さて、「恋愛モノ」ですか。
なんだかんだ言っても、やはりこのテーマからは逃れられないですね(^^;
最近のゲームは恋愛モノが中心になってしまっています。
(自分でも『夢の少女』作ってるし^^;)
現実ではあり得ないような、でもあったらいいな・・・という世界を見事に体現してる感じです。
そもそも人間であるからこそ、誰かを好きになるの?
いや、動物だって好きになるじゃないか。
なら、この感情って一体何なのだろう・・・
子孫繁栄の為に、遺伝子に組み込まれたモノ、
そう考えてしまうことも出来るかもしれないけど、
私は単純にそうあってほしくないと思う。
「好き」になることって、嬉しくて楽しくて仕方ないことのはずなのに、
相手のことを想えば想うほど、どんどん辛くなって行くという逆の意味も
持ち合わせている。
でも、人は誰かを好きになろうとする。
「あの人のこんな所が気になるの」とか、
「あの笑顔は誰にも負けないの」とか。
誰かをダイスキになってしまうと、その人は一時的に
麻薬中毒みたいな感じになってしまう。
他のことが何も手に付かなくなってしまったり、
相手の悪い部分もすべて正しいように見えてしまったり。
誰かを好きになること、そして好きになってもらうこと。
それって、自分以外の人間を共有することなのかな、なんて思う。
<「好き」と「嫌い」、「Like」と「Love」> (2001.8.5)
いつも「好き」と「嫌い」とは、どういうことなのだろうと考えている。
「好き」に関してはアメリカ的な「Like」「Love」という概念が一番しっくり来る。
誰にだって長所もあれば短所もある。
短所の部分だけを見てしまって嫌いだと思い込んでしまうことは怖い。
勝手に決め付けてしまうことは無駄な誤解を生む。
逆に言えば、どれだけ「好きか」ということになる。
私の「好き」の基準は、どれだけ自分なりの考え方や生き方を持っているかに拠っている。
簡単に言ってしまえば「どれだけ独自のキャラが立っているか」ということ。
「Aさんといえば、何々だ!」とか一瞬でイメージが出るようなのがいい。
例え、私とそりが合わなかった人だとしても、それはそれで面白い。
嫌いじゃなくて、たまたま意見が合わないだけだろうし。
「あの人、変わってるな〜」とか、よく話題に出てくるような人は大抵気に入っている。
無駄に観察力だけはあるので、実際に話したことがなくとも、見ていればわかる。
ペルソナを付けている人(本当の自分を偽っている人)なんかもすぐわかるし、
わざと明るく振る舞っているような人を見ると何だか居た堪れなくなってしまう。
私なんかも実際の話そういう人間なので、その辺は見破るのが上手いのかも。
では「Like」が「Love」に変わる一線ってどこなのだろう?
例えば、私に係わり合いのある人に対する好感度グラフを作るとする。
当然、同性もいれないと話が進まなくなるので入れる。
(興味がない人には勝手な判断など出来ないのでその中に入れない)
そしたら、その中で一番グラフの高い人が「Love」ということになるのだろうか?
いや、そんなことはない。「Like」は所詮「Like」以上にはならないはずだ。
いくら親友だからと言って、抱きしめたいとは思わないし、
キスとかそれ以上のことをしようだなんて思いもしない。
同性愛者ってその歯止めが利かなくなった人なのかなって思う。
異性の友人だとしても、それは同じだと思う。
あくまでも「Like」として付き合ったり一緒にいるのが楽しいからであって、
「Love」として付き合いたいというのとは違うのではないだろうか?
また、性的な魅力を感じるから「好き」なのか、それとも、
本当に好きだから「好き」なのか、その辺もよくわからない。
私の考えとしては「Like」から「Love」へ変わる瞬間は、
やはり理屈では推し量れないと思う。一瞬で恋に落ちる。
懐かしの「ラブストーリーは突然に」という曲なんかはまさにその典型。
「あいのり」なんかを見てても、やはりみんな突然だ。
●なぜだかはわからないけど、気になって仕方がない。
(どうしてそうなるのか考えたとしても、やはり答えなんか出やしない)
●今まで興味もなかったことなのに、あの人が好きだから自然と私もそれが好きになった。
(確立していたはず意志が、こんなにも簡単に揺らいでしまう)
●何をしていても、自然と頭の中にその人が浮かんできてしまう。
(他のことが考えられなくなってしまう)
自分がある人のことで、普段の自分ではないことを自覚した時、
それが「Love」へと変わる瞬間だと思う。
そうなってしまうと、それまではそんなこと考えもしなかったのに、
急にその人のすべてを知りたくなる。束縛したくなる。
〜〜〜 こういうのがすごく上手く描かれてるなと実感したのが、
少し古いですが水沢めぐみ先生の 「姫ちゃんのリボン」でした。
正直、アニメの第1回を見てハマリまして、コミックと 「りぼん」(集英社)を買うようになりました。
この時からこの雑誌を読むようになったんだな・・・
この作品についてはとにかく心理描写が上手かった!
その一言ですね。
全然女の子っぽくない姫子が、恋に対してはすごい臆病で。
すごい女らしい姉の愛子のことを羨ましがっていて、
「私もお姉ちゃんちゃんみたいになれたら、もっと自分に自信が持てるだろうに」
と考えていた。
けど、エリカから魔法のリボンを貰って、
小林大地に出会ってからはそれが間違いだったってわかるようになる。
誰もが自分には無いものを持っている。
愛子が支倉と付き合うようになってから、
いつも姫子のことを話す支倉を見て、姫子のことが好きなんじゃないかって
自分から嫌われようとする場面がある。
「支倉くんは、私みたいな大人しい子じゃなくて、姫子みたいに元気な子が好きなんだろう」って
本当にうまく描いていてなんか感動すらしました。
それだけしっかりと描かれている分、正直毎回見ていて必ずしも楽しい気分にならないんですよ。
見ていて悲しくて、辛い場面が幾つもあって・・・
「好きだけど、意地を張ってしまって好きと言えない」姫子と大地。
ちょっとしたことでケンカしてしまって、
思ってもいないようなことをつい言ってしまってすごく傷ついてしまったり。
それでも、頑張って突き進んで行く姿がなんともよかったかな。
姫ちゃんのリボン
コミック 全10巻(集英社) アニメ 1992.10.2〜1993.12.3 全61話(テレビ東京系) 小説 全7巻(コバルト文庫)