4.加奈子と優


加奈子は優の家に来ていた。
終業式が終わり、長い夏休みが始まったのだ。
しかし、今年は受験生。2人とものんびりは出来そうにない。
優の部屋は、いつ来ても清潔感があった。
加奈子が初めて遊びに来てから6年、一度も散らかっているのを見たことがなかった。
カーテンにはレースがついていて、とても可愛らしい。
この暑いだけの太陽の光も、真っ白なカーテンを際だたせていた。
ベッドの側にはぬいぐるみがいっぱい並んでいた。
テディベアやネコのぬいぐるみ、うさぎさんなど……いかにも女の子らしい部屋である。
最近では、街にコギャルが彷徨しているが、彼女にはその影響はまったくを持って見られなかった。
「加奈ちゃん、その辺に座って」
加奈子は、うさぎさんの座布団に座った。
「久しぶりだな、優の家に来たの。最近は受験受験って言ってばかりだったし……でも珍しいね。優が私のことを家に呼ぶなんて。たいてい私がここに押し掛けていたじゃない」
加奈子の家はいつ帰っても誰もいない。
母親は毎日帰って来るのが遅いのだ。
母子家庭の加奈子の家は大変だった。
父親は、加奈子が中1の時に事故で亡くなった。
それ以来、母親1人で加奈子を育てている。
だからだろうか。
なぜか帰りに優の家に寄ることが多かった。
孤独は嫌だったのかもしれない。
「あのね、私……」
「何か相談したいことがあるんでしょ?」
「うん……」
「そうだと思った。話ってやっぱり松登くんのこと?」
「やっぱり分かってたのね」
「なんとなく……」
加奈子は優の顔を見た。
優は顔を赤らめている。
「私、裕次さんが好き。一目惚れなの……」
「!!」

加奈子は驚きの余り、声が出なかった。
そんな予感はしていたが、まさか一目惚れとは思ってもいなかった。
「加奈ちゃん、どうしたの?」
「……えっ、ああ、ごめん。でも、優の理想って松登くんみたいな人だったっけ?もっと真面目な人じゃなかった?」
「裕次さんはいい人よ!!」
「……ご、ごめん」
加奈子は優の気迫に圧倒された。
こんな強い口調で話す優を見たのは初めてだった。

「裕次さんはいつも私のことを真剣に心配してくれたわ。それに責任を全部自分で背負っちゃうの」
「確かに松登くんはそういう所があるよね……一度思い込むとそれで通しちゃうし」
「裕次さんね、初めて会った時、私がよそ見してぶつかったのに、自分が悪いって言ってくれたの。それに私が転んじゃって……あの、その……スカートが……」
「松登くんに見られちゃったの!?」
「ううん、裕次さん、横を向いててくれた。だからどこか普通の男の子とは違うと思ったの。その時からかな。ずっと頭から離れないの。裕次さんのことを考えると、夜も眠れないの」
「優……」
「加賀さんもいい人だとは思ったわ。成績も運動神経も抜群らしいし……でも、私は裕次さんが好き。誰に何と言われようともこの気持ちは変わらないと思うの」
「お母さんが反対しても?」
「……うん。例えお母さんが反対したとしても、いやきっと反対すると思う。こんな歳で男の子とお付き合いしちゃいけないって。でも、私は自分に正直に生きたいの。人のいいなりになんかなりたくないの!!」
加奈子は本当に驚いていた。
弱気で大人しい優が自分の意見をはっきり主張しているのだ。
「自分に正直に?」
加奈子は自問自答した。
「……そう。だって自分の気持ちに偽って生きていたら、いつかきっと後悔すると思うの。加奈ちゃんもそう思うでしょ?」
「えっ!」
「加奈ちゃん、訊いてなかったの?」
「ちゃ、ちゃんと訊いてたって……そ、そうだね、私もそう思う。自分の心の中にそんなこといつまでも押し込めてたら、心が破裂しちゃうかも」
加奈子は優の顔を見ずに答えた。
私、何をこんなに動揺してるんだろ……
加奈子は自分の気持ちの変化に気付いていなかった。


「あのね、それでね、私、今度裕次さんとデートしたいなって思ってるの」
「デート?」
「加奈ちゃん、応援してくれるよね。私と裕次さんがうまく行きますようにって祈っててくれるよね」
「…………」
「加奈ちゃんは、失敗すると思ってるの?」
「そんなことないよ。だって優は女の私から見てもとっても可愛いし、こんな子に告白されたら絶対に断る人はいないと思う」
「ありがと……ほんとわね、私、不安でたまらないの。断られたらどうしよう、好きな人がいるって言われたらどうしようって……でも、裕次さんを思う気持ちは誰にも負けていないと思うの。だから自分のこの思いを裕次さんに伝えたい」
「優、すごいね」
「えっ!」
優は、加奈子を見た。
「……なんでもない。分かった。私も協力してあげる!」
「本当?」
「うん、だって私達、親友でしょ」
「加奈ちゃん……」
優の目が潤んでいた。
「さ、話はこの位にしてお菓子食べよ。あれ、今日の紅茶はハーブティなんだね。いつもはアール・グレイじゃなかったっけ?」
「うん、裕次さんと会ってから、何か変わらなくちゃって、違う紅茶を買ってみたの」
「ふうん」
加奈子は、ハーブティを一気に飲み干した。



