5.初デート
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- 「来ちゃった……」
そこには喜びと不安の両方を心に秘めた少女が立っていた。
服は、白いワンピースとそれに似合った帽子。
長い髪をピンクのリボンで結わえていた。
その小さな手には、バスケットが握られていた。
中から何やらいい匂いがする。
どうやらお弁当が入っているようだ。
まるでこれからピクニックにでも行くような雰囲気である。
その姿は、彼女にはぴったりという感じであった。
- その少女の胸は今にもはち切れそうになっていた。
そのドキドキという音で自分がビックリしてしまう位である。
「裕次さんいるかな……突然こんな所まで来ちゃって迷惑かな……もし出掛けていたらどうしよう……」
その少女は、裕次の部屋の方を見つめた。
明かりは付いていないようである。
裕次の家には、この前お見舞いに来ていたので一度だけ来たことがあった。
それでも、裕次の家の様子ははっきりと頭に浮かんで来る。
思う気持ちが強いとここまで出来るのだろうか。
- しかし、その少女は次の行動に移ることが出来なかった。
インターホンを押すこと―――これをしないと先には進めない。
でも、指がボタンを押そうとはしない。
例え押そうとしても、恥ずかしさという邪魔者が少女の行動を遮っていた。
「私、どうしたらいいの?誰か助けて……」
少女は祈った。
助けてと。
すると、玄関から音がした。
「もしかして……」
玄関のドアが開いた。
そして、そこからは彼女の心を奪っている男が姿を現したのだった。
〜〜〜
- 「だから、そんなに落ち込むなって……」
「松登はいいよ。残念でしたと簡単に割り切れて……けどな、俺にはそんな風に考えられないよ」
かなり熱の入った口調である。
受話器を通してヒシヒシと感じられる。
「まあ、お前の初恋だったもんな……振られるってのも初めてだろうし……でも今回のことをバネにしてまた新しい恋を……」
「次なんかあるもんか!彼女には……彼女には何か他の人とは違うものを感じるんだ。あんな子はいないよ!」
広人はかなり混乱しているようだ。
「でも、お前が気に入らなかったからじゃなくて、彼女に好きな奴がいたから断られたんだろ?」
「だから余計納得行かないんじゃないか……」
「えっ……」
「如月さんがその男を好きじゃなかったならOKしてくれたかもしれないんだぞ。それならいっそのことあなたが気に入らないと言ってほしかったよ」
「優ちゃんはそんなこと言うような子じゃないって。とにかく、早く立ち直ってくれよ。来週の引退試合、そんなんじゃ負けちまうぜ」
「好きな奴って誰なんだよ。そいつをはっ倒してやる!」
「おいおい……」
広人はかなり興奮しているようだ。裕次の話なんか訊いちゃいない。
「おい、もう知らんぞ」
ピッ!
裕次は電話を切った。
- なんかどっと疲れてしまった。
「落ち込んでいると思って電話してやったのに、まったく……ま、あれだけ元気なら大丈夫そうだな」
裕次はソファに座り込んだ。
何気に時計を見る。
「うわっ!もうバイトの時間じゃないか!!加賀の奴、話長すぎんだよ!!」
慌てて玄関へと駆け出した。
「くっそ〜完全に遅刻だぁ〜!!」
バン!
玄関のドアを叩き開けた。
すると、白いワンピースの少女が立っていた。
〜〜〜
- 裕次は立ち止まった。
「あれ、優ちゃんじゃないか。どうしてここに?」
「えっ!」
優は顔を赤らめた。
- どうしよう……裕次さんが私のこと見てる……
なんて言えばいいの?
デートしてくださいって?
