第1話 by もの熊
きぃぃ……
さびついた鉄のきしむ音と共に黒い鉄柵が開く。
相当な年期が入っているのかもしれない。結構錆びている。
鉄柵をあけたあと、俺はコートの襟を立て、また両手に大きなかばんを持って歩き始めた。
結構な寒さの風が吹いている。また今日も寒くなるのだろう。
もう春だって言うのに…これも三寒四温というやつなのか…。
入りかけたところで、ふと、なんとなく上を仰ぎ見る。
古い家。2階建てで、昔住んでいたマンションに比べれば大きいはずだ。
一人で暮らすにはもったいないほどの大きさかもしれない。
俺は一歩一歩未開の地に足を踏み出すように、レンガが敷き詰めてあるその道を、玄関へと続く道を歩いていった。
どさっ……
「ふぅ…」
ひとつため息をつく。
とりあえず、最初に玄関から一番近い部屋に入った。
俺は鞄ふたつ、大きなかばんを勢いよく下ろした。
かばんを急に下ろしたその衝撃で床のほこりが舞い上がる。ふわっと、一瞬だけ霧に巻かれたような感じがした。
部屋のなかには俺の靴の後がくっきりとの子っている。結構なほこりの量だ。
すたすたと歩き、窓ガラス越しに外を見る。雑草が庭を埋め尽くしている。唯一生えていなかったといえば、
玄関と鉄柵の間の石のしいてあったところだけだ。
「まずは掃除しなきゃな…」
誰もいない、どうしようもないほど広い、この古い洋館のなかで俺は呟いた。
「一人暮らし、してみない?」
そういわれたのがちょうど2ヶ月ほど前のことであっただろうか。
夕食をお母さんと取っているときであった。
「一人暮らし?」
思わず俺は聞き返す。
「そう、実を言うとね……」
ま、後は簡単な話だった。典型的な夫の単身赴任になぜか母親がついて行く。
で、息子が一人取り残される。
普通は逆だと思うのかもしれないが、しょうがない。そういう家族なのだ。
で、一人暮らしに使えといわれたのがこの家。
どうやって手に入れたのかは不明だったのだが、とりあえず、そこに住むことになった。
一人暮らしなら、楽だろう。親に何も言われずにずっと楽にしていけるだろう。
そんな甘い期待も乗せてきたのだが……
「大変だ…」
一言呟いた。
母さんから聞いていたように、相当古い。しかもほこりは積もっている。くもの巣はかかっている。
でも、不思議なことにこの家自体はほとんど傷んでいない。
(ま、ぐだぐだ言わずにはじめるか)
そう思い、とりあえずは下からこの部屋にあるテーブルを出すことにした。
「疲れた……」
俺は自分で、独り言が多くなっていることにも気づかずに、呟いていた。
しかし、気づいたことがある。
俺は体力がない。それだけは確かだ。
今、この部屋の机を引っ張り出しただけで、もうしんどくなった。
あと、放棄で部屋のほこりを出して、それから雑巾で床を拭いて……
想像するだけでも気が遠くなりそうだった。
(それでも…何日かに分けてやればいいか)
適当に楽天的に考えた。
座り込みそうになったところを奮い立たせて、俺は家から持ってきたほうきを持ってその部屋をはき始めた。
(きぃ…、きぃ…)
「ん?」
やっと床を雑巾で拭くのも終わり、きれいになった床に座り込んでばてていた俺は、何か音がしたのを聞いた。
何か床がきしんだ音が俺の頭上、真上でした。
「そういえば、この家、2階もあったな…」
今までがマンション住まいだった俺は、この家の何から何まで珍しかった。
こんな庭がある家に住んだ事もなかったし、2階だってなかった。
…ま、ほこりで一杯っていうのも珍しかったが…
「ちょっと見てくるか」
そういって、俺は立ち上がった。
俺は初めて自分の家の2階に上った。
軋む床の階段をゆっくりと一段ずつ上る。
途中が踊り場のようになっていて、今までの方向と逆の方向に階段を上っていた。
そのうち上っていると、2階に着いた。
1階と同じく、右と左に廊下が続いていて、そして部屋があった。
「……」
俺は息を飲んだ。
音がするようなものは何もなかった。
いや、そのことに驚いて息を呑んだわけではない。
床が…きれいだったのだ。
たったそれだけのことだったが、俺を驚かすのには十分すぎるほどであった。
今まで俺が掃除していた部屋は、それこそほこりが立つぐらいにほこりがたまっていた。
それに対し、この廊下は…全くといっていいほどほこりがなかった。
「…どういうことなんだ?」
とりあえず、2回にあがってすぐに目に入ってきた部屋に入ってみる。
がちゃ、という音がして開く。
勉強机とベッドがあり、他にもいろいろ置いてある。
なかに本とかがないだけで、それ以外はなんの変哲もないただの子供部屋であった。
「ここにも…ほこりがない」
半ばあきれていった。
誰かが先にこの家に来て掃除しておいてくれたのか?
