14.BELEAF
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- ガラッ!
裕次は思いっきりC組のドアを開けた。
裕次の方に、視線が集中する。
「……」
しかし、裕次はそんなことお構いなしに中へと入って行った。
C組も自習だったので、担当の先生はいなかった。
- 裕次は、ある所でピタリと止まった。
そこには、黙々と勉強をしている男がいた。
「何か用か」
「加賀、少し話がある」
「お前と話すことなんかない。さっさと自分の教室に戻れ」
「それは出来ないことは、お前が一番よく知っているはずだろ」
「何のことかな」
広人は全く動じずに応答する。
「少し外で話したいことがある」
「嫌だね。今は大切な自習の時間だ。そんな暇など」
「ここですべてを話してもいいのか、加賀?」
すると、広人はゆっくりと裕次の顔を見た。ニヤリと笑みを浮かべる。
「何がおかしい!」
「わかったよ。少しだけなら時間を割いてやるよ」
そう言うと、加賀は自分から教室を出て行った。
「あいつ…」
裕次は、体を引きずりながら後を追った。
- 裕次が広人を連れてきた場所は、剣道場だった。
引退して以来、あまり来ていなかったので、久しぶりである。
裕次は、広人の前に防具を置いた。
「何のマネだ、松登?」
「俺と勝負しろ、加賀」
すると、広人はさっと背を向けた。
「わざわざ人を呼んでおいて何をするかと思えば…馬鹿々々しい。俺は帰らせてもらうぞ」
「待て」
「なんだと?」
「優ちゃんにしたことを謝るんだ」
「何のことだ」
「とぼけるな!優ちゃんが襲われた日、あの場にいたのはお前だろうが!」
「何の根拠があってそんなことを言うんだ」
すると、裕次は真っ直ぐな目で広人を見た。
「その殺気だよ。俺を何よりも憎んでいるその殺気だ。こんな強烈な奴は他にはいない」
「そうかな。お前を恨んでる奴など、星の数ほどいるんじゃないのか?」
「優ちゃんに謝れ」
裕次は、加賀の言葉を無視して言った。
「馬鹿々々しい」
「謝れ」
「謝るのはお前の方だろうが。如月さんをたぶらかして、俺をコケにしたのは誰だ!」
「謝れ」
「いい加減にし―」
バキッ!
裕次は、広人を殴り飛ばした。
しかし、体中ボロボロの為、普段のような力はなかった。殴っただけで息が切れている。
広人は、裕次を睨み付ける。
「まだ俺をコケにする気か!」
「ハアハア…加賀、剣道で勝負しろ!そして、お前が負けたら優ちゃんに謝りに行くんだ」
「関係ない、帰らせてもらう」
裕次は、そんな広人を一喝する。
「逃げる気か!俺は上松からすべて訊いたんだぞ!」
「なんだと!」
広人は驚いて振り返った。
しかし、すぐに冷静さを取り戻す。
「ほう、それじゃあ、上松が俺がやったとはっきり言ったとでも言うのか?」
「そ、それは…」
「やはりな。あの人は、約束はきっちり守る人だ」
「待て、なぜそのことを知っているんだ!」
「はっ!」
「やっぱりお前だったんだな。見損なったのはこっちだ!フラれたからって、無理矢理こんなことして…恥ずかしくないのか、加賀!」
すると、広人は竹刀を手に取った。
「よかろう、勝負してやろうじゃないか。ただし、俺が勝ったら、今言ったことはすべて撤回してもらうからな」
「望む所だ!」
- 裕次と広人は、互いに向かい合った。
「勝負だ、加賀!」
「ああ、ルールは通常通りだ、行くぞ!」
誰もいない剣道場に、2人の声が響いた。
バッ!
「面〜っ!」
広人は、いきなり連続技を入れて来た。
裕次は、何とかあます。
「甘いぞ、松登!うおお!」
払い小手だ。
「させるか!」
裕次は、逆に小手すりあげ面に入ろうとする。
その時だった。
体中に激痛が走った。上松にやられたダメージが現れたのだ。
「胴〜!」
バシイイイン!
一瞬のうちに、広人は胴打ちを決めた!