加奈子はベットに転がった。
外が暑かったのでシャワーを浴びようと思っていたが、急にそんな気分ではなくなってしまった。
加奈子の部屋だけが明かりが付いていた。
外はうす暗くなって来ている。
そろそろ7時くらいだろうか。
随分、優の家におじゃましていたものだ。
お昼にチャーハンを作ってから出かけたから、6時間以上もおじゃましていたことになる。
と言うか、優がなかなか返してくれなかったと言う方が正しいかもしれない。
優の家族と食事までして来てしまった。


―――食事。
朝起きると朝食を一緒に食べるが、母親はすぐに出掛けてしまう。
学校がある時は、自分でお弁当を作っている。
母親が作ってくれることは稀だった。
中1の頃からそんな感じだったから、今ではかなり早く作れるようになっていた。
初めの頃は、6時に起きないとギリギリであったが、最近では6時半に起きても余裕な位である。
自分でお弁当を作ると、好きなものを入れられるから嬉しい。
最初の頃は毎日同じメニューだったが、次第にレパートリーが増えて来て、今ではクラスの注目の的だったりする。
優も、加奈子の弁当を毎日楽しみにしていた。
しかし、夕食は孤独だ。
どんなに頑張って作ってみても、食べるのは自分だけだ。
誰もおいしいと言ってくれない。
1人の食事。
それはどんなにおいしいものを食べたとしても、おいしく感じられないのだ。
今日、優の家族と夕食を食べた。
優も、加奈子と同じく一人っ子ではあるが、優は両親に大切に大切に育てられて来た。
だから男の子と接するのが苦手になってしまったのだが。
それでも楽しそうだ。
家族みんなで食事する。
加奈子には、そんな些細なことが夢で あった。
お父さんとお母さんと3人で、もう一度でいいから食事したいと。
どうしてお父さんは死んじゃったの?
それは、加奈子にとって一番の疑問だった。
そして、加奈子の中学時代を変えたのもこの為だった。



〜〜〜



―――5年前。
加奈子はまだ中1になったばかりだった。
「お父さん、お母さん、行って来ます!」
元気な声が響く。
加奈子である。
「行ってらっしゃい。加奈子、車には気を付けるんだぞ」
「わかってますよ〜だ。私だってもう中学生なんだからね。見てよ見て、このせ・い・ふ・く」
「……そうだったな。悪い悪い」
「行って来ます!」
加奈子は再び声を響かせて家を飛び出して行った。
「あなた、今日から出張なんですよね」
「ああ、明後日の夜には帰るよ。おっと、私もそろそろ出発する時間だ」
父親はネクタイを締め直す。
「気を付けてくださいね」
「ああ、それじゃ行って来るよ」
「はい」



それが、父親に会った最後の日だった。
交通事故だった。
家に帰る途中、酔っぱらいのトラックと正面衝突したのだ。
その日から、加奈子の顔に笑顔が消えた。
母親は生活費を稼ぐ為に、パートに出始めた。
すべてが一瞬にして変わってしまった。
学校でも、変化が起こった。
大人しくなってしまった加奈子を、1人の男子生徒がからかったのが始まりだった。
その男子生徒は、加奈子に父親がいないことを馬鹿にした。
普通なら何でもないことではあるが、なにぶん中学1年である。
常識は通用しなかった。
その時の加奈子は、彼に対して反抗するような気分ではなかった。
その為、それは次第にエスカレートして行った。
クラス全体で加奈子を無視し、仲間外れにしたのである。
こうなると、立派なイジメであった。
一度この状態になってしまうと、後は耐えるしかなかった。
教師など、当てにはならない。
自分で何とかするしかないのだ。
加奈子は、話相手がいなくなり、全く話さなくなってしまった。
しかし、母親にはそういう素振りは決して見せなかった。
これ以上心配事を増やさせたくなかったのだ。
そんな中、クラスの中に加奈子と同じく孤立している女子生徒がいた。
如月 優である。
優が孤立している理由は加奈子とは全く異なっていた。
優は大人し過ぎたのだ。
だから何をされても反論出来なかった。
その為、格好の標的にされてしまった。
特に女子からのイジメが激しかった。
可愛いと男子から密かな注目を浴びていた優に嫉妬していたのだ。
優はいつも泣いてばかりいた。
加奈子は、優がいじめられていることなど全く知らなかった。
自分のことで精一杯だったのだ。
それを知ったのは、夏に入ってからだった。



