12.闇


12

裕次は、泣きじゃくる優をやさしく抱き締めてやった。
加奈子は、優の姿を見て気が狂いそうになった。
「何…何、何なの…どうして…」
「加奈子、優ちゃんを連れて下がってろ!」
「……」
「加奈子、聞こえないのか!」
「わ、わかった…」
加奈子は、優に肩を貸してやった。
優は、まるで魂の抜けた人形のようになっていた。
加奈子は、そんな優を見ていられなかった。
どうして、どうしてこんなことになっちゃったの?
誰か、誰か教えてよ…
誰か…

〜〜〜

公園に慌ててやって来たあづみは、大変なことを言い出したのだ。
「加奈子さんの家に帰ったら、如月さんのおばさんが来ていたの。家に変な電話が掛かってきたって…娘さんがどうなったか知りたかったら、下町まで来いって」
それだけでは、優に何があったのかはわからなかった。
しかし、嫌な予感がしてならなかった。
だからあづみと向野をその場に置いて、加奈子と一緒にカブで飛んできたのだ。
そしたら、こんなことに…

裕次は、目の前に立っている虫ケラを睨み付けた。
1人は、スポーツ刈りで、手にかなり使い込まれた竹刀を握っていた。
もう1人はかなり後ろの方の暗がりにいて、よくわからなかった。
2人とも、黒いグラサンにマスクをしているようだった。
裕次は大声を上げる!
「お前らか、最近この辺を彷徨いている暴漢ってのは!それも1人かと思えば2人だったとはな」
「黙れ、クズが」
そう言うと、後ろにいた男がもう1人に何か合図をした。
「わかってる」
すると、竹刀を持った方の男が一歩前に出た。
「俺が用があるのはお前だ!」
「何だと!」
バキッ!
裕次は、いきなり竹刀で殴りつけられた。
「かはっ!」
左肩に激痛が走る!
裕次は、ゆっくりと竹刀の男を見上げた。
「な、なぜ優ちゃんを…」
「俺の知ったことじゃない!」
「ぐはっ!」
男は、滅茶苦茶に裕次を殴り付けた。



竹刀の男の連続攻撃に、裕次は為すすべもなかった。
この男、体格もしっかりしているし、攻撃も安定している。
普段から何かこれに類することをしているのだろうか。
「く、くそ…」
「くらえっ!」
裕次は、竹刀が振り下ろされた瞬間、さっと男の足下に転がり込んだ。
「何っ!」
裕次のケリが、男の左足に直撃した。
「うっ!」
男は体勢を崩した。
その隙に、偶然近くに落ちていたほうきを掴む。
「竹刀の代わりになるものがあれば、こっちのものだ!」
裕次は男に攻撃を仕掛ける。
「甘い!」
バキッ!
「なっ…」
裕次は、額から出血してその場に倒れた。
男の竹刀が、裕次のほうきをへし折って脳天に直撃したのだ。
「はは、いいザマだな」
しかし、裕次はゆっくりと立ち上がった。
「な、なにぃ!」
「そうか、お前だったのか、川本…」
「!」
男は動揺しているようだ。
「おい、何とか言えよ、川本」
裕次は、激しく問い詰める。
「ど、どうして俺だと…マスクとグラサンで完璧にカモフラージュしてると言うのに」
なんと、その男は加佐未北高の川本だったのだ。
裕次は、笑みを零す。
「お前はいつも、面打ちの時に余分な所に力を掛けすぎてるんだよ!」
額の血が飛び散った。

〜〜〜

加奈子は、精気を失った優を連れて、下町を西に抜けて谷川町の方に出た。
加佐未にいては、人目に付き過ぎたからだ。
服を引き裂かれ、涙も枯れ果てた優は、既に以前の優ではなかった。
そんな優を見て、加奈子はガタガタと震えていた。
どうして、どうして優がこんな目に会わなきゃならないの?
こんな、こんな姿なんて見てられないよ…
加奈子は、小さな公園を見つけると、そこのベンチに優を寝かせてやった。
その公園は、寂れきっていて人の気配はなかった。
加奈子は、ハンカチを濡らして優の体を拭いてやった。
体中アザだらけだった。
それを見ていると、怒りがこみ上げてくる。
「優、しっかりと気を持ってね」
「……」
「私、許せないよ。優にこんなことするなんて」
「……」
「……」
「……」
「優……」
いつの間にか、加奈子の瞳から涙が溢れ出していた。
自分が泣いている場合じゃない、優の方がもっと辛い、そんなことはわかっていた。
しかし、涙は止まらなかった。
すると、優が加奈子の頭を撫でた。
「優…?」
「加奈ちゃん、ごめんね」
「えっ…」
「私、裕次さんを私だけのものにしたかったの。加奈ちゃんも裕次さんを好きだと知っていたのに」
「……」
「加奈ちゃんは、私との友情を大切に考えてくれていたから告白しなかったんだよね。それなのに、私はそんな加奈ちゃんを利用した」
「全部、知ってたのか…」
「何年、加奈ちゃんの親友をやってると思ってるの?」