- 裕次は、そのまま倒れ込んでしまった。
「うう…ハアハアハア……」
「どうした、松登?俺の余裕勝ちじゃないか」
広人の顔は余裕に満ちている。
裕次が、上松から受けたダメージを考慮していたのだ。
この前の下町での怪我が全快していない状態で、今日、上松にやられている。
立ってられる方が不思議だった。
「か、体が言うことを訊かない…」
体を動かそうとすると、全身に電流が流れるような感じになる。
更に、広人の調子が信じられないほどいい。
引退試合の時の数倍の俊敏さと冷静さ。
これが真の広人の姿だった。
「く、くそう……」
裕次は何とか立ち上がろうとするが、すぐに倒れ込んでしまう。
広人は、そんな裕次を見て、ニヤリと笑った。
「もはや、試合を続行するまでもないな」
広人は面を外そうとする。
「そ、その不気味な笑いだ」
裕次は、ムクリと起き上がった。
「!」
広人は焦る!
「ど、どこにそんな力があるんだ!」
「あの時、川本と戦っていた時の不気味な笑いだ。俺は、その笑いが許せない。許せないんだ!」
裕次は、竹刀を構えた。
- 広人は動揺していた。
こ、こいつ、どうして立ち上がれるんだ。
あれだけのダメージを受けているんだぞ。
「はっ!」
一瞬、裕次の横に、泣いている優の姿が見えたような気がした。
お、俺は悪くないんだ。
悪いのは、松登だ。
お、俺は……
あ、あと一本取ればすべて片付くんだ!
- 広人は、再び先攻した。
「すぐに終わらせてやる!」
バシッ!バシッ!
広人のキレのよい技が何度も炸裂する。
しかし、裕次は悉く受け止めた。
「こ、この野郎〜!」
広人は、焦りを覚えた。
更に、攻撃を速めて行く。しかし、一向に有効打突になるような技は決まらない。
「ふ、ふざけるな!」
広人が罵声を上げるが、裕次は全く動じない。
そ、そんな馬鹿なことがあるか!
こんなボロボロの野郎に、どうして技が決まらないんだ!
完全に混乱してしまった。
その一瞬の隙を見ぬいたのか、裕次が無言で迫って来た。
「な、なにっ!」
三段技が、広人を襲う!
「こ、小手か!」
広人があますと、すぐさま面打ちが飛んで来る。
「なっ!」
バシイイイン!
瞬時に右胴に、竹刀がめり込んだ!
- 広人は、暫く恐怖の余り、動けなかった。
「こ、こいつ、完全に図りやがった。俺が動揺した所に三段技を入れるとは…」
広人は構え直すと、裕次を睨み付けた。
裕次は、静寂の中に立っている。
「心理攻撃で攻めて来るとは、さすが松登と言っておこう。だが、もう二度とその手は通じないと思え!」
広人は激しく叫ぶ!
しかし、裕次は微動だにしない。
「いい加減にしやがれ、いくぞ!」
そう言った時だった。
裕次は、静かに崩れた。
〜〜〜
- 広人が恐る恐る歩み寄ると、裕次は完全に気を失っていた。
途端に、笑いが込み上げて来る。
「ふふ…やった、やったんだ。俺の勝ちだ!」
広人は、防具を脱ぐと、裕次に投げ付けた。
そして、気を失った裕次を嬉しそうに見る。
「残念だったな、松登。俺をコケにした罰さ。今日から、如月さんは俺のモノになったんだ」
「優は、あなたなんかに振り向いたりしないわ!」
「誰だ!」
広人が振り返ると、なんと加奈子が立っていた。
「さ、佐伯さん…どうしてここに」
「何か嫌な予感がしてならなかったの。だから、早退して来て見たら…あなた、どうしてこんなことをするの?」
「何のことかな。俺は何も悪くない。このボケが勝手に勝負を挑んで来て、勝手に倒れただけだ」
「あなたって最低ね」
すると、広人は加奈子を睨み付けた。
「なんだと!成績優秀、スポーツ万能の俺のどこが最低だと言うんだ!」
「そう言う、外見だけ着飾ろうとする根性が最低だって言ってるのよ!」
「ぐっ!佐伯さん。あなたまで俺をコケにする気か!」
「そうじゃない。私は、優に謝ってほしいだけなの」
その瞬間、広人は加奈子を壁に追い詰めた。
「私を、優と同じ目に遭わせる気?出来るものならやってみなさいよ。私、松登くんがいるから怖くないわ」
「ふうん。佐伯さんて勇敢なんだね。知らなかったな」
「さあ、どうしたのよ」
すると、広人は加奈子に息がかかるくらいに近づいた。
加奈子に緊張が走る。
「ふふ…震えちゃってる。可愛いね、佐伯さんも」
「……」
「大丈夫さ。俺は如月さん意外の子には興味ない」
ビシッ!
