9.過去
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- その夜、2人は家には帰らなかった。
裕次が目を覚ますと、優が気付いたのか起き上がった。
「裕次さん、おはよう」
「優ちゃん…そうか、俺達は昨日…」
裕次は、ゆっくりと昨日の夜のことを思い出した。
その間に服を着た優は、裕次の隣に座った。
「ごめん、昨夜は…」
すると、優はにっこりと微笑む。
「私が望んだんです。裕次さんが好きだから…私だけの裕次さんになってほしいから…」
「ありがと、優ちゃん」
裕次には、優が昨日までの優とは違うような気がした。
肌を重ね合わせたことで、優に対する見方が変わったのだろうか。よく解らなかった。
「…矢吹さんの話、訊かせてくれますか?」
「ああ…」
すると、裕次はゆっくりと話し始めた。
〜〜〜
- ――2年前。
- 「早紀、どうしたんだ?」
「お・に・い・ちゃん!」
早紀は、裕次にすり寄ってくる。
「どうせまた、何か買ってくれって言うんだろ?」
「えっ、どうして分かっちゃったの?」
早紀は驚いた顔をしている。
「何言ってんだ。何年、お前の兄貴やってると思ってるんだよ」
「じゅうさんねんで〜す!」
「お前も中学生になったんだから、もっとそういう自覚持てよな」
「いいじゃない。いつになっても私は私、お兄ちゃんはお兄ちゃんでしょ♪そんなこと言うなら、お兄ちゃんもちょっとは高校生としての自覚見せてよ」
「こいつ、生意気言いやがって〜」
「へへ〜んだ」
- 裕次は、妹の早紀が可愛くてたまらなかった。
こんなに仲がいいのも、珍しいかもしれない。
中学時代、女子に人気のあった裕次が彼女を作らなかったのは、早紀がいたからかもしれない。
多少『シスコン』入っていたのだろうか。
- 「早紀、早くしないと学校に遅れちゃうよ〜」
「待って、待ってよ、あづみぃ〜」
早紀は慌てて靴を履いている。
「こら、遅れんぞ」
「自分だって休みじゃなかったら同じことしてるくせに…」
「なんだとぉ」
裕次がけしかけると、早紀はあかんべーして家を飛び出して行った。
「あづみちゃん、いつも悪いな。早紀を迎えに来てくれて」
「いいんですよ、長いつきあいですし…あ、それじゃ私も行きますね」
「おう、いってらっしゃい」
- その朝も、いつもの同じ朝のはずだった。
しかし、それが元気な早紀を見た最期の時だった。
- 「早紀、早紀、しっかりしろ!」
「お、お兄ちゃん…」
早紀は、震える手で裕次の手を掴んだ。
「ダメだ。俺より先に死んだら許さんぞ!」
「し、心配しないで…私はいつもお兄ちゃんの側にいるから……」
その瞬間、早紀の手がゆっくりと離れた。
「早紀、早紀、さきぃ〜〜!」
裕次の声が部屋中に響き渡った。
- 霊安室でも、裕次は早紀の側を離れようとはしなかった。
両親も涙を零す。
「早紀……」
すると、あづみが泣きながら答えた。
「ごめんなさい、ごめんなさい…私が、私が一緒にいたのに…早紀がはねられているのを見ているしかなかったの」
「俺は、俺は…うわぁぁぁ!」
「松登さん!」
裕次は、あづみの引き留めにも関わらず、その場を走り去った。
「矢吹さん、今はそっとして置いてやってください」
「おばさん…」
あづみはお人形のように眠っている早紀を見つめた。
まだ13歳になったばかりだった。
- その日以来、裕次は荒れた。
それまでの明るい裕次は死んだ。
学校もサボるようになり、家に帰って来ることも少なくなった。
一日中、街を彷徨っていた。
家に帰りたくなかったのだ。早紀との思い出がいっぱい詰まった家に。
あの日まで、笑ったり怒ったりしていた早紀はもういない。
『お兄ちゃん♪』と呼んでくれないのだ。
こんなことになるなんて…
こんなことになるなんて……
あああああ!
