13.痛み
13
- かなりの大けがであったにも関わらず、1週間もすると裕次は学校に登校していた。
裕次が死の底から甦ったとみなが大騒ぎしていたくらいだ。
そして、今回のことは優を救う為に起こった喧嘩だと言う壇ノ浦の強い主張で停学にはならなかった。
やはり顔に似合わずいい先生らしい。
- 一方、向野に訊いた話では、川本は裕次に暴行を加えたことを素直に認め、自ら停学を望んだのだと言う。
自分の犯した罪を素直に認めたのだ。
川本らしい行動と言えるだろう。
ただし、川本は決まりかけていた推薦の枠から外されてしまったと言う。
何とも悲しいことだ。
もっと早くあいつが気付いていてくれればと裕次は思わずには居られなかった。
- その代わりのはずはないのだが、裕次に体育系大学の推薦入試の話が舞い込んできた。
裕次は思ってもみなかった展開に我を忘れそうになった。
慌てて壇ノ浦の元へ飛んで行った。
「壇ノ浦先生、推薦の話って本当なんですか?」
「なんだ嫌なのか?それなら別の奴に…」
「そ、そんな訳ないじゃないですか!大学でまた剣道が出来るかもしれないんですよ!」
すると、壇ノ浦は大声で笑った。
「はは、相変わらず元気な奴だな。いや、担任がお前に来ていたこの話を蹴ろうとしていたから俺が話を付けてやったんだ」
「上松先生が俺の推薦を蹴ろうとしていたって…俺、そんな話なんか訊いてないですよ。あの人は、お前のような奴にそんな楽な話が舞い込んでくる訳なかろうって三者面談の時に…」
「やはりそうか」
「やはりと言うと?」
「お前、よほど担任に嫌われているらしいな。彼がお前の意見も訊かずに推薦の話を蹴ろうとしていたと言うことだ」
「なんだって!」
裕次は拳を強く握り締める。
「先生、こんなことがあっていいんですか!いくら担任だからってここまで勝手なことを…」
「確かに上松先生は少しやりすぎのようだ。しかし、俺にはどうにもならんことだ。第一、証拠がない」
「学校最強の壇ノ浦と呼ばれる先生でもどうにもならないんですか?」
「お前な…それは生徒達の勝手な呼び名だろうが。実際は俺だって上松先生と同じ一担任に過ぎん。どこにそんな権限があると言うのだ」
「既にあるような気が…」
「何か言ったか?」
「べ、別に…」
「とにかく、推薦が取れることになったんだ。これ以上上松先生のことでとやかく言わない方がいい。殴ったりして停学にでもなったりしたら、すべてが水泡と化すぞ」
「わかりました。けど、どうして先生は俺のことを?全然関係ないはずなのに…この前も俺のことをかばってくれたし」
「俺はな、外見だけで媚びへつらう奴が嫌いなんだ。実際は腹の内で何を考えているのかわからないからな。だが、お前は違う。根は腐っていない」
「はっ!」
「どうした?」
壇ノ浦は、不思議そうな顔をして裕次を見る。
「いえ、何でもないんです。それじゃ失礼します」
「ああ」
そう言うと、裕次は進路指導室を出た。
その心の中は、あることに気付いた喜びで満ちていた。
『親しくない人には軽い奴だって考えられちゃうのかもしれない。だけど、ほんとは違う。私、分かってるもの』
「壇ノ浦の奴、加奈子と同じこと言いやがった」
壇ノ浦も、俺の本当の姿を理解してくれているのだ。嬉しかった。
それに対して、あの上松の野郎は…
もし停学にならないのなら、奴をおもいっきり殴ってやりたかった。
- 裕次が教室に戻ろうと階段を上がっていると、体が凍り付くような殺気を感じた。
「!」
裕次は、慌てて辺りを見回した。
あの下町にいた男と同じくらい、いや同一の殺気だ。
「どこだ、どこにいるんだ!」
