8.変化
8
- あの日以来、広人が裕次に話しかけることがなくなった。
夏休みに勉強合宿があった時などは、ほとんど顔を合わせなかった。
高3は受験も近いということで、他の学年に比べて気合いが入っていたのは言うまでもないが、裕次は上松にこってりと絞られた。
上松は、裕次の最も苦手とする英語を担当しているのだが、奴は当てる当てる。どう考えてもおかしいだろうと言う位に裕次だけを当て続けた。
裕次を毛嫌いしている上松ではあったが、今までとは何か違っているような気がした。
「一体、奴に何があったんだよ…」
- 数日後の登校日にも、上松の裕次イビリは続いた。
抜き打ちの頭髪服装検査(上松が壇ノ浦に頼み込んだと言う噂も)が行われ、言うまでもなく裕次は職員室に呼び出されたのだ。
「上松先生、なぜいきなり検査があるんですか…みんな怒ってますよ」
すると上松は、持っていた扇子で裕次を張り倒した。
裕次の頬に血が滲む。
「ふざけるんじゃない。みんな、もうすぐ受験なんだ。お前みたいにチャラチャラした格好や茶髪を許してたら他の生徒に影響が出かねんだろうが!」
「俺は茶髪なんかしてませんよ」
「黙れ!」
ビシッ!
上松は再び張り倒す。
すると、裕次は上松を睨み付けた。
「ほう、何か文句が良いたそうだな…なら殴ってみろよ。そしたらお前は無期停学さ」
「……」
裕次は、怒りをこらえながら職員室を去った。
- 教室に戻ろうとすると、久々に広人を見つけた。
広人はまるで検査があるのを知っていたかのように髪をきれいに切っていた。
「お、久しぶりじゃないか、加賀。それにしてもさすがだな…検査があることを予測してたのか?」
「失せろ」
「ごめんごめん、怒っちまったか?お前はこんな風に言われるのが嫌い――」
「失せろって言ってんだ!」
広人は、裕次の手を打ち払った。
「…分かった、ごめんな。また今度電話するよ」
そう言うと、裕次は広人の元から立ち去った。
「加賀の奴、何カリカリしてんだ?」
裕次は首を傾げた。
〜〜〜
- 「友情とは、相手の人間に対する九分の侮蔑と、その侮蔑をもってすら、なおかつ磨消し切れぬ残る一分に対するどうにもならぬ畏敬と、この両者の配合の上に成立する時においてこそ、最も永続性の可能があるのではないか。十分に対するベタ惚れ的友情こそ、まことにもって禍なるかな、である」
「はい、そこまででいいです。ここで筆者が言いたいことは――」
加奈子は、ボーっと授業を訊いていたが、偶然耳に入ってきた言葉に反応した。
「ベタ惚れ的友情か…」
まさに加奈子と優はベタ惚れ的友情だったかもしれない。
自分の体を張って優を助けた加奈子。彼女は、イジメられていた優に自分の姿を映し出し、また優もそうだった。
今年で6年目になる加奈子と優の仲。
それを加奈子は壊したくなかった。
そんなことしてまで裕次に自分の気持ちを伝えて、仮につき合うことになったとしても、それで気持ちよくやっていけるだろうか。
いやそんなことはあり得ない。
優を傷つけるだけだ。なら、自分が我慢すれば済むことだ…
でも……
「ダメだ、このままじゃ!」
「佐伯さん、何か間違った点でもありましたか?」
「え――」
ふと我に返ると、立ち上がって大声で叫んでいた。
「い、いえ…」
爆笑の中、加奈子は恥ずかしそうに席に着いた。
「加奈ちゃん…」
そんな加奈子を、優だけが真剣に見つめていた。
- 「加奈ちゃん、いきなりショッピングに行こうだなんてどうしちゃったの?」
加奈子は、優の手を引いて加佐未センター街を歩いていた。
放課後、加奈子が、突然優を引っぱり出したのだ。
「だって最近、2人で出掛けていないと思わない?」
「それはそうだけど…」
優は、加奈子の顔を見つめた。笑顔を見せてはいたが、少し無理をしているような感じだった。
「ねえ、秋物の服見に行こうよ。ちょっと気が早いかな?夏物の売り尽くしやってるかも…」
「え、ええ…」
優は、気のない返事をした。
しかし、本当はお洋服など見たくはなかった。
そんなことよりも、今は加奈子が裕次のことをどう思っているのか訊きたかった。
でも、どうしても口には出て来なかった。
〜〜〜
- 偶然かどうかは定かではないが、裕次も加佐未センター街にいた。
とにかく、最近のうっぷんを晴らしたかったのだ。
裕次は左頬を撫でる。すると、手に少し血がついた。
「上松の奴、本気でやりやがって…教師があんなことしていいのか?」
怒りが込み上げてくる。
だが、出血が酷くなりそうなので、何とか気持ちを抑えた。
「こんなことでイライラしててもつまらないな…よし、誰かナンパでもするかな」
すると、丁度よく1人の女の子がこっちを見ていた。
ファッションセンスもなかなかで、かなり可愛い。
