飛び上がって喜びたいような衝動に駆られていた。
「どうでもいいが、お前らそんなもん面白いんか?」
「それは言わないでください。あ、もうこんな時間ですね。もう切ります」
「ああ、期末も明日で終わりやからな。お互い頑張ろうや」
「はい。それでは」
ガチャ。
- 勇也は受話器を置いた。
「そうか……他にもやってる人がいたんだ……それもかなりのハマリ度らしいし……」
勇也は妙なものに凝る性格らしい。
まったくと言っていいほど、時代の流れに逆らっている。繁華街などには行きたくもなかった。
ファッションなどにもあまり関心はなかった。
そんなうわべだけを作っても、なんにもならないと考えていたのだ。
- しかし、勇也自身は、中身の方がダメだと考えていた。
人との対話が極めて苦手だということが、大きなコンプレックスになっていた。
このことは、ひどく言えば生活に支障を来す可能性がある。
知っている奴になら、どんな減らず口でも叩けるのだが、ちょっとでも親しくない人にたいしては、恐怖心がわき上がってしまう。
初めて会った人なら尚更である。
- 自分は、どうしてこんな風になってしまったのか、とよく考える。
するとやっぱり中学時代の孤独が原因だとしか考えられない。
長い長い孤立時代……
同じクラスの奴に話しかけても、返事もしてくれなかった。無視されるならまだしも、馬鹿にされたり、邪魔者扱いされたりした。
これは俗にいうイジメだったのかもしれない。
高校生になった今、孤立することはまったくない。
しかし、中学時代の傷が深いのだろうか。今でも、他人に嫌われるのが、孤立するのが怖い……
その気持ちはいつの間にか、嫌われる位なら最初から接しなければいいんだと、誤った形で脳裏に焼き付いてしまっていた。
その行動が、逆に相手を不快にしていることもわかっていた。
自分から孤立しようとしていることにも気づいていた。
でも、どうしたらいいのかわからなかった。
- 勇也は明日の準備をして、床についた。
「明日、テストが終わったら、また文化祭の準備か……文化祭は今度の日曜だから、3日後か……ん、3日ああああ!!!」
勇也は飛び起きて手帳に釘付けになった。
「や、やば……絵がまだ完成してないのに……すっかり忘れてた……待てよ。ということはあと2日で終わらせなければいけないのかあ!!」
- 勇也はテスト中に妙な心配事を作ってしまったようだ。
一体どうなるのか!!!
3
- 勇也の努力も虚しく、もう文化祭当日が迫って来ていた。
生徒会の仕事を終わらせてから、絵に取りかかる訳であるから、8時過ぎからとりかかるのである。
更に連日の熱帯夜……もう死ぬ程暑い!!!
「うう……もう何が何だかわからなくなってきたぞ!」
勇也は錯乱していた。
今は何時だろうか……何を描いているのだろうか……
それさえわからなくなっていた。
- そして、知らぬ間に夢の中にいた。
勇也は夢を見ている時が好きだった。
現実とは違った自分を見られる世界であるからだ。
最近、勇也の夢に、ある女の子が出てきていた。
普通、夢というものは、その日見た限りのはずである。しかし、その女の子はときどき出てきた。そして、勇也に対してとてもやさしく、穏やかで、心を和ませてくれる、そんな女の子であった。
だが、当然ながら、勇也にはそんな子はいない。
だから、これは彼女がほしいという願いが夢に現れたのだろうと思っていた。その証拠に、夢から醒めるとその顔も、声も、記憶もほとんど消えてしまう。覚えているのは、女の子が出てきたということだけだった。
ただ、その夢を見た後は、とてもすがすがしい気持ちになっていた。
- 「うう……」
勇也が目を醒ますと、誰かが目の前にいた。
「き、君はまさか夢の……」
「木下、寝ぼけとるんか?」
「えっ!」
勇也は慌てて目をこする。一瞬夢の中の女の子かと思ったのは、西山純だった。
「あ、あれ……西山先輩じゃないですか……どうしてこんな時間に?」
「お前なあ、いくら今日が文化祭やからって学校に泊まり込まんでもええやろ」
「えっ!!」
勇也は外を見た。もう明るくなって来ていた。
「そんな……もう朝になっちゃったのかよ……」
「昨日の夜、お前の家から電話があったんやで。お前がお邪魔していませんかって……」
「あ、そうか……」
「ったく……さっきわてが連絡入れといてやったから安心せい」
「あ、ありがとうございます」
純はコンビニかどこかで買って来た菓子パンにかぶりついた。
「お前も食うか?」
「あ、すみません」
勇也も菓子パンにかぶりつく。よく考えてみると、昨日の夜から何も食べていなかったのだ。
「そういやお前、えらい幸せそな顔して寝とったな」
