6.引退試合


やはり夏は暑い。
とにかく暑い。
午前中は涼しかったが、昼頃になると暑さはピークを迎えた。
加奈子は昼飯に冷やし中華を作っていた。
夏はソーメンと言う感じだが、冷やし中華もひけを取らない。
ただし、同じ夏の風物詩とは言え、作る側からすると随分手間がかかるのが冷やし中華だ。
ハムやキュウリ、タマゴなど……
色々切って入れるので、とにかく面倒なのだ。
では、なぜお中元のソーメンにしなかったかと言うと、珍しく優の方から加奈子の家を訪ねて来たからだった。
「はい、おまたせ」
「ごめんね、お昼ご馳走になちゃって……」
「いいって、1人より2人で食べた方が楽しいもの」
加奈子は食べ始めた。
どうせ優のことだ。なかなか話出さないだろうと踏んでいたのだ。
しかし、今日の優は違っていた。
「加奈ちゃん!」
「うっ!」
優が突然大声を出すので、麺が喉につかえてしまった。
「だ、大丈夫?」
「……う、うん」
加奈子は水で何とか流し込んだ。
「よかった。それでね……」
それから優の、裕次に対する話が続いた。
加奈子は本当に驚いていた。
今まで優が進んで話したことなどなかった。
いつも加奈子が質問し、それを優が答えるような感じだったからだ。
―――積極的な優。
何か嫌だった。
違和感があった。
まるで別人と話しているようである。
これもみんな裕次の影響なのだろうか。
裕次と出会ったことで、内気な優が少しずつではあるが積極的になって来ているというのか。
このまま優が自分の前からいなくなりそうで怖かった。
優の話ぶりや様子から、裕次に対する気持ちが以前よりも一層強まっているのが一目で分かった。
「私、もうダメ。お食事している時も、お勉強している時も、ずっとずっと裕次さんのことが頭から離れないの……この前デートしてからは特にそう。裕次さんのことを考えると胸が締め付けられるような感じがするの」
「優……」
「もう日曜までなんて待てないよ」
「日曜?」
「うん、私、裕次さんをデートに誘ったの」
「ゆ、優が!?」
「……ええ、私怖かったけど、勇気を出して頼んだの。そしたら裕次さんがOKしてくれた。日曜にデートしようって……」
「…………」
その瞬間、加奈子の胸に何かが刺さったような気がした。
松登くんが優の誘いを?
2人はもうそんなに親しくなっちゃったと言うの?

〜〜〜

心の動揺は、数日経っても消えなかった。
「私、どうしちゃったんだろ……」
加奈子は天井を見つめた。
この気持ちはなに?
優に松登くんをとられちゃったから?
嫉妬?
私が優に嫉妬している。
そんな、そんなはずないよ……ない。
「だあぁぁ、ダメだダメだ。考えていても何も始まらないよ……よし、気分直しに今夜のおかずでも買いに行こう!」
加奈子は気分転換に買い物に行くことにした。
何とかして、心のモヤモヤを消したかったのだ。
「今夜は何にしようかな……」
などと独り言を言いながら歩いていると、懐かしの加佐未北中学の前を通りかかった。
この道は最近は滅多に通っていなかったが、なぜか今日は足が向いてしまったようだ。
「ああ、ダメだ……まだ松登くんのこと考えているのかな……」
引き返そうとすると、中から何やら聞こえて来た。
「何だろ?」
気になったので、ちょっと覗いてみることにした。
その原因は、体育館に来ると分かった。
「なんだ、剣道の試合やっていたのか……」
どうやら、聞こえて来たのはかけ声だったようだ。
看板を見ると、『谷川地区中高剣道交流大会』と書かれていた。
この加佐未北中の体育館は、谷川では最大の大きさだった。
その為にここが会場に選ばれたのだろう。
「ん?高校生もってことはまさか……」
加奈子は慌てて中に入った。
予想は当たった。
裕次がいたのだ。
「やっぱり……今日が松登くんが言っていた引退試合の日だっだのね」
裕次は、広人を初め、他のK高校剣道部員と並んで座っていた。
加奈子は裕次に声を掛けようとした。
「まつ―――」
しかし、途中で声が出せなくなってしまった。
そこにはいつもの明るい裕次はいなかった。
真剣な目をしていた。
今、声を掛けてはならないような気がした。