「ラッキー!」
裕次は、その子の元に歩み寄った。
「ねえ、よかったら一緒にお茶でもどう?俺、上手い紅茶入れる店知ってんだけどな」
それを訊いて、その子は微笑んだ。
「その顔は、OKってことだね。じゃあ早速――」
すると、その子が裕次の手を握って来た。
「えっ!」
そして頬にキスをする。
裕次は突然の事に暫く固まってしまった。
「相変わらずだね、ゆっくん」
「ゆ、ゆっくん……」
裕次は焦った。
いきなりキスをして来た上に、『ゆっくん』呼ばわりだ。
あれ、なんで俺の名前知ってんだよ…
「あの〜以前どこかでお会いしましたっけ?」
「あれ、分からないの?私よ、わ・た・し☆」
「私さんと言われても、そんな知り合いはいないんだけどな…」
すると、その子はムッとした顔で答えた。
「私のバージン奪っておいて、忘れちゃったの?」
なんかメチャメチャなことを言う子である。
「え〜と…」
裕次は、マジマジと彼女の顔を見つめた。そして思い出したのか、突然後ずさりした。
「ま、ま、まさか、君は……」
すると、その子は裕次に抱き付いた。
「やっと思い出してくれたのね、ゆっくん!」
「あ、あづみ…この地へ戻って来ていたのか…」
裕次は、動揺を隠せなかった。
〜〜〜
- 「ねえ優、紅茶でも飲んで行こうよ」
「え、もう7時前だし帰ろうよ」
「いいじゃない、ちょっと位なら…」
そう言うと、加奈子は喫茶店に入って行ってしまった。
「待ってよ、加奈ちゃん」
優は慌てて加奈子の後を追った。
- 「ここのアッサムティー、本当においしいのよね」
そう言って奥に入ろうとすると、裕次とあづみがいることに気付いた。
「だ、誰なの、あの子!」
加奈子が急に立ち止まった為、優は加奈子にぶつかってしまった。
「加奈ちゃん、どうしたの?いきなり立ち止まったりして…」
「えっ!」
その瞬間、加奈子ははっとして我に返った。
今、優を裕次に会わせちゃまずい!
慌てて振り返る。
「ゆ、優、やっぱりこのお店やめよ。もっとおいしい店があるのを忘れてたよ…」
優は、すぐに加奈子が変だと分かった。
「何隠してるの、加奈ちゃん?」
「べ、別になんでもないって…さ、行こう」
しかし、優は一瞬のうちに奥に入ってしまった。そして大声を上げる。
「裕次さん!」
その声に驚いて、裕次は振り返った。
「ゆ、優ちゃん、どうしてここに!」
加奈子は頭を抱えた。
裕次と優は暫く見つめ合ったまま、動かなかった。
沈黙は続く。
その状態をうち破ったのは、あづみだった。
「あなた達、ゆっくんの知り合い?」
「ゆ、ゆっくん?」
加奈子は怪訝そうに裕次を見る。
「と、とにかく2人とも座ってくれ。こいつを紹介するから」
「こいつなんて酷い。あ〜ちゃんて呼んで、あ〜ちゃんて」
「誰だそれは…」
「優、座ろうか」
「う、うん…」
- 加奈子と優は、裕次達の前に座った。
モジモジしてしゃべろうとしない優の代わりに、加奈子が口を開く。
「松登くん、この子は誰なの?」
「勘違いするなよ。こいつは矢吹あづみ。ただの友達だって」
すると、あづみが怒ったように答える。
「酷いよゆっくん。私達恋人同士でしょ」
「えっ!」
その瞬間、加奈子と優の顔色が変わった。
「『でしょ』じゃない。『だった』だろうが…」
「私、別れたつもりなんてないよ。あんな形じゃ別れたなんて言えないよ!」
「俺達は2年前、あの時に終わったんだよ。あのままつき合っていたら、お前の為にならないと思ったからだ」
「どうして?ゆっくんとエッチすることがいけないことなの!」
「な……」
裕次は固まってしまった。
加奈子と優は今にも頭から湯気が出そうになっていた。
「ば、馬鹿野郎、加奈子や優ちゃんが居る前で、そんなこと言う奴があるか!」
「いいじゃない、ほんとのことだもん」
すると、真っ赤な顔をした加奈子が質問した。
「あづみさんだったっけ?」
「なに?」
「あなたいくつ?まさか中学生じゃないよね?」
「うん、中3だよ」
「ええ〜っ!」
加奈子は大声を上げてしまった。
あづみの雰囲気から、もしかしたら中学生では?と不安に思っていたが、まさかホントのことだとは…
「ちょ、ちょっと待ってよ。じゃあ松登くんとつき合っていたのって…」
「私が中1の時だよ」
「ええ〜っ!」
加奈子は、開いた口が塞がらなかった。
裕次はこっそりと逃げだそうとしていた。加奈子は裕次の襟を掴む。
「ま、松登くん、なんてことしてたのよ…」
「そ、それにはちょっとした訳があって…」
「私、ゆっくんに襲われちゃったの☆」
「そ、それは酒の勢いって奴で…」
「信じらんない!サイテーだよ!」
そう言うと、加奈子はその場から駆け出した。
「待てよ!」
裕次は、加奈子の腕を掴む。
「離して!」
ビシッ!