「なっ!」
広人は、頬を押さえた。
加奈子を見ると、彼女は泣いていた。
「あなたは、結ばれただけで、両思いになったとでも思ってるの?」
「違うと言うのか!そんなはずはない!」
「私は、真実の愛と言うものは、お互いに好きだと言う気持ちだと思う。無理矢理関係を持ったからって、それは真実の愛じゃないよ。逆に、こんな愛情表現は、相手の心を離れさせるんじゃないの?」
途端に、広人は冷静さを失った。
「嘘だ、嘘だ、嘘だ!そんなことがあるはずない!如月さんが俺のことを嫌いになったと言うのか!」
その言葉は、自分がやったと言ってるも同然だったが、混乱した広人にはそこまで考えられなかった。
広人は、壁を殴り始めた。怒りの行き場がなくなって我を忘れているのだ。
「そんな、そんなことがある訳ないんだあああ!」
- 加奈子は、暴れ狂う広人を置いて、裕次の元に駆け寄った。
「松登くん、松登くん、しっかりして、松登くん!」
しかし、裕次はピクリとも動かない。
加奈子は、裕次の頬を叩く。
「お願い、目を覚ましてよ、お願い…」
だが、裕次が目を開けることはなかった。
「裕次い…」
目から、涙が零れ落ちた。
〜〜〜
- 俺は、上松に不意を付かれたとは言え、反撃出来ない訳じゃなかった。
むしろ素人の剣さばきだ。簡単に受け止めることが出来た。
でも、俺にはよけられなかった。
上松の気持ちがわかるからだ。
大切なモノを失った時の、この上もない憤り。
悲しみ。
絶望。
俺だって、あづみがいてくれなかったら、あのまま元に戻れなかったかもしれない。
だから、よけられなかった。
けど、それが致命的だったのかもな。
- 大切なモノ。
- 大切なモノ。
- 俺の大切なモノは何だ。
剣道なのか。
けど、俺は大学には行けない。
成績なんか下から数えた方が早いような俺に、大学なんか行ける訳がない。
向野と、もう勝負出来ないのか。
- でも、もっと大切なものがあるような気がする。
それじゃあ何だ。
友情か?
俺は、もう加賀との仲を取り戻せないのか。
あいつと、ずっといがみ合って生きていかなければならないのか。
いや、本気で謝れば、真実を理解してもらえれば、もう一度やっていけるんじゃないか。
- でも、俺はもうだめだ。
体が動かない。
意識がなくなって行く。
俺は、俺は……
- 心は、真っ白い世界へと飛んで行った。
時は、ゆっくりと流れている。
心地よい。
気持ちがよかった。
「――ちゃん」
「えっ…」
「お兄ちゃん」
「早紀、早紀なのか…」
「お兄ちゃん」
そこには、死んだはずの早紀が立っていた。
「そうか、俺は早紀の所に来ちゃったのか」
「ダメ、これ以上、来ちゃダメだよ。お兄ちゃんのことを本気で思ってくれてる人が待っているんだよ」
「俺のことを思ってくれる人?」
「そう。お兄ちゃんのことを、本当に、何よりも信じてくれている人」
「信じる…」
「必ず目を覚ましてくれるって信じて待ってる人。だから、まだここには来ちゃいけないんだよ」
その瞬間、早紀の姿が小さくなって行った。
「早紀、どこへ行くんだよ。俺も、俺も一緒に…」
その時、頬に、何か暖かいものが落ちて来たような気がした。
「こ、これは……涙?」
裕次は、空を見上げる。
「この暖かさ、初めてじゃないような気がする。1回目は、文化祭の時、2回目は病院で…」
- その時、胸の中で、何かが弾けた。
「そうだ、俺には、待っていてくれる人がいるんだ。それは…」
- 加奈子は、裕次を強く抱きしめて泣いていた。
「裕次、裕次い…」
その時、加奈子の髪を、優しく撫でるものがあった。
「えっ…」
「加奈子、ただいま」
「ゆ、裕次…」
加奈子は、思いっきり裕次を抱き締めた。
〜〜〜
- 裕次は、加奈子に支えられて、ゆっくりと立ち上がった。
広人は、それに気付くと2人を睨み付けた。
裕次は、悲しそうな目で、広人を見つめる。
「な、何だよ、そんな顔しやがって!」
「もうやめよう、加賀…」
「な、なんだと!」
「俺と一緒に優ちゃんの家に謝りに行こう」
「だ、黙れ!お前が、お前がすべて悪いんだあああ!」
広人は、裕次に殴りかかる!