そ、そんなこと言えないよ……
- 「優ちゃん、どうしたの?」
「えっ!きゃっ!」
裕次が突然顔を近づけたので、優はバランスを崩した。
「危ないっ!」
裕次は飛び上がる。
優の体は宙に浮いた。
玄関と道路には段差がある。
優はそれを踏み外したのだ。
- 怖い……助けて……
「えっ!」
そう思った瞬間、優の体はその場にとどまった。
いや、裕次が受け止めたのだった。
「優ちゃん、大丈夫か。怪我はなかったか?」
裕次の声が響く。
しかし、優の耳には入らなかった。
- 私、裕次さんに抱きかかえられてるの……うそっ、うそっ!!
優は混乱してしまった。
そんな優を、裕次はゆっくりと下ろしてやった。
「ごめん、俺がいきなり顔を出したからだな」
「そ、そんなことないの、私のせいです……」
「でも……あ」
裕次は地面を見た。
白い帽子と一緒にお弁当の入ったバスケットが落ちていた。
「お弁当が……せっかく裕次さんと一緒に食べようと思っていたのに……」
優の顔が涙ぐんだ。
すると、裕次が拾い出した。
「大丈夫、まだ食べれるよ」
「そんな、落ちたものなんか食べさせられません!」
「俺の為に作ってくれたんだろ?その気持ちを無駄には出来ないよ」
「え、どうしてそのことを……」
優は驚く。
「だって今、自分で言っていたじゃないか。せっかく裕次さんと食べようと思っていたのにって」
「うそっ!」
優は慌てて口をつぐんだ。
どうやら自然と言葉に出してしまったようだ。
「ありがと。でも、なんで俺なんかの為に?」
「そ、それは……」
鼓動が高まる。
言わなくちゃ、言わなくちゃ……
私とデートしてくださいって。
今しかないわ、優!
そうよ、ファイト!!
「あ、あの、実は私……」
「?」
「実は……私、私とデ……」
そこで声が止まってしまった。
「……もしかしてお見舞いに来てくれたのか?」
「えっ!は、はいっ!」
優はつい返事をしてしまった。
しかし、あれから10日近く経っていた。
「そうか……でも、もう大丈夫だぜ。あの日一日グッスリ寝たら痛みはすべて飛んでいったからな」
「なんだ……よかった。私達のせいで裕次さんが怪我しちゃったんだから……」
優はうまく合わせることにした。
そうするしかなかった。
- バカバカ……私のバカ。
どうして素直に言えないの。
デートしてくださいって。
なんで……
「じゃあ、どこか行こうか」
「そう、どこかへ行きましょうって……えっ!」
優は驚いて裕次の顔を見た。
一瞬、我を忘れそうになった。
「え、今何て言ったんですか!」
「せっかく見舞いに来てくれたし。それにお弁当ひっくり返しちゃったからな。おわびと言うことで……ダメかな?」
裕次は落ちていた白い帽子の汚れを払って、優にかぶせてやった。
優の顔は喜びに溢れていた。
「はい、お願いします!」
- とにかく、優のデート作戦は成功したようである。
〜〜〜
- デートスポットは、加佐未北中の近くの公園だけではなかった。
この谷川には色々なモノが揃っている。
ちょっと北へ行けば山があるわ、南へ行けば海はあるわで、何とも楽しい所である。
主に西側が発展していた。
西端の谷川町から加佐未にかけては、若者にスポットがが当たるような場所である。
加佐未駅を中心としてセンター街があったり、デパートが多くある。
映画館、レストラン、ボーリング場などのデートスポットが揃っている賑やかな所なのだが、通称『下町』と呼ばれる所に入ると、そこは別世界のようだ。
ラブホテルが建ち並び、古びた平屋やアパートがある。
- 裕次と優は、加佐未のボーリング場に行った。
「えっ、優ちゃんってボーリング初めてなの?」
「……はい。私、あまりこういう賑やかな所へは来ないんです」
そう言われるとそのような雰囲気がある。
いかにも親に大事そうに育てられたという感じだ。