その日はかなり暑かった。
加奈子は授業が終わったのでさっさと帰りたかったが、その日は日直であった。
日誌を提出した後、ゴミを捨てるためにプールの裏の消却場に向かった。
「ゴミを捨ててさっさと帰ろう……」
そう独り言を言っていると、プールの方から人の声が聞こえて来た。
「あれ、今日は水泳部休みのはずなのに……」
加奈子は、金網越しにプールサイドを覗いてみた。
すると、どこかで見た様な連中がいた。
「あれはうちのクラスの女子じゃない……何でこんな所に……」
「如月、あんた泳げないんだってね」
「…………」
「否定しない所を見るとそうらしいね。全く秀岡くんに色目なんか使って……」
「わ、私、そんなことしてないよ……」
「黙りなさい!クラスの人気者の彼があんた何かに話しかける訳ないでしょうが!」
全くのひがみである。
「あんたなんか溺れて死ねばいいのよ」
「えっ……」
その女子生徒は優をプールに叩き落とした。
プールは意外に深く、優の背では足が届きそうにない。
「た、助けて……」
優は必死に助けを求める。
しかし、女子生徒達は笑って見ているだけだった。
「いいザマね」
「たす……け……て…………」
その時、誰かがプールに飛び込んだ。
そして優の元に泳ぎ寄る。
そう、加奈子だった。
「佐伯ぃ、何のつもりよ!」
加奈子は、女子生徒達を無視して優をプールから助け出した。
「しっかりして、如月さん!」
加奈子は、優の飲んだ水を吐かせてやった。
優はガクガク震えていた。
制服を着たままだったからだろう。
余計に溺れてしまったようだ。
「たすけ……て…………」
そう言うと、優は気を失ってしまった。
一瞬、心臓が止まってしまったのかと焦ったが、大丈夫なようだ。
加奈子は震えが止まらなかった。
あと少し助けるのが遅かったら、優は死んでいたかもしれないのだ。
次第に怒りがこみ上げて来た。
加奈子は女子生徒達を睨み付ける。
「な、なによ、佐伯。その子が秀岡くんに色目を使ったから悪いのよ。ねえ、みんな」
「そうよそうよ」
「ふざけないで!」
加奈子の一喝は、女子生徒達を圧倒した。
「な、何よ。あんたなんか父親いない癖に!」
滅茶苦茶な反論である。
「お父さんは死んでなんかいない!私の心の中に生きているんだ!!」
加奈子は女子生徒に突進した。
不意を付かれた為、よけられない。
「うわっ!」
加奈子は、1人の女子生徒をプールに叩き落とした。
「佐伯ぃ!」
リーダー格の女子生徒が大声をあげる。
「なによ、私を殴る?シカトする?いいわよ、やってみなさいよ!でも私はもう大人しく引き下がらないわ!!今までのこと、如月さんのこと、みんな先生に言ってやる!言ってやるんだから!!」
「言ったわね〜!!」
主犯の女子生徒が手を挙げる。
その時だった。
「こら、お前達、何をしている!」
先生の声が響いた。
女子生徒達は、慌てふためく。
「や、やばいよ……みんな、逃げろ!」
その途端、奴らは一斉に散り散りになって行った。
「こらぁ!」
その先生も、奴らを追い掛けて行ってしまった。
それを見て、加奈子は腰を落とした。
本当は怖かったのだ。
でも、怒りの方が勝っていたのかもしれない。
その時、視線を感じた。
振り返ると、優が加奈子のことを見ていた。
「よかった、気が付いたのね」
加奈子は優の元に歩み寄る。
すると、優は後ずさりした。
「どうしたの?」
「こ、来ないで……もうやめて…………」
優は震えていた。
「如月さん、私達似ているんだよ」
加奈子は優しく微笑んだ。
優はずぶぬれになって座っていた。
その姿はととも儚く、弱々しかった。
何か守ってやりたい、そういう気持ちになる。
加奈子は、優に手を差し出した。
「如月さん、一緒に行こう、私と一緒に……」
「…………」
すると、優はゆっくりと手を差し出した。
加奈子は優を起こしてやった。
「知っているかもしれないけど、私は佐伯加奈子」
「私……私は如月 優」
その日から、2人は大親友になった。



〜〜〜



加奈子は、ふと目を覚ました。
「あれ……私、あのまま眠っちゃったのか……」
よく見ると、外は既に真っ暗になっていた。
何時間位眠ったのだろうか。
クーラーをつけるのを忘れていた為、汗でぐっしょり濡れていた。
加奈子はシャワーを浴びることにした。
蛇口をひねると、冷たい水が出て来た。
しかし、かなり暑かったので丁度良かった。
加奈子は、体中にまんべんなく掛けた。
その時、優の言葉が頭をよぎった。
『加奈ちゃん、応援してくれるよね。私と裕次さんがうまく行きますようにって祈っててくれるよね。』
私、一体どうしたんだろ……この言葉が頭に残って離れないよ……
どうして?
優の初恋を応援するのが嫌なの?
ううん、そんなことあるはずないよ。
優には幸せになってもらいたい。
だから、私が2人の仲を取り持ってあげなきゃ……

「でも、どうして……」
シャワーは暫くの間、意味無く流れていた。

続く