しかし、裕次はよけようとはしなかった。
殴られる気だ。
- しかし、広人の手は、直前で止まった。
「き、如月さん…」
なんと、裕次と加奈子の前に、優が立っていたのだ。
「優ちゃん、どうしてここに!」
裕次と加奈子も、驚く。
ずっと家に篭っていたはずの優が、いきなり姿を現したのだ。
優は、広人の手を掴む。
「私、本当は、加賀さんだってわかってたの」
「えっ…」
広人は、驚く。
「なら、どうして言わなかったの、優!」
加奈子は、優に迫る。
「私、自殺する気だった。自分のことだけしか考えていなかった自分が嫌になったから。みんなを悲しませちゃったから」
「!」
「でも、加奈ちゃんに言われて気付いたの。そんなことよりも、加賀さんを助けてあげなきゃって。傷つけちゃた心を癒してあげなきゃって」
「優…」
優は、広人を見た。
「加賀さん、松登さんは悪くないんです。私が、私が一目惚れして、裕次さんに告白したんです」
「……」
「私は、もう加賀さんの気持ちに答えることは出来ないけど、裕次さんを許してあげて欲しいんです。もう、誰も苦しんで欲しくないんです」
「ごめん、如月さん…」
広人は、ゆっくりと膝を付いた。
epiloge
- 外は、すっかり暖かくなって来ていた。
そろそろ春である。
久々に野花が咲き始めていた。
- そんな花畑を見ながら、2人乗りしている奴らがいた。
彼らは、まだ新しいバイクに乗っていた。
後ろの女の子が、運転している男にしっかりと掴まっている。
「でも、まだ信じられないよ」
「何か言ったか?」
「裕次の馬鹿って言ったのよ」
「なんで俺が馬鹿なんだよ」
「だって、本当に私を連れ出しちゃうんだもの」
「何言ってんだ。お前が、『私が好きなら連れてって』とか言ったんだろうが」
「普通、冗談てわかるでしょ、まったく…私が短大を卒業したお祝いに、お母さんと食事を食べてたいらいきなり現れて、『お嬢さんは、いただきます!』だなんて…」
「嫌だったか?」
「そんなことないけどさ」
男は、花畑のいっぱい広がった河原の前で、バイクを止めた。
- 2人は、花のじゅうたんに転がった。
雲がゆっくりと流れている。
2人は、じゅうたんの香りをいっぱいに吸い込む。
「ん〜なんかいいね。こう言うのって」
女の子は、ゆっくりと背伸びをする。
そんな彼女を、男は優しく見つめる。
「なあ、本当にいいのか」
「何が?」
「俺と一緒に上京してだよ。メシもろくに食えない、住む所も定まらないような生活になるかもしれないんだぞ」
すると、女の子は、野花で、2つの指輪を作った。
1つは自分に、そしてもうひとつはその男にそっとはめてやる。
「私は、私はずっと信じてる。信じてるから」
「加奈子、いつかちゃんとした指輪を買ってやるからな」
「うん」
- 2人の薬指に光る野花の指輪は、どんな価値のある指輪よりも輝いていた。
―END―