すると、スッとその殺気は消えてしまった。
「き、消えた…」
裕次は冷や汗をかいていた。
「なぜ奴がK高校にいるんだよ…ま、まさか!」
一瞬、目の前が真っ暗になったような気がした。
〜〜〜
- 壇ノ浦が裕次を助けた一方で、それを気にくわないとする奴がいた。
もちろん上松だ。
「壇ノ浦先生はなぜあんな野郎を助けるのだ…奴など停学になって当然なのに」
ここの所、イライラが募って仕方がなかった。
10月も中盤に入り、推薦入試が始まったことでクラスの空気も張り詰め始めていた。
そんな中で裕次の存在は邪魔者でしかなかったのだ。
「あの野郎を何とか出来ないものだろうか…な、昭子」
そう言うと、上松は机に飾ってあった写真を見た。
「先生」
「ん?」
上松が振り返ると、生徒が1人立っていた。
「なんだ、用があるならさっさと言え。私は忙しいのだ」
すると、その生徒は小声で要件を伝えた。
そのうちに、上松の顔がほころんでいくのがわかった。
「そうか、わかった。もう下がれ」
「はい」
そいつは静かに職員室を出て行った。
すると、上松は大声で笑い始めた。
「ついにあの野郎のしっぽを掴んでやったぞ!見てろよ、喜んでいられるのも今のうちだ」
上松の顔は、最高に不気味だった。
〜〜〜
- 優は、ずっと自分の部屋に閉じこもったままだった。
怖かった。
他人になんて言われるかわからなかったから。
そして、何より裕次に顔向けが出来なかったから。
昨日、あづみが見舞いに来てくれたが、結局会わないで部屋に籠もっていた。
もう、誰とも会いたくなかった。
人を信用出来なくなっていた。
体の傷はすぐに治っても、心の傷はそう簡単には癒せないのだ。
イタイ。
ココロガイタイ。
私は、加奈ちゃんの気持ちを知っていながらも裕次さんに迫ってしまった。
加奈ちゃんが逃げていたからこそチャンスなのだと裕次さんに迫った。
矢吹さんが現れた日、加奈ちゃんがショックで逃げ出した時に、私が勝ったと思っていた。
関係を持ってしまえば、加奈ちゃんには負けるはずがないと思っていた。
馬鹿々々しいよね。
そんな風に気を引いて、確かに裕次さんは応えてくれた。
でも、心の奥底には加奈ちゃんが居たんだ。
一時的な感情に身を流されて、裕次さんは私の方に振り向いてくれたのよ。
だから、バチが当たった。
あの人を怒らせてしまったんだもの。
こうなっても仕方がなかったのかもしれない。
私は、もう…
- 優は、カッターを手に持っていた。
左手首にそっと当てる。
「みんな、ごめんね」
「優!」
バシッ!
その瞬間、優は思いっきり頬を叩かれた。
優は、ゆっくりと顔を上げる。
「か、加奈ちゃん……」
なんと、そこには学校帰りの加奈子が立っていた。
10日ぶりに、加奈子に会った気がする。
「逃げちゃだめだよ。立ち向かおうよ、昔みたいに」
「むかし…」
「中学時代、いじめられていた時みたいに。あの時、私と優は出会ったんだよ。あの時だって、2人で助け合って乗り越えたじゃない」
「……」
「確かに、今回のことは前とは比べ物にならないかもしれない。でも、このまま死んでしまったら寂しいよ。悲しいよ…」
「加奈ちゃん…」
加奈子は泣いていた。
それを見ると、優はなんともやり切れない気持ちになってしまった。
私は、私は…
今、私がしなきゃいけないことは逃げることじゃない。
あの人に、あの人に真実を伝えなきゃいけないんだ。
〜〜〜
- 次の日の上松はひと味違っていた。
「今日の1限は私の英語の授業だが、職員会議の為に自習になる。推薦入試も始まっているんだ、しっかりと自習しておくように」
すると、みんなが嬉しそうにしゃべり始めた。
