11.ねがい
11
- あの日から、あづみは加奈子の家に居候することになった。
普通なら学校を休んでいる訳だから、あづみの父親が黙っているはずはない。
しかし、あづみと加奈子の母親同士が話し合った結果、暫くここに置いてこれからのことを考えさせようと言うことになったのだ。
- 「なんか大勢で食べると楽しいね」
「大勢って、私と加奈子さんの2人だけじゃない」
「いいの、気にしないで」
「?」
加奈子は嬉しかった。
一緒に食事をしてくれる人がいるから嬉しかった。
自分の作った食事を美味しそうに食べてくれる人がいるから嬉しかったのだ。
孤独…
嫌だった。耐えられなかった。
最近、優との関係がギクシャクしていた為、本当に孤独だった。
だからかもしれない。
何か気に入らないと感じていたあづみに、いつの間にか親しみを感じていた。
まるで、自分に妹が出来たみたいだった。随分態度のデカイ妹ではあるが。
- 「ねえ、加奈子さん」
「何?」
「告白しに行こう」
「!」
加奈子は、あづみの突然の言葉に味噌汁を吹き出してしまった。
「な、な、な、何を言い出すのよ、いきなり!」
加奈子は、混乱状態である。
「だって、私がこうでも言わない限り、加奈子さん行動に移せないんじゃない?」
「うっ……」
図星である。
加奈子は怖かった。言えるはずなんかなかった。
頭では分かっていても、やはり行動に移すことは出来なかった。
もし告白したことで、裕次との関係までギクシャクしてしまったら…そう思うと、やはりダメだった。
すると、あづみが立ち上がった。
「私は行くわ。もう一度ゆっくんに会って、彼の本当の気持ちを知りたい」
「あづみ…」
〜〜〜
- 10月に入ったばかりのある日のことだった。
裕次が学校から帰って来ると、玄関の前によく知っている女の子が2人待っていた。
「お〜い、ゆっくん!遅かったじゃない!」
「あ、あづみ!」
裕次は、加奈子とあづみと言う奇妙な組み合わせに戸惑っていた。
- 裕次が家の鍵を開けると、あづみは勝手にズンズンと入って行ってしまった。
「おい、あづみ、あづみったら!」
あづみは、裕次の言葉なんか訊いちゃいなかった。
一方の加奈子は、裕次の後ろに立っていた。随分大人しい。
「なあ、どうしてお前達2人が一緒にいるんだ?」
「そ、それは、その……」
なぜか、言葉が浮かんで来なかった。
妙に緊張していた。
ど、どうしよう…
裕次は、加奈子の様子がおかしいことに気付いた。
加奈子のおでこに触れる。
「きゃっ!」
「う〜ん、熱はないよな…一体どうしたんだ、加奈子?」
「そ、それは…」
心臓がバクバク言っていた。
意識し過ぎているせいだろうか。
「ま、いいや。とにかく上がって行けよ。久しぶりだしな」
「う、うん…」
- 居間に着くと、あづみの姿はなかった。
「あれ、あいつどこに行っちゃったんだ」
どうも、家の構造に詳しいから始末が悪い。
「ちょっと2階を見てくるから、適当にくつろいでて」
「うん」
そう言うと、裕次は2階に駆け上がって行った。
おそらく裕次の部屋にいると踏んだからだ。
加奈子は、階段を上がっていく裕次の後ろ姿をじっと見ていた。
「松登くん…」
あづみがどうしても行こうと言ったから付いてきたのだが、やはり怖かった。
怖い。
怖いよ…
加奈子には、この数分の時間が何十年にも感じられた。
- 裕次が部屋に入ると、あづみがベットの上に倒れていた。ピクリともしていない。
嫌な予感が走る。
「あづみ、どうしたんだ、しっかりしろ!」
裕次がかかえると、あづみは突然抱き付いた。
「ゆっくん♪」
「な、何だ…冗談はやめてくれよな」
すると、あづみはゆっくりと起き上がった。
「あづみ?」
「冗談なんかじゃないよ。私、ゆっくんが好き…」
「でも、俺達は…」
「別れたからって言いたいの?」
「……」
あづみは、立ち上がった。そして、裕次を見つめる。
「私ね、分かってるんだよ。ゆっくんが私のことを思って別れてくれたのを…ゆっくんは優しいから、私のことを考えてくれていたから。でもね、私はかけおちするくらいの気持ちで引っ張って行って欲しかった」
「……」
「ゆっくんがそうしてくれなかったのは、私に魅力が足りなかったからなんだよね。そこまでの気持ちじゃなかったってことだよね」
裕次は何も言えなかった。
言葉が出なかった。
「だから私は、この2年間いっぱい努力して来たんだよ。女らしくなる為に、ゆっくんに振り向いて貰えるように…」
すると、裕次はあづみを抱き締めた。
「ごめん…俺、あづみの気持ちには答えられないよ」すると、あづみはニコッとした。