こんな所へ来ることも許されていなかったりするかもしれない。
「もしかして、こういう所に来ちゃダメとか親に言われてたりする?」
「そ、そんなことないですよ。休みには加奈ちゃんとよくショッピングしに来てます」
「それじゃどうして……大勢で遊びに来たりしないの?」
その途端、優が男が苦手だということを思い出した。
裕次はしまったと思った。
- よし、今日はそんなことは忘れて楽しくやろう。
もしかしたらこれがきっかけで男とも上手く話が出来るようになるかもしれないな。
裕次はできるだけ優と話をするようにした。
優が男に慣れるようにだ。
しかし、優はそんな素振りは見せていなかった気がする。
今日の優は普通の女の子と同じ様な感じだ。
- 優は本当に嬉しくてたまらなかった。
裕次とプリクラを撮ったり、初めてゲーセンでゲームをやったり……
まるで夢のようだった。
裕次と一緒にいれて。
- 「これおいしい」
優が口をこぼす。
「ここのレストラン、上手いって評判なんだよ。最近来てなかったけど、やっぱり味は変わってないな」
「裕次さんて色々なこと知っているんですね」
「そんなことないよ。こんなことばっかさ。勉強もこうスラスラと頭に入ってくれたらいいんだけどね」
「私は、人の善し悪しは頭じゃないと思うの。大切なのは中身だと思う」
「うれしいね、そうフォローしてくれると。でも、俺はそんな中身のある奴じゃないって……」
「そんなことないと思う。裕次さんは私のこと心配してくれます」
「可愛い子には優しくしろっていう、死んだ婆ちゃんの遺言があるんだ」
「可愛い……」
優は顔を赤らめた。
「あっ!」
裕次がいきなり大声を上げた。
「ゆ、裕次さん、一体どうしたんですか?」
「今日、バイトだったんだ。あの時優ちゃんに会ったからすっかり忘れてたよ」
「ごめんなさい。私が急に押し掛けたりしたから……」
「いいよ、今日はこんなに楽しかったし。優ちゃんはどうだった?退屈じゃなかったかな、俺と何かじゃ」
「そんなことないです!とっても楽しかったです。今日のことは一生忘れません!!」
「一生覚えてくれてなくてもいいけど、まあ、それ位楽しんでもらえたってことか……誘った甲斐があったって訳だ」
「はいっ!」
優の声は弾んでいた。
そんな優を改めて可愛いと思った。
- 「そういえば、裕次さんはどうしてアルバイトなんかしてるんですか?そんなにお金に苦労してるんですか?」
「あ、そのことか……ちょっと欲しいものがあってね。それを買うためにバイトしてるんだ。ばれたら、上松の野郎に殺されるかもしれないが」
「上松さんて、確か文化祭の時に怒っていた先生ですね」
「奴に”さん”なんかつけなくていいよ。奴はよっぽど俺が嫌いらしく、いつもゴチャゴチャと……って、あいつの話はやめよう」
「はい。それで何が欲しいんですか?興味あります」
「誰にも言わないって約束してくれるか?」
「はい、もちろんです」
「それじゃ、実はな……」
「実は?」
「優ちゃん、君が欲しいんだ」
「えっ!」
優はトマトを通り越してゆでダコになってしまった。
「あ、あの、あの、私……そんな……」
「と、言うのは冗談だけど」
「もう!ひどいです!」
「ごめんごめん」
「……でも、私はその方がよかった」
「えっ、今何か言った?」
「ううん、何でもありません」
「そうか?それでさ、実はカブが欲しいんだ」
「かぶ?お野菜のカブのことですか?」
「ち、違うって……原チャリのことだよ」
「バイクのことですか?」
「まあ、そんなもん。俺さ、16になった時、すぐに免許取ったんだ。1万くらいで取れるし……でも、肝心の乗り物を買う金がなくてさ。俺、貯金とかしないで使っちまうタイプだし。だから、こっそりアルバイトして金貯めてるってわけ」
「お父さんやお母さんに頼まないの?」