「そ、そうですか?そういえば何かとてもいい夢を見ていたような気がします」
「そうか、まあやっとのことで絵も完成したんやしな。それでいい夢見とったんと違うか?」
「えっ!!!」
勇也はその言葉を聞くや否や、自分の絵に見入った。
「あれ、ほんとに出来てる」
「お前、自分で描いたんやろ?」
「は、はあ……」
なぜだか出来ていた。もしかしたら気力だけでやっていたのかもしれない。
あるいは、あの夢の中の少女のおかげかもしれない……勇也はそう思っていた。
- 「せや、今日の文化祭に唯の奴を呼んであったんや」
「『RAIZA』マニアの?」
「なんかそう言われると嫌やな」
「あ、すいません。でも俺も同じか……」
よく考えると嫌なものである。いかにも差別用語といった感じだ。
「今日はあいつと一緒に回ってやらなあかん」
「デートですか? いいですね」
「あ、か、勘違いするなよ。そんなつき合っているとかそういうのやないんやで」
「はいはい」
「単なる幼なじみや。勝手に変な解釈すんなや!」
「先輩、なんか動揺してません?」
「うるさい、放っときや!」
純は美術室を出ていってしまった。
「ちょっと冷やかしすぎたかな。……でも、いいな。幼なじみか……俺の家は転勤族だし、そんな奴はできなかったな……」
ボーっとしていると、生徒達がパラパラとやって来たようだ。そろそろ登校時間らしい。
「そういえば、西山先輩は俺のことを心配して朝早くから来てくれたんだよな……マズッたな」
後悔先に立たず。
- 何か外が騒がしくなってきた。どうやら10時になったらしい。
文化祭の始まりだ。
今回、勇也がとくに注目してほしかったのは、例のパンフだった。勇也は美術部の絵よりもこのパンフの方に力を注いでいたのだ。
美術部の展示へは必ずしもすべての人が来る訳ではない。しかしパンフは、来た人全員に受け取ってもらえる。芸術家の端くれとして、こんな光栄なことはないのだ。
しかし実際の所は勇也が描いたとはわからないだろう。また、イチイチ背表紙を見て、木下勇也って奴が描いたのかなどと思う人もいないはず。
- と思っていたのだが、開始早々、パンフについて訊きに美術部に押し掛けて来た人がいた。
「あのう、すみません。この絵を描いた人が美術部にいるって訊いたんですけど……」
店番をしていた勇也は、いきなりのことで驚いた。
制服からして、I女学院高校の二人組のようである。
話し掛けてきた方の子は、勇也よりも頭ひとつ分は低く、栗色の髪は肩程の長さであり、大きくてぱっちりとした瞳が印象的だった。
もうひとりの子は、セミロングの髪にピアスをしており、全体的に大人びた雰囲気を醸し出していた。
「え、あの、その……」
勇也は恥ずかしくて何を話したらいいかわからない。
「違うんですか?」
栗毛の子が、勇也に顔を近づける。
「あ、あ、あの、それは俺が描いたんですけど……なんか気に障ることでもありましたか?」
「ええっ!!そうなんですか!!!」
勇也の言葉を聞くや否や、話しかけてきた方の子の目が輝いた。
その子はとても嬉しかったらしく、もう一人の子にその喜びを伝えている。
勇也には何が何だかさっぱりわからない。
暫くポケーッっと見ていたが、二人が入り口を塞いでいることに気づいた。
「あ、あの……」
「えっ!」
「ええと……ここは入り口でして……他の方の迷惑になると思うので、よかったら控え室に行きませんか?」
すると、二人ははっとして辺りを見回した。
後ろで人が何人か待っていることに気付き、頬を真っ赤に染めた。
「は、はい……すいません」
- 勇也は店番を後輩に任せて、二人を控え室に案内した。
控え室と言っても、実は勇也が今朝まで絵を描いていた部室である。画材が山のように積み重なっているし、絵の具が床にこびり付いていた。
勇也は二人を中に入れた瞬間、恥ずかしくて死にそうだった。
「すいません、汚くて……」
「あ、気にしないでください。もとはと言えば、私達が悪いんだものね。ねえ、由美子」
「そうですよ」
「は、はあ……」
勇也は、なんとも会話がギクシャクしていると思った。すべては俺のせいだと思い、うまく話さなければと焦った。
- 「そ、それで一体どうしたんですか?」
「あ、そうだった」
女の子は再びパンフレットを取り出した。
「あのう、この表紙のイラストって、よく見ると『RAIZA』っていうゲームの1シーンを元にしていません?」
「えっ!!」
勇也はほんとに驚いた。
「な、なんでわかったんですか?かなりひねったはずなのに……というか、それ以前に『RAIZA』を知っているなんて……」
すると、由美子と呼ばれていた子が答えた。
「こうちゃんは『RAIZA』の大ファンなんですよ」