「自習をしろと言ったのが聞こえなかったのか!」
一気に辺りはシンとなってしまった。
「それと松登、一緒に来るんだ」
「えっ!」
裕次は、驚いて上松を見る。
「推薦の話ですか?」
「いいから来い!」
そう言うと、上松は教室を出て行った。
裕次は、また説教でもくらわすのだろうと嫌々ながらも席を立った。
- 上松は、職員室に入ると自分の席にゆっくりと座った。
「先生、何の用なんです。推薦の話ですか?」
「推薦だぁ?誰がお前に受けさせると言った」
「え、でも壇ノ浦先生が取り付けてくれたと」
「お前は停学だ」
上松は冷たい目でそう言った。
「えっ!」
「停学だって言ってんだよ!」
「ど、どうして…」
「もちろん推薦もパァだ」
「そ、そんな馬鹿な!」
「馬鹿はお前だ。カブなんかに乗りやがって」
「はっ!」
裕次はやっと理解した。
この前、下町に行くために加奈子を乗せて走ったのだ。
しかし、おかしい。
このことを知っているのは加奈子、優ちゃん、あづみ、向野の4人だけのはずだ。他に誰が見ていたと言うのだ。
ま、まさか、あいつが…
「松登、残念だったなぁ、ほんとに。この推薦蹴ったら、お前の成績じゃ入れる大学なんかないのになぁ」
この時、裕次の夢は完全に潰されてしまった。
大学で剣道をやって、もう一度向野達と試合がしたい。全国で優勝したい。そんな夢はすべて消えてしまったのだ。
- 裕次はいつの間にか、近くに置いてあった竹刀を握っていた。
「お願いだ。誰がこのことを言ったのか教えてくれ」
「お前、私を殴り付ける気か」
よく見ると、その竹刀は剣道部の顧問のものらしかった。
顧問は3年D組の担任なのだ。
「先生、お借りしますよ」
そう言うと、裕次は上松に向かって竹刀を構えた。
偶然にも、職員室には誰もいなかった。
職員会議の為にみんな会議室に行っていたからだ。
すると、上松は急に弱腰になった。
「やめろ、私を叩き付けたらどうなるかわかっているのか!」
「ひどくなければ停学にしかならないんだろ。残念ながら既にあんたの望み通り停学になってしまってるんだよ!」
上松の頬に汗が流れる。
「や、やめろ!」
「俺はこんなんでも全国大会で3位を取ったことがあることくらい知っているよな。俺がその気になればあんたを病院送りにすることも可能だ」
裕次は竹刀を振り下ろし、上松の頭に当たる直前で止めた。
「ギャア!」
上松は驚いて椅子から転げ落ちた。
その顔は完全に泣きかけになっていた。
「わ、わかった。お前の停学を考え直してやるからさ。だから、な、その竹刀を渡せ」
「うるさい!」
「ひゃああ!」
上松は後ろの机に頭をぶつける。
「あんたのそう言う所にはヘドが出るよ。一度正式に停学が出されてしまったんだ。もうどうしようもないはずだ」
「そ、それじゃあ何がしたいのだ」
「だから言っただろう。誰がこのことを話したかと言うことだ」
「それを訊いて、そいつに復讐でもする気か!」
すると、裕次が再び構えた。
「違う!俺のことなんかどうでもいいんだ。その密告した奴が、優ちゃんを襲った犯人かもしれないんだ。俺は、そいつに謝って貰いたいだけなんだ!」
「ば、馬鹿な、あんな優等生が犯人だと…」
上松はそこまで言って慌てて口を噤んだ。
それを訊いて、裕次の手が震え出した。
この学年で、優等生と呼ばれている奴は1人しかいない。
その名は…
裕次は竹刀を落とした。
すると、上松は慌ててその竹刀を拾い上げた。
「俺の予感が当たってしまったというのか」
裕次は泣きそうになっていた。
- その時だった。
「教師を馬鹿にしやがって〜!」
バキィ!