「無理無理。親父とおふくろ、2人とも働いてるから金はあるんだけど、俺の為には金出さないんだ。最低限度は出すが、それ以上のことは自分で何とかしろって……優ちゃんは違うの?」
「はい、私は必要な時に、必要なだけ貰ってるんです。だからお小遣いもないし」
「ふうん、なんか面白いな。ま、とにかく今は週4でやってるんだけど、結構きつくって。コンビニのバイトは思ったよりしんどいよ。特に客がいない時なんか暇で暇で……ただじっとレジに立っているだけってのもきついんだ。とは言え、土方は時給がいいけど滅茶苦茶つらいから体力もたないし……」
「土方ってなんですか?」
「あれ、知らない?土木作業だよ。木材や鉄材を運んだりする……よく夜間学生が昼間にやってる奴」
「……なんか、私って何も知らないんですね」
「でも、それは当然だよ。こんなのバイトやってる奴しか知らないと思うし……特別優ちゃんだけが知らないって訳じゃないと思うよ」
「はい」
- 優は嬉しかった。
裕次と2人だけの秘密。
それが何か嬉しかった。
そして、優を気遣ってくれる言葉。
優はますます裕次に惹かれて行った。
〜〜〜
- 穿野にやって来た頃には、すっかり日が暮れていた。
穿野はK高校の近所であるが、どうやら優の家はこの辺らしい。
裕次は、優を送って来たのだ。
「なんかメシ食ってたらこんな時間になっちまったな。ごめん、俺、優ちゃんの両親に謝るよ」
「心配しないでください。今日はお友達とピクニックに行ったということにしてありますから」
「ありますって……俺の見舞いに来るのもダメって訳か。何か結構大変だな」
「えっ、あ、はい」
裕次の解釈は毎回少しズレている。
しかし、優はそんなことは気にしなかった。
いずれにせよ、裕次とデート出来たのだ。
裕次が優の気持ちに気付かないのは、優に好きな人がいると訊いているからだろうか。
とにかく、まだ優の一方的な片思いである。
- 「しっかし、俺と優ちゃんが一緒にいるの見たら、加賀の奴キレるだろうな」
「えっ!」
「優ちゃんと仲良くしている男は誰であろうとはっ倒すって意気込んでいたし……」
「…………」
優は動揺した。
もし私が告白してつき合い出したら、裕次さんと加賀さんの仲が壊れてしまうかもしれない。
しかし、そんなことで崩れるような優の気持ちではなかった。
何があっても私の気持ちは変わりはしないわ。
絶対に……
そう思うと、一気に勇気が沸き上がった。
- 「裕次さん!」
「えっ……」
裕次は、優の真剣な呼びかけに驚く。
裕次が優の顔を見ると、やはり真剣な顔付きになっていた。
その顔はいつもの雰囲気とは違った優を見せていた。
可愛い優ではなく、1人の女としての優だ。
裕次はその雰囲気にすぐ気が付いた。
「ど、どうしたの、優ちゃん?」
「あの、今度またデートしてくれませんか。裕次さんの都合のいい日でいいんです。お願いします」
優は真っ赤な顔で頭を下げた。
心臓はもう爆発寸前だ。
すると、裕次が優の髪を撫でた。
優よりもずっとずっと大きな手だ。
優はゆっくりと顔を上げる。
「分かったよ、優ちゃん。今度の日曜なら空いているから……」
「ほんとですか!」
優の声が弾む。
「ああ、じゃあ場所と時間はどうしようか」
「裕次さんの行きたい所でいいです」
「そう?じゃあ10時にあの公園でいいかい?」
「はい!絶対に行きます!」
優は笑みをこぼす。
「……それじゃあ、もうここでいいです」
「えっ」
「私の家、そこの白い壁の家なんです」
「そうなのか……」
「裕次さん、今日は本当にありがとうございました」
「こちらこそ、楽しかったよ」
「それじゃ、おやすみなさい」
そう言うと、優は駆けていってしまった。
- 裕次は暫くその場に立ち尽くしていた。
「優ちゃんの好きな奴って、俺か?」
裕次は戸惑いと喜びを胸にその場を歩き去った。
続く