- 気が付くと、酒に身を委ねていた。
昔から親父とたまに飲んでいた位の裕次だったが、完全に酒に溺れていた。
歯止めの利かなくなった歯車は、どんどんどん底へと転がって行った。
エスカレートしていった。
そして、あの事件を起こしてしまった。
- 酒に酔った裕次は、いつもの公園のベンチで寝ていた。
裕次の体は限界に近かった。アル中に一歩手前まで来ていた。
その時、1人の女の子が裕次の前に立った。
あづみである。
- あづみは、あの日からずっと裕次のことを気に掛けていた。
自分が付いていながら早紀を死なせてしまったこと。
そして、その為に裕次がメチャメチャになってしまったこと。
すべて自分のせいだと考えていた。
だから、裕次のことが気になっていた。
酒に溺れる裕次。
その原因を作ったのが自分だと思うと、たまらなかったのだ。
- あづみは水を差し出す。
「お水です」
すると、裕次はあづみを睨み付けた。
「てめえが、てめえが早紀を殺したんだ!俺の前に顔を出すな!」
酔った裕次は、容赦なくあづみを攻める。
「早く立ち直ってください。早紀が今のお兄さんを見たら悲しみます…」
「あんだと?責任逃れする気かぁ〜?」
そう言うと、裕次はあづみを押し倒した。
「きゃっ!」
2人は転がって林の方に転がり込む。
裕次はあづみの服を引き剥がす。
「や、やめてください!」
「黙れ!お前にも、早紀の苦しみを味合わせてやるぅ〜!」
「いやぁ!」
裕次は、その場であづみを襲ってしまったのだった。
- 裕次が目を覚ますと、あづみが泣いていた。
辺りはすっかり暗くなっている。
「う、うう…なっ!」
裕次は、あづみの姿を見て飛び起きた。
「お、俺はなんてことを…」
裕次は混乱した。
例え酔っていたとは言え、あづみを襲ってしまった。
立派な犯罪だ。
- 裕次はベンチに頭を叩き付ける。
「俺は、俺は、俺は〜〜!」
次第に血を伴って来た。それでも、裕次は続ける。
「もう俺には生きている価値なんかない。いや、生きている資格なんかないんだぁ!」
額から、大量の血が流れる。
あづみもそれに気付く。
「やめて、やめて、お願い!」
「離してくれ!俺は君を、早紀の親友の君を〜!俺なんかもう死んだ方がいいんだ!」
「イヤです!早紀に死なれて、更にお兄さんに死なれたら、私は生きていけないよ!」
そう言うと、あづみは裕次を抱き締めた。
裕次の手が止まる。
「どうしてだよ…俺は、俺はあづみちゃんを……」
「いいんです。私はお兄さんに立ち直って欲しいんです。お兄さんが辛い顔してるのを見たくないんです!」
「あづみちゃん……」
- 裕次は、あづみにどんどん惹かれて行った。
あづみも同じだった。
いや、彼女の方には前から裕次が気になっていた所があったらしい。
「あづみ…」
「ゆっくん…」
2人が恋人同士になるまでにそう時間はかからなかた。
裕次は、あづみが中1だからと言って、決して気にしなかった。
周りからの反響は相当なものだった。ロリコンとか犯罪者とか。
だが、裕次は全く動じなかった。
強靱なる2人の関係だった。
- あづみのおかげで、裕次は完全に立ち直った。
学校も毎日行くようになり、幸せな毎日が続いた。
ただし、この頃から担任の上松に目をつけられるようになった。
理由がなんであろうと、不登校になり、酒を飲んでいた裕次は、要注意人物としての烙印を押されてしまった。また何かしでかすかもしれないからだ。
上松は、そういう不真面目な人間と言うものを毛嫌いしていた。
そのせいか、裕次を敵視するようになっていた。
あづみの親に、裕次とあづみの関係を密告したのも上松だった。
生徒が噂していたのを問い詰めて、行動に移したのだった。
- あづみの両親は、あづみと裕次の関係を知って愕然とした。
あづみからは何も訊かされてなかったのだ。
当然、裕次はあづみの親に呼ばれた。
あづみの父親は、裕次を怒鳴り付ける。
「貴様か、うちの娘とつき合っていると言うのは」
「誰が話したんですか」
「貴様には関係のないことだ。私が訊いているのは、あづみとの関係が本当なのかと言うことだ!」
あづみの父親は、50に近いような感じで、なんとも偉そうな感じである。
実際に、某大企業の部長さんらしく、本当にお偉いさんらしい。
裕次は隠そうともせず、はっきりと答える。
「はい、あづみとつき合っています」
「貴様ぁ!」
父親の平手が裕次の頬を打つ。
しかし、裕次は全く動じない。
「あづみが誰とつき合おうと、それは本人の自由だと思います。親が口出しするべきではないです」
すると、あづみの父親はもう一発お見舞いした。
「娘はまだ、中学に入ったばかりなんだぞ!その娘と関係を持つとは貴様、正気か!」
「それは、2人が愛し合ってるからこそです」
「ふざけるな!」
あづみの父親は、裕次を張り倒した。
「親のすねをかじっているような子供が、恋だの愛だの抜かすな!うちの娘をキズ物にしおって!」