「な〜んちゃって。どうだった、私の迫真の演技は?思わず本気にしちゃったんじゃないの?私がまだ、ゆっくんのこと好きな訳ないじゃない」
「あづみ…」
「全く…これだから、ゆっくんはダメなんだぞ。もっと女の子の気持ちが分かるようにならなきゃね♪」
そう言うと、あづみは後ろを向いてしまった。
あづみの肩は小刻みに震えていた。
「ごめん。本当にごめん、俺は…」
「ゆっくん」
「えっ!」
「加奈子さんの気持ちに気付いてあげて」
そう言うと、あづみはそのまま部屋を出て行った。
「あづみ…」
〜〜〜
- 丁度その時、向野が裕次の家の前に来ていた。
「松登の奴、いるかな?あいつにいい知らせを持って来たんだが…」
向野は、剣道の強そうないい大学を見つけたのだ。
裕次を良きライバルとして考えていた彼は、裕次が大学で剣道をどうするのか訊きたかった。
ピンポーン♪
すると、裕次の代わりに女の子が1人飛び出して来た。
「あれ、君は?」
その子は向野の顔を見ると、いきなり抱き付いて来た。
「ちょ、ちょっと、どうしたんだよ」
「ちょっと肩貸して…」
「えっ!」
向野は混乱状態である。
「女の子が肩貸してって言ってるんだから、大人しく貸せばいいの!」
「は、はい…」
すると、女の子はすすり声を上げだした。
その顔を見て、向野はドキッとしてしまった。
それは、新しい恋の始まりだった。
〜〜〜
- 裕次は、ゆっくりと階段を降りていた。
『加奈子さんの気持ちに気付いてあげて』
この言葉が頭の中を回っていた。
「もしかして、あづみの奴帰っちゃったの?」
加奈子が恐る恐る顔を出した。
その時、裕次はドキッとしてしまった。
ど、動揺しているのか、俺…
俺は今、優ちゃんとつき合っているんだ。だから、あづみの告白も断ったんじゃなかったのか!
好きなのは優ちゃんのはずだ。
そうだ、そうだろ!
- 今日の加奈子は、本当にいつもと様相が異なっていた。
普段の加奈子なら、「何ボケッとしてるの?」とかつっこんでくる位勢いがあるし、ハキハキしている。
しかし、今日の加奈子は別人だ。
強いて言えば、出会ったばかりの頃の優のようである。
居間に戻っても、そわそわして落ち着かない様子だった。
「加奈子、どうしたんだよ。少しは落ち着けって」
「……」
「今、コーヒーでも入れてくるからさ。ソファにでも座って待っていてくれよ」
すると、加奈子はゆっくりと顔を上げた。
ドキッ!
裕次は咄嗟に後ろを向いてしまった。
なんだ、なんだよ、なんなんだよ!
一体俺はどうしたって言うんだ!
ドキドキドキドキドキ…
胸の鼓動が頭の中を埋め尽くす。
頭がおかしくなりそうなくらいだ。
落ち着け、落ち着くんだ。
俺が動揺してる場合じゃない。
加奈子を励ましてやらなきゃ。
裕次は、加奈子を見る。
「す、すぐ入れて来るよ」
「うん…」
裕次は、キッチンに走る。なぜか息切れしている。
「ハアハア…とにかくコーヒーを入れて落ち着かなくては…」
裕次は、ブルーマウンテンの蓋を開けた。
- 暫くして、裕次はコーヒーを持って加奈子の所に戻って来た。
加奈子は、まだ立ったままだった。
裕次は、気持ちを落ち着かせながらソファに座った。
「さ、さあ、座って飲んでくれよ」
「うん」
その時、加奈子はやっと腰を下ろした。なんとも可愛らしい座り方である。
その時気付いたのだが、加奈子はミニスカートを履いていた。
加奈子がスカートを履いて来るのは珍しい。
制服以外で加奈子がスカートを履いていたのは、引退試合の日と今日の2回しか見たことがなかった。
加奈子は以前から、自分はスカートよりジーンズの方が似合うからとジーンズばかり履いていた。
確かに、加奈子のジーンズ姿はよく似合っていた。
元気な女の子というイメージだ。
だから、今の加奈子は随分可愛い感じがした。
また胸の鼓動が高まって来る。
もう訳が分からない。
飲み終わったにも関わらず、何も入っていないカップで必死にコーヒーを飲もうとしていた。
- そんな中、加奈子の手は震えていた。
カップを持つと、よく分かった。
裕次は、そんな加奈子を見てられなかった。
「加奈子」
「えっ…」
「本当にどうしたんだよ。いつもの加奈子らしくないぜ。何か悩みがあるなら俺に話してくれないか。今のお前を見てられないよ」
その途端、加奈子は部屋を飛びだそうとした。
「加奈子!」
裕次は、加奈子の腕を掴む。
すると、すすり泣きが聞こえて来た。
「私、もうどうしたらいいか分からないよ…」
「えっ!」
「私だって、あづみみたいに正直に気持ち伝えたいよ。でも、今の関係を壊したくない」