そうだ、そうだったのだ。
加奈子が優のことをよく分かってるように、優も加奈子のことをよく分かっていたのだ。

「私ね、怖かったの。裕次さんの気持ちは少しずつ加奈ちゃんに傾いていくのが分かったから」
「えっ!」
加奈子は、驚いて優を見る。
「これは、裕次さん自身も気付いていなかったのかもしれない。でも私には分かったの。いつも裕次さんのことを見ていたから。だから怖かった。離れていってしまうのが。私だけの裕次さんでいてほしかったから…」
「優…」
「だからバチが当たったんだよね。当然の報いなんだよね」
それが正しいのかどうかは定かではない。
しかし、単なるバチにしてはあまりに過酷すぎた。

〜〜〜

裕次は、川本を殴り倒した。グラサンが砕け散る。
動揺した一瞬の隙をついたのだ。
裕次は、川本が落とした竹刀を掴んで構えた。
奥にいる男に向かって叫ぶ!
「お前か!優ちゃんに酷いことをしたのは!俺には川本がやったようには思えない」
すると、奥にいた男はニヤリと笑った。
「そうだったらどうする?」
「俺は、絶対にお前を許さない」
「馬鹿々々しい」
男は、背を向けて歩き出した。
「ど、どこへ行く気だ!」
「アホらしいので帰ることにするよ」
「なんだと、逃げる気か!」
その時、男がキッと睨んだ。
「!」
その瞬間、裕次の体は凍り付きそうになった。
な、なんて強烈な殺気なんだ…
本気で俺を殺しかねないぞ、こいつ…
裕次は慌てて男を追おうとする。
しかし、川本に足を掴まれた。
「か、川本…あ、待つんだ!」
男は、その間に姿を消してしまった。


川本は、裕次を殴り飛ばした。
裕次は血を拭う。先程の額からの出血の為、体中血だらけになっていた。
「俺は、お前を叩きのめす」
「な、何言ってるんだ。お前はさっきの奴に利用されてるだけなんじゃないのか!」
「そうかもしれないな」
「じゃあ、なぜ…金か?」
「そりゃ、多少はもらったさ。だが、俺はもらわなくてもこうしてここにいたかもしれない」
「なんだと」
「俺は、お前が憎い」
「どうして…」
「俺は向野とほぼ同等の強さなんだ。なのに、一度もお前に勝ったことがない。お前は邪魔なんだよ。いつも俺の調子を狂わせるんだ!お前さえいなければ、お前さえいなければ、俺はもっと上まで行けるはずなんだ!」
「馬鹿野郎!」
裕次は、おもいっきり川本を殴り付けた。
川本は、裕次を睨み付ける。
「お前が俺に勝てないのは、俺を見ると不動心を失ってしまうからだろうが!お前は、俺に対してコンプレックスを抱きすぎてるんだよ!それさえなければ、お前の方が強いかもしれない」
「な…」
川本は絶句した。
「俺が気にくわないなら、いつでも相手になってやる。けど、なぜ今回のことに手を貸したんだ!これは犯罪なんだぞ!お前は犯罪の片棒を担いだんだ!俺なんかどうだっていいんだ。優ちゃんの、彼女のことを考えようとは思わなかったのか!」
「お、俺はなんてことを…」
川本は膝を付いた。