〜〜〜

自然と応援の輪の中に入っていた。
さっきまでダメダメと言っていたのに、そんなことはどっかに忘れて来てしまったようだ。
裕次の真剣な姿に胸打たれてしまったのか。
とにかく裕次達を見ていたが、どういう状況なのかサッパリ分からない。
その時、K高校の5人とどこかの高校の5人が向かい合って礼をした。
そして両校から1人ずつ試合場に上がった。
「はじめ!」
「えっ、えっ!松登くん!?」
いきなり試合が始まってしまった。
かけ声が響き、竹刀の音が響く。
「あ……なんだ。松登くんが戦っているんじゃないのね」
よく見ると、まだ座っていた。
「あれ、横にいるのは加賀くんだ……そうか、彼も剣道部だったっけ」
裕次を含む4人が戦っている仲間を応援していた。
パシン!
「面あり!2本目!!」
などと戦っているがよく分からない。
「誰かルール知っている人いないかな……」
加奈子は辺りを見回した。
するとどこかで見たことがあるような子を見つけた。
「あ、あれは2年の水島だ。どうしてここに?」

水島由美子。
同じI女学院の2年生で、加奈子の家の近所に住んでいる。
結構クールな奴で、自分のことはなかなか話さない。
何となく大人っぽい子である。
親しい人にしか心を開かないそうだ。
「水島、どうしてここにいるの?」
「えっ!佐伯先輩、どうしてここに」
「それは私のセリフだって」
由美子は無視して試合の方に目を向けた。
「もしかして水島もK高校の応援してるの?」
すると由美子が振り向いた。
「はい、知り合いが試合に出てるから……」
そう言うと再び試合の方に目を向けてしまった。
何とも素っ気ない子である。
パシン!
竹刀のいい音が響いた。
主審が赤旗を上げる。
「勝負あり!」
「ああ、負けた」
由美子が口をこぼす。
「ねえ、どうなったの?」
加奈子が尋ねると、由美子が嫌そうに答えた。
「K高校の先鋒が負けたんです」
「先鋒?」
「……先輩は何にも知らないのに応援に来てるんですか?」
「ご、ごめん……」
加奈子はつい謝ってしまった。
「ルールを教えないとうるさそうなので教えますね」
「ありがと」
と言うことで、加奈子は由美子に教えて貰うことになった。


「要するに、K高校対加佐未北高校の決勝なんですよ」
「決勝なの!?」
加奈子は驚いて裕次達を見た。
「谷川周辺にある29の高校によるトーナメント戦です。毎年この時期に高校同士の交流を深める為に開催されているそうです。対戦形式は、普通は勝者数法なんですが、この大会では勝ち抜き法みたいですね」
「つまり、先に相手チームを全員倒したら勝ちってこと?」
「そう。さっきK高校の先鋒、つまり1人目が負けた……」
パシン!
主審がまた赤旗を上げた。
「えっ!」
「……どうやら次鋒も負けたようね」
加奈子にも、ピンチだと言うことが分かった。