下を向いていた裕次の右耳に竹刀が直撃した。
「うわああああ!」
裕次は右耳を抑えながら転げ回った。
いくら素人とは言え、強く叩き付けることくらいは出来る。
想像を絶する痛みが裕次を襲った。
苦しんでいる裕次に、上松は何度も何度も叩き付ける。
「お前の、お前の様な奴などこの世から消えてしまえばいいんだ!そうすれば私の可愛い昭子も死なずに済んだのだ!」
上松は容赦なく叩き付ける。
「お前の様な不良に、昭子は川に投げ込まれたのだぁ!」
- その事実は衝撃的だった。
上松は、K高校に赴任する前、上松を嫌っていた不良共に子供を川に投げ込まれたのだ。
いや、実際には投げ込んではいないのだが、ほぼそれ同然だった。
ちょっと脅してやろうとして、上松の一人娘の昭子を河原で囲んだ所、昭子は恐怖のあまりに足を踏み外したのだ。
人通りも少なかった為、当然昭子は溺れて亡くなってしまった。
上松は不良共を訴えたが、彼らが手をかけた訳でもないし、証拠不十分で無罪になってしまった。
それ以来、このK高校に赴任した上松は、不良やそれらしいと噂される奴には容赦しなかった。
子供の死がここまで上松を変えてしまったのだ。
- 上松の怒りは頂点に達していた。
「許さん、許さんぞ〜!」
裕次は滅多打ちにされて動けない。
しかし、力を振り絞って言葉を発する。
「俺は不良なんかじゃない」
「黙れ!」
バキィ!
「う、うう…」
それにも関わらず、裕次はゆっくりと立ち上がった。
「松登、お前はまだ私に楯突こうと言うのか!」
「違う、ただあんたも悲しい奴だと思ってな」
「お前に昭子が死んだ痛みなどわかる訳がない!」
「わかるさ」
「適当なことを言うな!」
「俺が高1の時、どうして不登校になったのか覚えていないのか。俺は妹の早紀が死んだから…それで俺は目の前が真っ暗になって、何もかもがどうでもよくなって…そんな俺を、あんたは単にサボっているだけだと言った上に、あづみとの関係まで密告した。あんたは自分1人が良ければそれでいいのか?同じ様な状況に立たされた奴がいても、それは見て見ぬ振りなのか!」
「黙れ、黙れ、黙れ〜!」
バキィ!
「ぐはっ!」
再び、裕次は倒れ込んだ。上松は更に叩き付ける。
「他人なんか関係あるか〜!私の、私の昭子を奪いやがって〜!」
上松は気合いを入れて叩き付けた。
- その時だった。
職員会議を終えた先生達が、職員室に戻って来た。
先生方はそれを見た瞬間、慌てて止めに入った。
「何してるんですか、上松先生!」
「邪魔だぁ!」
「うわっ!」
止めに入った先生は思いっきり殴り飛ばされた。
それを見て、壇ノ浦が止めに入った。
「やめないか」
壇ノ浦は、上松の後ろに回り込んで抑え付けた。
「放せ、放せぇ!」
「上松先生、いい加減にしないか」
「うっ!」
壇ノ浦が強く締めると、上松は竹刀を落としてその場に座り込んだ。
「上松先生、これは始末書だけでは済まないかもしれませんよ」
上松は先生方に囲まれた中、肩をガクリと落とした。
悲しい結末だった。
- 裕次は、壇ノ浦に肩を借りてゆっくりと立ち上がった。
「松登、お前上松先生に一発も手を出してないよな」
すると、裕次はピースした。
壇ノ浦は軽く微笑むと、そのまま職員室を出た。
「松登、今すぐ保健室に連れて行ってやるぞ」
それを訊くと、裕次は壇ノ浦から離れた。
「松登?」
「俺、1人で保健室に行けます。先生は上松先生の方を頼みます」
「…そうか、わかった」
- 壇ノ浦が職員室に戻ると、裕次は壁にもたれかかった。
かなり苦しそうだ。
「い、今は、ほ、保健室なんかに行ってる場合じゃないんですよ、先生…俺にはやらなければならないことがあるんです」
そう言うと、裕次は体を引きずりながらゆっくりと3年C組に向かった。
裕次のクラスの隣だ。
俺は、俺はお前に謝って貰わなければならないんだ。
- 加賀…
続く