「ま、まさか…」
裕次ははっとした。
「私、松登くんが好き…初めは単なる憧れみたいなものだったわ。中学の時、クラスで孤立していた私を救ってくれた松登くんは、私の中ではヒーローみたいな存在だったの。なんてすごい人なんだろうって。でも、今年に入って、3年ぶりに会って、その気持ちが少しずつ変わっていくのが分かった。多分、優のせいだと思うけど…」
「加奈子…」
「でもね、この為に他のものを犠牲になんか出来ないの!」
そう言うと、加奈子は部屋を飛び出して行ってしまった。
「加奈子!」
裕次はその場に立ち尽くした。
- 『加奈子さんの気持ちに気付いてあげて』
- 『私、松登くんが好き…』
- 俺は、俺はどうして気が付かなかったんだろう。
加奈子の気持ちに。
いや、自分の気持ちに。
文化祭の時、必死に看病してくれた加奈子。
引退試合の時に、肩を貸してくれた加奈子。
『信じらんない!サイテーだよ!』
あの時、加奈子が自分から離れていってしまうような気がした。
俺は、いつの間にかに加奈子の中に居心地の良さを覚えていたのかもしれない。
- 我に返った時には、家を飛び出していた。
この数日間雨が降っていたせいか、たくさんの水たまりが点在していた。
しかし、そんなことはお構いなしに走り続ける。
「加奈子〜加奈子〜!」
裕次は、必死になって叫んだ。。
もし今、加奈子のことを離したら、二度と心を開いてくれないような気がした。
優のことを気遣い、自ら手を引いてしまいそうだった。
だが、そんなことで加奈子が自分の元から離れて行こうとしているのを黙って見ていられる訳がなかった。
走って、走って、走り続けた。
〜〜〜
- 公園の一角にある湖のほとりに、1人の少女が立っていた。
目には、溢れんばかりの涙を溜めていた。
その目は、湖で楽しそうにボートに乗っているカップルに向けられていた。
2人乗りのボート。
好きな人が出来たら、何よりもまずこれに乗りたいと思っていた。
- 幼い頃、父親と一緒にボートに乗ったことがあった。
母親は、今の加奈子の様にほとりに立って2人を見ていた。
「わぁ、すごいすごい!」
「パパに任せてくれればざっとこんなもんだ。どうだ、どのボートよりも速いだろ」
「うん、パパってすごい!」
「そうだろ、そうだろ」
父親が自慢げにして見せると、ほとりにいた母親が笑いながら言う。
「あなた、競争してるんじゃないんですから」
「はは、そう言えばそうだな」
手を緩めようとすると、加奈子が止める。
「もっと、もっと速くぅ〜」
すると、父親は加奈子を優しく撫でてやった。
「分かったよ、加奈子」
「うん!」
それは、父親との大切な思い出だった。
- あれから、父親の仕事が忙しくなり、家族3人で仲良く出掛けることもなくなった。
いつだったか。
「ごめんな、加奈子。父さんの仕事が忙しくて、どこへも連れて行ってやれなくて」
「いいのよ、お父さん。私、出掛けなくたって、お父さんが家に帰って来てくれるだけでいいの。それだけで嬉しいよ」
「そうか…そう言えば、お前も中学生になったんだったな」
「うん、そうよ。今月から中学生になったんだよ」
「なら、そろそろ加奈子にもボーイフレンドが出来るかな」
「ん〜そうかも。でも、別にいいよ」
「どうして?」
「だって、お父さんがいればいいもの」
「全く、冗談ばかり言って…」
「冗談じゃないのに!」
「加奈子、父さんはこれからもっと忙しくなると思う。だから、もしボーイフレンドが出来たら、彼と一緒にボートに乗ったらいいよ」
「ボート?」
「子供の頃、よく乗っただろ?これからは、加奈子のことを大切に思ってくれる子に、その笑顔を見せてやってくれ」
それは、父親の願いだったような気がする。
それから、1週間もしないうちに、父親は交通事故で死んでしまった。
だから、この言葉は加奈子の心にしっかりと刻まれていた。
- 「あのボートに、大好きな人と乗れたら…」
「乗れるさ」
「えっ!」
加奈子は慌てて振り返った。
そこには、息を切らした裕次が立っていた。
「松登くん…」
「加奈子、俺じゃダメか、一緒に乗るの」
2人はお互いに見つめ合った。
とても、とても長い時間のように感じられた。
「本当に、本当に私でいいの?優じゃなくて、私でいいの?」
「俺は――」
- その時だった。
「ゆっくん〜!」
「あづみ!」
突然、あづみが走ってきたのだ。どうやら、向野も一緒のようだ。
「一体どうしたんだ?」
「如月さんが大変なの!」
「何だって!」
一気にその場の雰囲気が変わってしまった。
続く