「加奈子…」
裕次は頬を押さえる。
加奈子は泣きそうになっていた。
「松登くんなんて、松登くんなんて…」
加奈子は言葉を言い切らないまま、店を飛び出した。
「待ってくれ、話を――」
加奈子の後を追おうとした瞬間、優に腕を掴まれた。
「裕次さん、行かないでください」
「優ちゃん、どうして…」
「加奈ちゃんなんか放っておけばいいんです!」
「何言ってんだよ、加奈子は――」
「今は、加奈ちゃんのことなんかどうだっていいんです!私は、裕次さんと矢吹さんの関係が知りたいんです!」
「優ちゃん…」
優の目は真剣だった。冗談なんかじゃない。
裕次は黙って席に戻った。
- 裕次は、多少ヤケになりながらダージリンティを飲み干した。
横には、今回の元凶とも言えるあづみが可愛らしく座っている。
顔には幼さが残っているのだが、体は違った。ナイスバディなのだ。加奈子や優よりも断然スタイルがよかった。
「ねえ、あなた名前なんて言うの?」
「え、わ、私は如月 優です」
なんか優の方が恐縮してしまっている。変な感じだ。
「ふうん…ねえ、優さんてゆっくんのこと好きなんでしょ?」
「えっ!」
優の顔が真っ赤になる。慌てたのは裕次の方だった。
「あづみ、余計なことを訊くな!」
そう言って、裕次は優の方を見た。なんとも照れくさい。
「もしかして、まだ告白してないとか?」
「あづみ、やめろって!」
「だって、もしそうなら、優さんは私のライバルじゃない。三角関係って奴ね。私、一度こういうのやってみたかったんだ〜」
「な、なに訳わからんこと言ってんだよ、あづみ」
「いいじゃない、面白そうだし。優さんと私、どっちがゆっくんを奪うか勝負しようよ」
「……」
「あづみ、いい加減にしろ!」
裕次はテーブルを叩き付けて立ち上がった。
「どうして怒るの?」
「どうしてじゃない!お前は優ちゃんを馬鹿にしてるのか!それにもう俺達は別れたんだよ!」
すると、あづみは涙を溜めた。そして、裕次に抱き付く。
「やだよ、やだ!私、ゆっくんが好きだもん。私が子供だから別れるなんてもう言わせない。私はもう15歳なんだよ、立派な女なんだよ…」
「……」
「ねえ、もう一度やり直そうよ」
裕次は拳を震わせながら答える。
「ごめん…」
「ゆっくん、どうして…どうして……」
あづみは泣きながら店を飛び出して行った。
裕次はその背を追わなかった。
「裕次さん…」
優は、そんな裕次をじっと見つめていた。
〜〜〜
- 裕次と優は、いつもの公園を歩いていた。
辺りはすっかり暗くなっている。
「今日はごめんな、優ちゃん。あづみのせいで…」
「私、矢吹さんの気持ちが分かるような気がします」
「えっ!」
裕次は驚いて優を見た。
「裕次さんは素敵な人ですもの。大切な人を誰にも渡したくない、自分だけを見ていてほしいって気持ち、私にもあります。いや、女のコならみんな持っていると思います」
「!」
裕次はドキッとしてしまった。
今日の優はどこか違っていた。いつもより、随分色っぽく見える。
「裕次さん、矢吹さんとつき合っていた頃のことを訊かせてくれませんか?私、どうしても知りたいんです」
「でも、優ちゃんが訊いても楽しい話じゃないよ」
「それでもいいんです。私、裕次さんのことなら、大好きな人のことなら何でも知りたいんです」
「優ちゃん……」
- それは、優の気持ちだった。
告白の言葉だった。
今まで恥ずかしがっていた優が、ついに自分の気持ちを伝えたのだ。
それは、あづみの突然の出現が大きく関係しているかもしれない。
しかし、一番の原因は加奈子だった。
引退試合の日、隠れて裕次を抱き締めていた加奈子。
裕次は、加奈子にだけ涙を見せた。
それは、加奈子だけに心を許しているからに違いない。
優は、裕次を奪われたくなかった。
裕次さんは、私が初めて好きになった人だから。
本当に好きな人だから。
だから、奪われたくない。
裕次さんを奪おうとする人は敵…
たとえ大親友の加奈ちゃんであったとしても。
- 優は、裕次に抱き付いた。
「私、裕次さんと離れたくない…私の側だけにいてほしいんです」
「優ちゃん…」
「今夜は帰りたくありません」
続く