〜〜〜

気が付くと、何か見知らぬ場所に来ていた。
「こ、ここは…」
「病院だよ」
裕次は声のした方を見た。
「加奈子……はっ!」
裕次は、慌てて起き上がろうとしたが、体が言うことを訊かなかった。ベットに沈み込む。
「無茶しないで」
加奈子は、心配そうに裕次を見ていた。
その目には、光るものがあった。
「加奈子、どうして泣いてるんだ?」
「あづみと向野くんが下町に行ったら、松登くん、倒れていたんだよ。川本くんもボロボロで動けない状態だったしらしいし」
「そうか…」
「もう、目を覚まさないかと思ったんだよ…心配したんだからね」
そう言うと、加奈子は泣きついてきた。
裕次は、優しく加奈子を撫でてやった。
裕次は、あの後倒れてしまったらしい。
額からの出血が酷かったせいで、貧血状態にでもなったのだろうか。
加奈子の目はかなり赤くなっていた。
そんなに長く泣いてくれていたのだろうか。
「俺、どれくらい眠っていたんだ?」
「3日も眠っていたんだよ、ほんと馬鹿なんだから…」
「そうか、そんなに長く…」
「あれだけやられたのに、この程度で済んだのが不思議な位だってお医者さんが言ってたよ」
「そういえば、優ちゃんはどうしてるんだ?」
「それが…」
加奈子の顔が曇る。
「もしかして」
「うん、あれからずっと家に閉じこもっちゃってるの。何度か会いに行ったんだけど、部屋から出てきてくれなくて。警察に事情聴取されたのが、一番こたえたみたい」
「確かに、二度とあんなことを思い出したくないだろうからな」
2人は、暫く黙ってしまった。
ちょっとしてから、裕次はあの男のことを思い出した。
「なあ、もう1人の男のことは何か分かったのか?」
「それが、川本くんの話によると、数日前に彼が学校から帰る途中に声を掛けられたんだって。だから、何者かは…」
「くそっ!なんて頭の良い奴だ!」
裕次は壁を殴り付けた。包帯の中から血が滲んで来る。
「松登くん、落ち着いて」
「あいつから感じられた殺気、あれは尋常じゃなかった。一体奴は誰なんだ!」
「松登くん、落ち着いてったら」
「絶対に奴を見つけだしてやる!」
「松登くん、松登くんたら」
「あいつを…」
「裕次ぃ!」
「!」
裕次は、ビクッとした。
「加奈子、お前が俺のことを裕次って呼んでくれるとはな」
加奈子は赤面する。
「い、今のは勢いでつい…ごめんね、そんなに仲が良いわけでもないのに」
「前も一度、こう呼んでくれたことがあったな」
「えっ!」
「夏の引退試合の時さ。向野と相打ちになった時、俺は突きをくらって倒れそうになっていた。そんな時、加奈子の声が聞こえたんだ。だから俺は立ち上がれた。結局、負けちまったけどな」
「き、聞こえてるなんて思わなかった」
「俺、あの時本当に嬉しかったんだぜ。応援に来てくれただけでも嬉しかったのに、あんなに一生懸命になって俺のことを見ていてくれて…」
加奈子は恥ずかしくて、返す言葉が見つからない。
「あの時何かを感じたんだ、何かを。でも、向野とに試合に負けて、その悔しさでうやむやになってしまった」

その時、加奈子は優が言っていたことを思い出した。
『私ね、怖かったの。裕次さんの気持ちは少しずつ加奈ちゃんに傾いていくのが分かったから』
まさか…
本当に、本当にそうなの?
私のことを考えてくれていたの?

すると、勝手に口を開いていた。
「松登くんて誰にでも対等に接することが出来るよね。その姿は、親しくない人には軽い奴だって考えられちゃうのかもしれない。だけど、ほんとは違う。私、分かってるもの」
「加奈子?」
「そんな松登くんだから、男の子が苦手だった優が惹かれたんだよ。あづみだって松登くんの本当の姿を知ったから。私だって、私だって、そんな松登くんのことが…」
加奈子は、裕次に抱き付きたかった。
しかし、裕次は体中包帯だらけだ。
だから、そっと裕次にキスをした。
「好きだよ」
そう言うと、加奈子は部屋を出て行ってしまった。

裕次は、包帯にくるまれた手で唇に触れた。
こんな気分になったことはなかった。
自分の気持ちをはっきりと表すあづみ。
恋愛に対しては積極的な優ちゃん。
そんな2人とは、全く違う加奈子。
普段はあんなに明るいのに、恋愛のことになると逃げようとする。
自分が傷つくのが怖いから、自信がないから自ら身を引こうとする加奈子。
でも、本当に、一番真剣に俺のことを考えてくれている。
俺は、やっぱり加奈子が好きなんだ。


続く