「へえ、あなたもなんですか」
「やっぱりそうなんですね。きゃはっ!やっぱり私の思った通りだった」
勇也はなんか嬉しかった。言葉が勝手に出て来る。
「いやあ、あんなものを見ているのは俺だけだと思っていたのにな……でも、これで二人目かな」
「二人目?」
「あ、俺の先輩の彼女も大ファンなんだそうですよ」
「へえ、そうなんだ」
「先輩が今日紹介してくれるって言っていたから、三人で話が合いそうですね」
「私の他にもファンがいるなんて信じられない!!」
「俺もまったく同じ気持ちです」
「あ、そういえば、敬語なんか使わないでよ。私達同級生だよ、多分」
「あ、高2なんですか?」
「だから今、言ったのに」
「そ、そうだった。ごめん」
勇也からみると、女子高生の歳の区別などつかない。
この子達にはわかるのだろうか。
「あの、俺は木下勇也といいます」
「木下勇也? どっかで聞いたような名前ね。私は水島由美子」
「私は……」
カチャ。
その時、西山純が入って来た。
「あれ先輩」
「よお、木下……ってあれ!!」
「じゅ、純!!」
名前を名乗ろうとしていた子が立ち上がった。
勇也はその子を見る。
「も、もしかして、あなたが神代 唯……さん……?」
勇也は暫くその場に立ち尽くした。
- 「しっかしお前、待ち合わせの場所におらんと思うとったら、こんなとこに来とったとはな」
由美子が謝る。
「西山君、ごめんね。こうちゃんがどうしてもって言って……」
「どうして由美子が謝るのよ。それより……」
唯は純をにらんだ。
「誰があんたの彼女だって!!」
「えっ……わ、わて、そんなこと言うたか?」
なんか純は妙に弱々しくなっている。どうも唯には頭が上がらないようだ。
「私達は単なる幼なじみだったと思ったけど……」
「なんだ先輩、そうだったんですか。俺はてっきり……」
「木下、てっきりやないやろ!!」
「す、すいません」
「そうよ! 木下君は悪くないわ!」
「えっ!」
突然、勇也をかばうように唯が割って入って来た。
「唯、なんでお前が木下をかばうんや!」
「だって、私と木下君は数少ない仲間だもん。ね、木下君!」
「え、は、はい……」
「…………」
純は反抗出来ない。勇也も唯の勢いには逆らえない。
「こうちゃん、やめなよ。西山君も木下君も困ってるよ」
「えっ、本当に? ごめんね、木下君」
「神代さん……」
勇也は唯の笑顔に戸惑ってしまった。
- プルルルル……
「はいはい!」
カチャ。
「もしもし」
「木下、わてや!!」
「あ、西山先輩ですね。いやあ、昨日は大変でしたね。結局、神代さんに振り回されっぱなしで……」
「きーのーしーたー!!!」
「な、な、なんなんですか、一体!!」
勇也は純の声に驚く。
「お前なあ、唯の味方ばっかすんなよ!! わての立場がないやないか!」
「すいませんでした。なんかあの子の笑顔を見ると、反論もできなくなってしまって……」
「そうかもしれんがな。そやかて……」
「そうかもって、先輩もそう思うんですか?」
「ああ、あいつの笑顔は天下一品や。わては幼い頃からあれを見てきたからな」
「そうか、だから彼女の方が年下なのに立場は一緒なんですね」
「余計なお世話や!」
「あ、キャッチ入りました。ちょっとすいません」
「お、おい、ちょっと待てい!!」
- ピッ!
「はい、木下ですが」
「あ、木下君?」
「こ、神代さん!」
勇也はまた驚いてしまった。
「どうして俺の家の電話番号知ってるの?」
「純に教えてもらったの。だって、木下君と話したかったんだもん」
「えっ!」
勇也はなんか嬉しかった。
- 話は主に『RAIZA』についてだったが、1時間近くも話し込んでしまった。
こんなによく話したことなどなかったかもしれない。
「今日はごめんね。いきなり電話かけちゃって……私なんかが掛けてきて迷惑だった?」
「そんなことはないよ、なんか楽しかったし……やっぱり話題が合うからかな?」
「んーわかんないなあ……あ、それじゃ、由美子がよろしくって言ってたよ」
「うん、それじゃ」
- ピッ!
「おぉい!!!」
「うわああああ!!!!!」
「き、木下あああ、何時間キャッチしとんじゃ!!」
「すみません、忘れてました」
「お前なあ」
「神代さんと話しているとなんか……」
純が言葉を遮る。
「なんやて!あいつ、ほんとにお前んとこにかけたんかい……ああっ!」
「ど、どうしたんですか、そんなに慌てて?」
「お前のせいやアホ!!」
カチャ!!
電話は一方的に切られてしまった。
- 勇也は受話器を見つめる。
「まさか西山先輩……」
勇也は受話器をベットに投げつけて、窓のそばに立った。
熱帯夜は今日もやって来ているようだ。
続く