母さんが先に来て、掃除をしてくれたというのか?
いや、それはない。あの母さんにそんなことは考えられない。
その部屋を出て、次は出て左手の部屋に入ってみる。
開けてみると……さっきの部屋と同じであった。
やっぱりほこりなどはたまっていない。綺麗だ。
慌ててその部屋を閉める。
そして、せかされるようにして次はまだ入っていない部屋。つまり階段を上がって右手の部屋に入った。
が、
「あれ?」
ここの部屋だけ、開かない。
右に回しても、左に回しても。
ためしに、押したり引いたりしたが、全く回らない。
「?」
ここがさっきの頭上にあたるわけなのだが…
(…………)
その部屋は沈黙を保っていた。
(やっぱり気のせいか)
もしかしたら、猫とかが入ってきてそれで軋んだのかもしれない。
とりあえず、2階の部屋を掃除しなくてもすんだために、楽ですんだという事は分かった。
ま…気になるが、あまり気にせずに、俺は荷物の置いてある1階へと降りた。
さて、どこを俺の部屋にしようか。
それを迷い始めた。
今いる、リビングは当然のことながら、食事のときに使うので俺の部屋にはできない。
やっぱり、2階を使うか…
さっき、音がして少し奇妙だったが、それでもほこりがないだけましだ。
…よし、あそこの部屋にするか。
結局、俺は掃除が面倒だという安易勝手な意見に従って2回を自分の部屋にすることにした。
ぎっ…、ぎっ…
やっぱり古いせいか階段が少し軋んでいる。
ま、ほこりがかぶっている1階よりはよっぽどいいだろう…
さて、どの部屋にするか。
さっき上ってきたときに開かなかった左手の部屋は置いておいて……
やっぱり正面の部屋がいい。
階段から近いし、なんとなく広そうだし。
俺は荷物を持ったまま、正面にある部屋に入っていった。
中に入ってみると意外に広かった。
やっぱり、ほとんどほこりをかぶっていない。
壁際にはベッドがおいてあって、毛布がひかれていた。
俺はさっさと荷物を置くと、ベッドに横になった。
ぼふっ、という音と共に、体が少しだけベッドに沈む。
こんなに引越しがつらいものだとは思っていなかった。
というか、もっと楽しいものだと思っていたが…世の中、そんなに甘くなかったようである。
……ふぅ……
俺はわずかに顔を上げて外を見た。
背の高い木のてっぺんが窓のすぐそばにまで来ていた。
時間はもう夕方のようだった。夕日が部屋に差し込んでくる。
それに腹がすいてきた。
…とりあえず、近くにあるコンビニへと行くか。
そこで、晩飯を買って…今日はもう寝るか。疲れたし。
俺はむくっとベッドから起き上がると、晩飯を買いに、財布を持って家を出た。
さて、晩の話である。
俺は晩飯を買って、それで綺麗になったリビングで満足しながら弁当を食って疲れたので早々に寝ているのだが…
ぎっ…ぎっ…ぎっ…
また何か音がしている。
眠れない…
ちょうど俺が寝ている部屋の前。つまり、2階の廊下で音がする。
うるさい…眠れん…
俺はベッドから抜け出して起きると、近くにあった懐中電灯を持って部屋を出ようとした。
ドアノブを手で回す。
…が、回らない。
右に回しても、左にまわしても全然だめ。
(?)