3人目が立ち上がった。
「K高校、中堅前へ」
「はいっ!」
すると由美子の様子が変わった。
「流山くん……」
「えっ……」
その目は、今までの冷めた目ではなくなっていた。
加奈子ははっとして理解した。
「あの人が水島の恋人?」
すると、由美子が動揺した。
「ち、違います。ただの……」
「ただの?」
「ただの知り合いです」
由美子はそう言うと、流山の方に目をやった。
その目はとても優しげだった。
「ま、そういうことにしておくね」
加奈子も試合に注目する。
「……流山くんだけ2年なの。3年の部員の多くが受験の為に早くやめてしまったり、夏期講習があったりして4人になっちゃって……そこで流山くんが入ったの」
「ふうん」
2人は流山に注目した。
「はじめ!」
主審の声が響いた。
2人はつばぜり合いに入った。
流山の声が響く!
「面っ!」
しかし、悉く受け止められる」
「なかなか当たらないね」
「先輩、少し黙っていてください!」
「は、はい……」
由美子は先程までと完全に変わっていた。
流山の攻めをかわした相手は、一瞬の隙を突いて攻撃に入った。
「面っ!」
加奈子は目を覆った。
しかし、由美子が叫ぶ!
「大丈夫、浅いわ」
逆に流山がその瞬間を突いた。
裏で払い上げ、一気に振りかぶって正面を打った。
パシィィン!
「面ありっ!」
加奈子はそれを見て大はしゃぎした。
「やった。流山くんが勝ったじゃない!」
「まだです」
「えっ!」
再び目をやる。
「2本目!」
今度は相手からかかって来た。
先に1本取られて焦ったのか。
流山はその隙を見逃さなかった。
一気に出鼻面をお見舞いした。
主審が白旗を上げる。
「勝負ありっ!」
その声が響いた途端、加奈子は由美子が微笑むのを見た。
「流山くん、勝ってよかったね」
「ええ、でも次は次鋒戦です。まだK高校の不利には変わらない」
由美子は真剣な眼差しで流山を見つめていた。
「水島……」


そうこうしているうちに、加佐未北高の次鋒が流山と向かい合っていた。
「はじめ!」
流山は攻撃に入った。
一気に一本取ろうと考えているらしい。
しかし、相手も同じらしかった。
お互いに技を出し合う。
「流山くん、頑張って!」
由美子の声が試合場に響く。
それが彼に届いたのか否かは分からないが、流山は攻めて出た。
「小手っ!」
相手は余す。
そこに面をくらわせた!
「面っ!」
しかし、相手の方が一枚上手だったようだ。
流山の面打ちを右へさばき、逆に面打ちをくらわせた!
パシィィン!
「面あり!2本目!!」
「ああっ、流山くんが一本先取されちゃった……」
「大丈夫、流山くんは絶対勝ってくれる」
流山は反撃に出た。
相手も応じ、つばぜり合いとなった。
加奈子と由美子は息を飲んで見守った。
会場の観客も応援を忘れ、静視する。
この勝負、先に隙を見せた方が殺られる。
その間はほんの十数秒だったが、加奈子達にはとても長く感じられた。
その時だった。
由美子の声が会場中に響いた。
「流山く〜ん!!」
その声は確実に流山の耳に届いた。
流山は由美子の方を見る。
「隙ありっ、面っ!!」
パシィィン!!
相手は一瞬のうちに流山の面を奪った。
赤旗が上がる。
「勝負あり!!」
流山は暫くその場に立ち尽くした。
負けたのがショックだったのか。
いや、それ以上に由美子のショックの方が大きかった。
加奈子はそんな由美子を見つめた。
「私の、私のせいだ……私が余計なことしたから……」
クールのはずの由美子が取り乱していた。
震えていた。
「水島……」
加奈子はそれを見て何か胸が熱くなった。
その時だった。
2人の前に誰か佇んだ。
加奈子はゆっくりと顔を上げた。
「流山くん……」
「えっ……」
加奈子の声で由美子が顔を上げると、目の前に流山が立っていた。
「水島さん、どうしてここに来た」
「……木下くんに、今日試合だって訊いたから来てみたの」
「俺は女なんかに応援される筋合いはない」
流山は顔を背けた。
由美子はそれを訊いて俯いてしまった。
しかし、加奈子には分かった。
流山は、由美子が応援に来てくれて嬉しいのだ。
ただ態度には出さないだけだ、そういう人なんだと思った。
由美子が沈んでいると、流山が声を掛けた。
「水島さん、俺が負けたのは君のせいじゃない。俺の練習が足りなかっただけだ。俺は女の為なんかに動揺したりするもんか」
そう言うと、裕次達の元に戻って行ってしまった。
由美子はその後ろ姿を見つめていた。
加奈子は由美子の肩を叩いて微笑んだ。
「大丈夫、あれが彼の感謝の言葉なのよ」