裕次は、黙ったまま立ち上がる。
「済みません」
「そう思ってるなら、なぜあづみに手を出した!」
「済みません」
裕次は頭を深々と下げた。
これしか出来なかった。
- その時だった。
家に帰って来たあづみが、2人の間に割って入った。
「パパやめて!私はゆっくんが好きなの」
「しかしだな――」
「私が本当に好きだからこそ、こういう関係になってもいいって望んだんだよ!」
「あづみ……」
裕次は、必死で自分のことをかばおうとしてくれるあづみを見て、涙が滲んだ。
しかし、父親の怒りは爆発する。
「とにかく、金輪際娘には会わないで戴きたい。来るんだ、あづみ」
「いや、いやよ!ゆっくん〜!」
「あづみ!」
父親は、無理矢理あづみを部屋から連れだしてしまった。
- 裕次はガクリと腰を落とした。
すると、ずっと黙って立っていた母親が口を開いた。
「あの、松登さんでしたよね」
「はい」
「私は、あの人のようにあなた達の関係を反対しようとは思いません。けど、松登さんはあづみのことをお考えになったことがありますか?」
「えっ…」
「あの子はまだ12の女の子です。まだ世の中のことをよく分かってしません。そんな子があなたと関係を持ってしまってる。ここままあなたとのお付き合いが続いたなら、間違った知識を持ったまま成長していくことになるんですよ」
「……」
「それでも、あの子は幸せに生きて行けるのでしょうか。これから大人になろうとしているあの子の人生を潰して、あなたは後悔しませんか。もし、もしあなたが本当にあの子のことを考えてらっしゃるなら、あの子の将来のことを考えてくれませんか」
「あづみの為を思うなら…」
「はい、でも私は強要したりしません。これからどうするかは、あなた達が決めることですもの」
そう言うと、母親は部屋を出て行った。
「あづみの為に…」
- それから、1ヶ月もしないうちに、あづみは引っ越すことになった。
父親の力であろう。
場所は隣の県らしいが、裕次の住む谷川市からだと電車で2時間以上もかかるらしい。つまり、なかなか会えなくなってしまうと言うことだ。
「ゆっくん、離れても私はゆっくんが好きだよ。だから毎日電話する。ベルも入れるし、手紙も書くわ。パパになんか負けないもん、私」
そう言って、裕次に抱き付く。
裕次は、軽く抱き締めた後、そっとあづみを突き離した。
「ゆっくん?」
「ごめん、約束出来ないよ」
「どうして、どうしてなの?パパに言われたからなの。あんなの――」
「ごめん」
「どうして…」
あづみの瞳から、涙が溢れ出していた。
裕次はそれでも、冷たい言葉を吐く。
「俺、好きな子が出来たんだ…」
「えっ…」
もちろん、嘘だった。
あづみが好きでたまらなかった。
「向こうに行けば、俺のことなんかすぐ忘れるさ」
「そんなことない、絶対に忘れないよ」
「いい加減にしろ!」
「ゆっくん…」
「もう、あづみのことを恋人としては見れない」
「それでもいい!例えゆっくんが他の子を好きでも。三角関係になったって私の方が絶対」
パシッ!
裕次は、あづみの頬を叩いた。
「忘れるんだ」
そう言うと、裕次はあづみに背を向けて歩き出した。
「私、大人になるから。誰にも文句言われない位に大人になるから。だから、待ってて!」
裕次は、一瞬立ち止まったが、振り返らずにその場を歩き去った。
〜〜〜
- その話を訊いて、優は泣いてしまった。
「優ちゃん…」
「そんなの悲しすぎます。2人とも好き合っていたのに」
裕次は、優を優しく抱き締めてやる。
「でも、俺はあれでよかったと思ってる」
「えっ…」
「昨日のあづみを見ただろ?あづみはしっかり大人になっていた。一人立ちしていた。多少方向性が違うような気はするが…」
「……」
「それに、そうでなかったら、優ちゃんとこうしてなかっただろうし」
「裕次さん…」
「こんな過去を持っているって知って、嫌になったんじゃないか?」
「そんなこと関係ないです。私は、今の優しい裕次さんが好きです」
「優ちゃん…」
こうして、2人はつき合うことになった。
- しかし、裕次の心に何か引っかかるものがあった。
何だ、何なんだこの気持ちは。
俺は優ちゃんが好きだ。
でも…
〜〜〜
- 加奈子は、ベットにうずくまったままだった。
目は真っ赤に腫れていた。
私、もうどうしたらいいか分からないよ。
松登くんがあんなことする人だったなんて…
でも、この気持ちは変わらない。
いや、ますます強くなってる。
好き
松登くんが好き。
でもダメ。
優は松登くんが好きなんだもの。優と取り合いなんて出来ないよ。
それに、あの子。矢吹あづみ。
松登くんは否定してたけど、本当はまだ好きなのかもしれない…
言えない。
やっぱり言えない。
もし、私が告白したら、今までの関係がすべて壊れてしまうかもしれない。
そんなことになる位なら、私はこのままでいい。
友人としてでも、松登くんの側にいられればいい。
続く