……
「蹴破るぞ!」
俺は唐突にそう言った。
「1,2の…」
カウントする。
「3!」
きぃぃ……
あっけなくドアが開いた。
本気で蹴破るつもりは最初からなかった。この家に来てそうそう、この家をぼろぼろにする気は全くない。
ただ分かったことがある。
…誰か、ほかに、俺以外の人間がこの家にいたこと。
それだけは分かった。
ぱたぱたぱた……きぃぃ…ばたん!
その俺の考えを裏付けるかのように、部屋を出て右側の向かいの部屋のドアが閉まる音がした。
そこは昼間開かなかった部屋だった。しかも、人はいなかったはずだ。
俺は懐中電灯をもう一度、ぎゅっと握り締めると、ゆっくりとその部屋に向かった。
きぃ……きぃ…
床がわずかに軋む音がする。
目的の、あの音がする部屋の前に着く。
その部屋はしんと静まり返っている。
窓越しに入ってくる、月明かりだけがぼうっと明るかった。
何も音のしない、そういういう家。
(……)
とりあえず、ためしにドアノブをまわしてみる。
…やっぱり回らない。
ま、予想していたといえばしていたのだが。
ほんの少しだけ待ってみるが…全く何も反応がない。
さすがに、俺がこの部屋の前に来ていることぐらい予想しているってか。
それなら…
俺はちょっとした引っ掛けをしてみることにした。
懐中電灯を持ったまま、俺は自分の部屋の前まで帰ってみる。
それで、ドアを開ける。
きぃぃ…
ドアのちょうつがいのあたりが古いのかもしれない。軋んだ、錆びた音がした。
それで、ドアを閉める。
ばたん!
勢いよく、聞こえるように。
(さて、あとは引っかかってくれるか…)
闇夜の攻防が始まろうとしていた。
10分もしたころだった。
(がさ…がさ…)
何か向こうのほうで音がした。
きぃぃ…
向こうの、右の部屋のドアが開く。
ちらちらとみているのだろうか。少しの間、全く音がしない。
ぺた…ぺた…
歩く音が聞こえる。少しずつこっちに向かっているようだ。
ぺた・・・ぺた・・・ぺた。
ちょうど俺の部屋の前で止まった。
その人影は何も言わず立っていた。
そして、少しして意を決したように、ぎゅっとこぶしを握ると俺の部屋のノブに手をかけた。
その瞬間、
「てやっ!」
と俺は掛け声をかけて、飛び出した。
そして、そのまま走るとその人影を後ろから羽交い絞めにした。
そう、俺は自分の部屋に戻らずに、階段の下で待っていたのである。
その人物が何をしようと思っていたのかは分からないが、
それでも、俺はもう一度来るなと確信して階段の下で待っていたのだ。
そして、ちょうど相手が『俺が部屋に戻った』という風に勘違いさせるようにわざとドアを開け閉めしたのである。
もっとも、こんな簡単な引っ掛けに乗ってくるとは思わなかったが。
その人影はびくっとしたように、少し飛び上がった。
背はかなり小さい。俺のあごがそいつの頭にのせられるほどだった。
「こらっ! 静かにしろ!」
じたばたと、俺の腕のなかで暴れるその陰の後ろから俺は言った。
すると意外にも、相手が返してきた。
「いやっ! 変態!」
「だれが変態だ!」
そう言った瞬間、俺の腕の力が少しだけ抜けた。
するりとその細い腕が俺の腕の間から抜ける。
「あっ、こら、待て!」
そういって追いかける。
思い切り走り、その、左の部屋のドアのあたりで追いついた。
がしっとつかむ。
小さい肩だった。しかも、細い。まるで子供みたいだった。
「こら! なにをしていたんだ!」
「え? ここは…!」
そいつがはっきりとこっちをみたとき、その顔が見えた。
ちょうど、月光がその子の背中からあたっていた。
俺よりかなり小さい女の子。小学5年生ほどだろうか。
ちょうど、俺に妹がいるとすればそのくらいの年齢なんだろう。でも、俺には妹などいない。
「…」
「…ここ、誰の家か分かっている?」
そいつが聞いてくる。
「それは…俺の家だろ」
「…わたしの家だけど…」
静かな静寂が、あたりを包んだ。
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