〜〜〜

丁度その時、裕次が加奈子達の方をちらと見た。
しかし、そのまま広人に視線を戻した。
「加賀、頼むぞ!なんとか2人は倒してくれ!」
「分かってる。如月さんに振られた怒り、奴らに思い知らせてやる!!」
「おいおい、加佐未北の奴らには関係ないぞ」
「いや、奴らの中に如月さんが好きな奴がいるかもしれん」
「それはないって」
「なんでお前にそんなことが言えるんだ!」
「……そ、そうだな」
「K高校副将、早く前へ!!」
主審の声が響いた。
「とにかくだ、試合に専念しろ。分かったな、加賀!」
「…………」
広人は無言のまま前に歩み出た。
そして互いに礼をかわす。
「はじめっ!」
主審の声とともに、広人が出鼻技を掛けた。
「ゆうさ〜〜ん!!」
パシィィィィン!
広人は一気に出鼻面を放った。
あまりの勢いに相手は動きが取れなかった。
白旗が上がる。
「は、恥ずかしいことを……加賀の奴、何考えてんだ!?」
裕次は頭を抱えた。


加奈子も広人のかけ声を訊いて真っ赤になってしまった。
「加賀くん、いくら何でもそれは……優の奴が訊いていたら恥ずかしさのあまりに気絶してるよ、きっと」
「先輩、あの人のことを応援に来たんですか?」
「え、あ、その……まあ。私、松登くんと加賀くんの友達だから……」
「あの人が彼氏だったら大変そうね」
由美子はさらっと言った。
本人が訊いていたら、また落ち込んでしまうかもしれない。


「2本目!」
再び広人の激しい攻撃が始まった。
猛打である。
「……加賀の奴、完全にいつもの型をはずしちゃってるよ。これじゃ子供のケンカだ」
裕次の不安が募る。
そして、裕次の予感は的中してしまった。
広人は相手を押し出してしまった。
とても二段の剣士とは思えない行動だ。
審判に反則を取られた。
「反省1回!!」
その言葉に広人はやっと我に返った。
あまりの自分の愚かな行動にショックを受けた。
「俺は、俺は何をやってるんだ!」
「はじめ!!」
「胴っ!」
パシィィン!
相手に一気に胴ありを取られてしまった。
赤旗が上がる。
「加賀、落ち着け!いつもの自分の型を思い出すんだ!!」
「くそ、くそ……」
広人は構え直した。
しかしその呼吸は荒い。
「勝負っ!!」
主審のかけ声が響いた。
広人は慎重に相手に近付く。
今度は相手から攻めて来た。
小手、面の二段技を仕掛けてくる。
「小手っ!面っ!!」
パシン!
「加賀ぁ!」
裕次の声が響く!
しかし、審判が旗を横に振った。
有効打突になっていない。
広人は払い上げて面をお見舞いした!!
バシィィィィン!!
しかし、その時だった。
主審が叫んだ。
広人は審判を見る。
その手には赤旗が上がっていた。
「な……なに…………」
「場外!反省2回により勝負あり!!」
「そ、そんな……」
広人は膝を付いた。
反則負けだ。

「どうして!?加賀くんの面打ちが決まったのに!」
加奈子が叫ぶ。
「あの人が面打ちする直前に足が出たんだよ」
「そんな……」
加奈子は裕次を見た。
そうだ、そうなのだ。
これで裕次は4人抜きをしなければならなくなったのだ。


続く